2017年04月30日
私は山梨県甲府市で生まれ育ちました(18才まで)。
どうも東京都心で生まれ育った人たちからすると、山梨出身者は田舎者に入るようです。もっとも最近は、地方都市の生活も素晴らしいという意見や事実もあり、「田舎者」の価値も変わりつつありますが。
武田信玄が治めていたかつての甲斐の国は、昔は「東海道」の一部、現代は「中部地方」ではあるが「首都圏」に含まれている。つまり古来から中部よりは東海や関東との結びつきの方が大きかったわけです。
新宿から特急で甲府まで1時間40分。将来は品川から25分です(リニアのことです)。山梨は東京のお隣さんです。
甲府市は、甲府盆地の北側に位置し、盆地ですから平らです。
私の祖父母の代には、すでに賃金生活者であって、父方も母方も「祖父母」の家(両者とも、甲府のいわゆる下町のような場所にありました)に行っても畑があるわけじゃない。私自身も生まれたときから「水洗トイレ」のある当時としては近代的な鉄筋コンクリート集合住宅に住んでいました。
だから、子供の時から田舎生活などしたことはない、薪割りなどしたこともない(テレビ・映画以外で実際見たこともない)、草刈りもしたことない、DIYもしたことない、野生生物がまわりにいたこともない、坂のあるところに住んだこともない、ないないづくし。
それなのに、なんで「田舎生活の本場」である「軽井沢」のしかも「追分」に住むことになったんでしょうか・・・。
なんで追分が「田舎暮らし」かというと、
(1) 下水道がない。浄化槽を自分で設置する(補助金は出る)。すべての排水・下水は地中処理。素晴らしいローテク!
(2) 接道が舗装されていない。野趣味があっていい、というのは別荘住人の言。こっちは毎日生活するのだから、舗装してほしい。
(3) 虫や動物がたくさんいる。蝶々とかトンボとか、そういう風情のある生き物ではなく、臭いカメムシとか、植物を荒らすアブラムシとか、殺人的スズメバチとか、さらには野ねずみ、モグラ、蛇、猪、狐、狸、猿、熊・・・・・「もののけ姫」の世界じゃないか!
(4) 庭に芝を貼ったら雑草取りで毎日這いつくばる、という話が笑い事でないことを知る。
(つくばから取り寄せた野芝)
(5) 薪ストーブを設置したら、薪割りしなくては。斧!! 使い方を間違うと、危ないよ。
(6) DIYをしなければならない。無駄に敷地が広いから(軽井沢は1000平米以下で土地を売ってはいけない場所が多い)、柵とか薪棚とか作らないといけないし、ウッドデッキなどの木部の塗装も定期的に必要になる。したがって、道具も一揃え必要になる。
この年で、草取り、芝刈り、薪割り。腰がもちません。体中筋肉痛です。生まれて50年以上やったことがないことを、(好きなわけではないのに、必要に迫られ)やり始めるわけですから、無理があります。
昨年末、ログラック(市販の薪棚)の屋根を自作して腰に負担を掛け、さらに雪が降って雪かきしたら、椎間板ヘルニアになってしまった。動くと激痛が走り、鎮痛剤飲みながら椅子に座ってiMacを前に仕事を続けなければならなかった地獄のような一週間でした。幸い、比較的軽度とのことで、3ヶ月もすれば飛び出た軟骨は元に戻るそうで、一安心。
締め切り(納期)に追われる本業を抱えながらのこれら野良仕事は、スケジュール調整に頭を悩ませ、どうしてこんなことに、と嘆いても遅いです。
私は山梨の田舎者ですが、ずっと都市生活者だったので、田舎生活の素人です。
じゃあ、なんで軽井沢に来たんだ、と怒られそうですが、それはまた別のお話ということで。
でも、追分に定住して素晴らしいこともあります。
(1) 毎朝、朝日とともに鳥のさえずりで起こされる。
毎日が、人生で一番気持ち良い目覚めです。いろんな鳥の鳴き声が聞こえます。時代劇でよく出てくる「ピーヒョロヒョロ」という空を舞う鳥(トビだということがわかりました)が本当に見られる。
(2) 敷地が広いので、芝生を作って、思う存分犬を走らせられる。
芝生以外に、花壇でも家庭菜園でもなんでも作れます。
(3) キツネやキジやリスを間近で見られる。
至近距離で遭遇したときは、胸が躍ります。怖くはない小動物でもありますし。でもキツネに遭遇したときは、本当に魔力を持っているかのように感じました。
(4) 家にいながら、新緑や紅葉、 自然の変化や四季の移り変わりが見られる。
真っ白なパウダースノウ。真っ青な空。天文学者になれそうな星空。夜中に庭を煌々と照らす満月の光。
(5) 浅間山の雄大な姿が毎日見られる。
ちょっと雪が残っていて、ちょっと噴煙が上がっているときが、一番美しいです。
(6) 車をあまり気にせず大自然の中を犬と散歩できる。
とくに御影用水温水路沿いの散歩道は、緑に囲まれた水の流れにゆったりとした気分になります。
自然が好きで、アウトドア派の方には、最適な場所です。おまけに日本屈指のリゾートである軽井沢(旧軽あたりのことですが)もすぐそば。住んでるところが観光地です。
軽井沢「田舎暮らし」を本格的に始めて一年目の田舎素人には想像を超えて大変な毎日ですが、腰くだけにならないよう頑張っています!
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軽井沢
2017年04月22日
今のワンコは幸せです。ペット可のホテルやレストランがたくさんある軽井沢は、特にワンコたちにとって楽園(欧州では普通ですが・・・)。先進国の人々は、かつての王侯貴族のようにペットを飼っています。まだまだ不十分ですが、ペットの虐待も徐々に確実に減ってきています。
でも時々考えてしまいます。地球上にはペット以下の生活をしている人々もたくさんいる、こんなことでいいのだろうか、と。
しかし、いろいろ調べてみると、今のワンコは昔より良い暮らしをしている、とも言えないのです。1万年前の犬は、今よりもっと幸せだったかもしれない。最近そう思うようになりました。
犬の誕生。それは、地球上の生物史において奇跡的な現象。
犬は狼と遺伝子的にはほとんど変わらない。でも生まれながらに犬は、人と一緒にいることが幸せと感じるようになっている。
(狼だぞ。外は寒いぞ)
犬は人に愛され、人と共に生き、人の気持ちを理解しようとする能力が、本能の中に備わっています。それだけ人間との心理的交わりが濃かったからだと思います。でなければ、犬が生まれたはずがありません。
(犬です。すっかり寒さに弱くなりました)
諸説ありますが犬が生まれたのは約1万5千年前。1万年前、人類は狩猟採集が主な生活手段。犬は大活躍です。
まず狩猟犬。人と共同して獲物を追いつめます。後年は牧畜犬としても活躍。
番犬。これは今でもやってますね。現代ではあんまり意味ないですが。
愛玩犬。かわいいから、子犬のころは人間の子供と一緒に遊んだのでしょう。
犬は群で生きる動物。だから複数の犬が常に人と一緒に生きていました。
(1) 有史以前。いつも飼い主がそばにいます。
(2) 有史以前。犬は人のために一所懸命働いています。
(3) 有史以前。犬が死ぬと、埋葬されました。
では現代ではどうでしょうか。
多忙ゆえ、犬に留守番をさせます(もちろん成犬になってから、適度な時間。それ以外は虐待)。
精神的に不安定になった犬に、なにか仕事をさせると気持ちが安定するそうです。
現代、犬にお墓を作ってやって、何が悪い(豪華すぎるのはどうかと思いますが)。
(1)と(2)については、1万年前のほうが、犬にとって幸せだったかもしれません。
人間含めどんな生物にとっても生き延びるのが大変だった有史以前、人は犬をペットではなく共に生きてゆく相棒として見ていたはずです。
しかし農耕が始まって犬が軽視されるようになってしまいました。特定の地域をのぞき、ただの番犬に成り下がったのです。
そして今はやっと犬の復権が実現しつつある時代なのです。
今のワンコは昔のように仕事はしていないではないか。いいえ、仕事の種類が変わっただけなのです。
「癒やし」が今のワンコのお仕事。「癒やし」なくして現代人はこのストレス社会を生き延びることはできません。
ワンコはそんな重要な仕事をしているのです。
毎日、ごはんやおやつをおねだりし、寝るか遊ぶか散歩するか、のうちのワンコ。立派な労働犬です!
(お酒の相手はできないけれど)
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自然の驚異
2017年04月19日
小諸のイメージは暗かった。「小諸なる古城のほとり」が、何となく夕暮れを感じさせていたから。
東京を離れてどこかに住んでみよう、という思いで、軽井沢観光の合間に「ペット可賃貸物件」を探した。
これは、というマンション(鉄筋アパート?)は小諸にあった。スーパーとホームセンターが目の前。そばに公園もあって犬の散歩もできる。
部屋は3階の2LDK。北側の窓から見える浅間連山が、目の覚めるような美しさだった。「とりあえずここに住もう」ということになった。
小諸駅はマンションから車で10分ほどの距離にあった。駅から続く街並みは、昭和40〜50年代風。行き交う人も車も少なく、シャッターの下りた店が多い目抜き通りは、時代に取り残された町、という感じだった。
(駅そばにある古いお店。閉店?)
マンションの近隣にある二つの公園。両方とも広いが犬が走れる広場がない(一つの公園にある広い芝生は犬禁止)。そこまで行く道は、歩道はあるけれど狭く街路樹がない。
(地方都市は、周囲が山や森だらけなので、市街地に緑は必要ないと思っているふしがある。)
どの地方都市も同じだが、小諸市も歩道が少ない。そのため犬の散歩が落ち着いてできない(車に気をつけなければならない)。歩道には街路樹がほとんどないため、夏場の散歩は直射日光に晒される。
こちらに移住するまで15年住んだ多摩ニュータウンは、「公園都市」であり「森の都市」。どの車道にも広い街路樹付きの歩道が左右にあり、あちこちに公園があり、木陰がやさしく、緑にあふれている。保守管理も行き届いている。どんな公園にも犬が入れる、ペットと暮らすのにも最適の街だった(飼い主のマナーもしっかりしている)。
(多摩NT若葉台の公園。休日は家族連れキャンパーでにぎわう。)
(多摩NTの標準的歩道と街路樹)
小諸は、そんな多摩NTとは真逆の街だった。
しかし「とりあえず小諸」だったので、何とか我慢し、その間に物件探しをした。移住の候補地は佐久市だったが、多摩NTの環境に一番近いと思えた軽井沢に適当なリゾートマンションを見つけて引っ越し、小諸での3ヶ月の生活は終わった。
軽井沢に引っ越してからも、小諸は近いのでしばしば訪れる。
タイヤを冬用に取り替えるタイヤ店、東京で使っていた都市銀行のATMが使える唯一の銀行、たまに食べたくなるケンタッキーフライドチキンの店、テラスでペットと食事ができる、手入れの行き届いた美しい芝生のある駅前の「停車場ガーデン」。もろもろの用事で小諸に行く。
(駅舎と「停車場ガーデン」のテラス席)
小諸に来る度に、「この町は知っている、かつて住んでいた町」という既視感が生じる。当然だ、住んでいたのだから。
そして時間がたつにつれ、何か懐かしい、親しみがある、故郷(ホームタウン)みたい、小諸が好きになってきた、住んでいるときには見えなかった良さが見えてきた。
そこそこ古い街並みが点在している北国街道沿い。四季折々の美しさが楽しめる懐古園(小諸城)。空間的な躍動を感じさせる坂道。廃れた街並みと思っていたのに、ゆったりしていて心地良い。
(小諸城の城壁)
最初は、移住地への足がかりとして「とりあえず」の小諸だった。
今は、長野における私たちの「故郷(いなか)」として小諸がある。
(駅から伸びる目抜き通り。この二三年で歩道と道路がきれいになった。)
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日記
2017年04月17日
普段、自分の住んでいる土地がどうやってできたのか、なんてあまり考えません。
仕事柄、地盤とか地質とか、そういう分野の文献はよく目にしていますので、個人的には考えないことはありませんが、通常最近の地質変化であっても数万年前に遡ります。
ところが軽井沢に来たら、浅間山という今も活発な地形変化の親玉がでんと腰を据えています。
「追分キャベツ」でも書いたように「追分火砕流」を1108年に放出しました。
我が家の建っているところも火砕流の上。
ところが、いろいろ調べて「追分火砕流の範囲」という図を見つけ詳しく見たら、自宅から少し南に下ったところで、この火砕流は終わっていることがわかりました。
そして、驚いたことに、今まで気にしなかった起伏というか段差というか、地面の変化が、「火砕流の末端(終わったところ)」だったんです。
つまり地質年代で言えばごく最近の「900年前」に起こった変化なのです。
それがこれです。
(南側から見た火砕流の末端段差)

(北側から見た段差)
この下図の黄色い〇の部分が、上の写真です。
場所は、キャボット・コーブの道を南に下り、御影用水温水路を通り越し、しなの鉄道線路の手前右側の傾斜地。
昨年オープンしたカフェ、TREES small cafe + works の向かい側。
この黄色丸の南東側と北東側は、畑なんです。畑だから「伐採して開墾した」と思っていたら、違ったんです。

(左) 黄色丸の北東に広がる火砕流のない部分。道の左が火砕流跡。
(右) 同じく、この畑部分を南から見た写真。森の部分が火砕流。
火砕流に覆われていなかったから、作物が栽培しやすかったのでしょう。
地図で見ると、火砕流の部分は森になっていることが多い。つまり、火砕流の岩屑(がんせつ)で使いようがないから、放置されていた。
放置されると、森になってしまう。岩屑で覆われていないと、作物が育てられるので、畑に使える。
きっと900年前からそういった使い分けがされていたのでしょう。
発見!
目を閉じると、火砕流が止まったあとの凄まじい光景が浮かんできます。
しかし、こういう地形とその成因を知ってニヤニヤと喜ぶのは、「ブラタモリ」を好きで見ているような人たちだけでしょうね・・・。
追分や御代田あたりは全体的に地形がなだらかなのですが、突然地面が上下しているところは、火砕流の末端部かもしれません。
皆さんのお家の周りを見てみましょう。読んでいただきありがとうございます。
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自然の驚異
プロフィール
ブログネームは、ロンド。フリーの翻訳者(日英)。自宅にてiMac を駆って仕事。 2013年に東京の多摩ニュータウンから軽井沢の追分に移住。 同居人は、妻とトイプードルのリュウ。 リュウは、運動不足のロンドを散歩に連れ出すことで、健康管理に貢献。 御影用水温水路の風景に惹かれて、「軽井沢に住むなら追分」となった。
