2018年05月31日

信濃に海


信濃にある「小海線」は、日本で最も標高の高いところを走っている鉄道だ。小諸から山梨の清里を通って小淵沢まで通っている。子供の頃から、「内陸なのになぜ海がつくのだろう」と不思議に思っていた。

小海だけではなく、「海ノ口」や「海尻」まである。八ヶ岳の山麓にあるこれら地名はいったい何なのだろうと。

数年前、軽井沢に移住したころ、仕事(土木、建築、砂防、自然災害関連の日英翻訳)で参考文献をネット検索しているときに、とある論文を見つけ、その謎が解けた。

その論文とは、群馬大の早川由紀夫教授による「平安時代に起こった八ヶ岳崩壊と千曲川洪水」。かいつまんで言うと、かつて八ヶ岳で大崩壊があり、土砂が川(千曲川の上流)を堰きとめ、巨大な堰止め湖ができた。堰止め湖が決壊して、大洪水が起こった、というもの(なお、同論文では崩壊の原因とされる「八ヶ岳の水蒸気爆発」説は否定している)。

その堰止め湖は海のように広かったのだろう。だから海に関する地名ができたわけだ(もともと地名というのは、地形や土地の歴史を反映しているものだから)。

「かつて」というのは887年の8月22日。それはどんな時代だったかというと、空海が高野山に金剛峯寺を建てたのが806年。平将門が乱を起こしたのが935年。

887年の8月22日に起こったのは、「仁和地震」。南海地震と東海地震が連動して起こったらしい。たぶん近い方の東海地震の震動で、八ヶ岳の天狗岳が崩壊した(現在の長野県による「東海地震による想定震度」では小海町は震度5弱)。

大量の土砂が千曲川支流の大月川を堰きとめて(「大月川岩屑なだれ」)、堰止め湖(「古千曲湖I」)ができた。どんな場所でどのくらい広いかというと、研究者の調査では以下のような感じ。

lake2.jpeg
(最初にできた堰止め湖「古千曲湖I」。水深は130メートルあったという)

これは満杯になった状態。ここまでなるのに約10ヶ月かかった。そして888年6月20日、ついに決壊し、大洪水が千曲川沿いを襲った。

佐久市では千曲川両岸の平地も洪水。今のヤマダ電器から国道141号をちょっと南下すると下り坂で橋がある。その下は湯川。つまり湯川の北岸は崖になっている。この崖に洪水がぶち当たって、西側(千曲川と合流する方向)に流下したようだ。

この橋を通った時、「そうか、この崖の上に住んでいた人たちは、洪水にあわずに助かったんだ」と明暗を分けた人たちを思った。

この決壊による洪水後も、堰止め湖は残った。それが「古千曲湖II」と呼ばれるもの(水深50メートルと推定)。こちらはその後130年くらい残っていたらしい。

堰止め湖の上流側に「海ノ口」があり下流側に「海尻」がある。他に「馬流(まながし)」や「広瀬」という地名もあり、こうした地名は100年以上存続した「古千曲湖II」に由来する地名という。

人々は、最初の恐ろしい崩壊、堰き止め、決壊を目の当たりにし、さらにそれから何世代にもわたって第二の堰止め湖と共に生きてきたのだ。

では「小海」はというと、そう、「古千曲湖I」が「大海」だったわけで、その決壊後、そこからちょっと下流に、千曲川の別の支流「相木川」が流れていて、そこが流れ出た土砂で堰き止められ、「小さい海」(「古相木湖」)になった。

two-lakes.jpeg
(上のほうが「古相木湖」で、下の方が「古千曲湖II」)

なんとこの「小海」は、それから600年以上も残っていたことが、戦国時代に描かれた絵図からわかっている。
 
ちなみに映画「君の名は。」の「糸守湖」のモデルと言われる松原湖は、天狗岳崩壊による大月川堰き止めの結果できた湖と言われている。

さて、887年の天狗岳崩壊だが、また崩れる可能性はあるのか。将来の東海地震でどうなるのか、と不安がよぎったが、よく考えてみたら、仁和以降、東海地震は何度も起きている。南海、東南海、東海の3連動地震も起きている。だが再崩壊はなかった。とりあえず安心である。

と思ったが、崩れた天狗岳の西側にある稲子岳は、なんと基盤からほぼ完全に分離している移動岩塊だそうだ!!

Inagodake.jpg
(これが稲子岳。右側の「南壁」を登攀するクライマーも多いようだ)

今後崩壊する恐れなきにしもあらずだから、観測体制を整えるべきだ、という研究者もいる。あな、恐ろしや。

対策を講じて欲しいと言ったって、大きさは、横1000m x 縦700m x 高200mもある・・・。


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posted by ロンド at 18:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 自然の驚異

2018年05月19日

やられたら、やりかえす


世界の常識は「やられたら、やりかえす」である。

いや、そんなシリアスな意味ではなく、常識的な範囲でのコミュニケーションにおいてのこと。

留学経験のない私が、初めて大勢の外国人を相手にしたのは、確か24才ごろ、アメリカからの短期留学生をガイドした時である。

students.jpg
(アメリカのとある高校)

主に西海岸からの高校生(16〜18才)で、短期留学は2ヶ月くらい。各ホストファミリーのところに行く前に、1週間ほど東京や京都を旅行するというプログラムで、私はその旅行の添乗を依頼された。

ドラマなどでよくある生意気で、未成年なのに男女いちゃいちゃしたりするアメリカ人高校生のイメージとはまったく異なり、男女とも皆とても素直でかわいかった。西海岸出身ということもあり、背もそれほど高くなく、人なつこい。肌の色も、髪の色も、目の色も、様々。映画やドラマで見る情景や添乗員として現地をさっと通り過ぎるような過ごし方と違い、ごく至近距離で「移民が作った国アメリカ」が動いているわけだから、とても刺激的だった。

英語もわかりやすく、変なスラングなどほとんど使わなかった。たぶん中流家庭の子供たちだったと思う。驚いたのが、「目をじっと見て話す」ことだった。それは知識として知っていたが、あれほどじっと目を見て話されると、なんだか不思議な気持ちになる。もちろん男子も女子も付き添いの教師も性別年齢に関係なく、程度の差はあれ、皆そうだ。色が違う大きな瞳で見つめられると、引き込まれそうだった。特に女子はその傾向が強く、もちろん親しみや好奇心などの感情はあろうが、ごく常識的なアイコンタクトコミュニケーションなのだ。

さてその40人ほどのグループの中に、二人浮いている女の子たちがいた。私たちガイドにも、意地悪というか反抗的というか、突っかかるような態度を見せていた。
 
こちらの指示に対し「私たちはそんなやり方はしない」とか「私たちは問題ない」とかいちいち文句を言ったり、嫌がらせのようなことを言うのだ。国が違うのだから、やり方も違うのは当然で、その二人以外からはほとんど不満は出なかった。

個人的に、人から意地悪されるという経験はあまりなかった。良い時代だったのか、小学校から高校までいじめのようなものもなかったので、そういう反抗的な態度を示す者にどう対応して良いか、わからなかった。
 
ましてこちらは教師でもなく、相手はまだ未成年だ。さらに「意地悪の内容」も、付き添いの教師に報告するほど深刻なものではなかった。
 
ただ、だんだんと彼女らの態度を腹立たしく思うようになっていった。
 
旅程のなかに、「東京自由行動」というのがあって、私も20人ほどを引率して、新宿駅に連れて行った。そこから自由行動なので、「行動には十分気をつけて。迷わないようにグループで行動して。・・時までに戻ってきてください」というような指示だけ繰り返した。
 
そして例の二人組。その時「そんなこといちいち指図されなくても、私たちは迷ったりしない」のようなことを言われた。ちょっとむかっと来たので、頭に浮かんだとある表現を使おうと思い立った。
 
それは、私の恩師でもある松本道弘先生が著した口語英語表現集にあったものだ。それを使い、「道に迷っても、知らないからね」をちょっときつくして、
 
Even if you get lost, I don't give a damn.
 
と言った。
 
do not give a damn は、do not care (気にしない)の強い口調の口語表現だが、私は「ちっとも気にしない」と軽く突き放すつもりだった。
 
ところが、それを聞いていた20人くらいの他の生徒たちが、その瞬間「キャー」「ウォー」と大歓声を上げたのだ。驚いたのなんのって。周りにいた人たちも、何事かと振り向いていた。
 
彼らは「よく言った」と歓喜の声をあげたのだ。その二人組は皆からも煙たがられていたし、日本人の私が黙って彼女らの仕打ちに耐えていたのも知っていた。だからこそ「よくやった」と狂喜したのだ。
 
私のその発言に、二人組は真っ青になって、「大丈夫よ」とか何とか強がって、消えていった。思わぬ大効果に、やった、ざまあみろ、と内心ほくそ笑んだ。あの表現は、日本語にすれば「おまえたちが路頭に迷おうが、おれはそんなこと屁とも思わねえよ」ほどの衝撃があったのだ。

さらに驚いたことに、私が宿に戻って自室にいたところ、午後になってその二人が「迷わずに戻ってきたよ」と報告に来たのだ。なんとしおらしいことか。

それ以降、二人は私たちガイドに反抗的な態度を見せることは一切なかった。

性格がひねくれていたのか、単に反抗期だったのか。もとより教師には楯突くことはできないから、英語を話す大人しそうな日本人ガイドがいじめやすいと思ったのか、とにかく意図的に嫌がらせをしていたのだろう。でも、「だまっちゃいないよ」という態度を、きつい英語を使って見せたら、彼女らは反抗をやめた。「やられたら、やりかえす」というのは、「こいつは、やったら、やり返してくる。バカにできない。対等に扱ってやろう」という、一種動物的なコミュニケーションプロセスなのだということが、身にしみてわかった。

私の「反撃」は、怒鳴ったわけでも罵倒したわけでもなく、ただ普通の口調で I don't give a damn. と言っただけだったのに。

子供がいじめられ、それを解決するエピソードが、アメリカのドラマや映画によく出てくる。たいてい「やり返す」ことで決着している。相手が「反社会的」「犯罪的」「個人的に恨みがある」のような場合でなければ、だいたいはこの「やられたら、(同じ程度で)やりかえす」で解決するのだと思う。ドラマや映画のエピソードは、少し誇張はあるかもしれないが、実情を反映しているはずだ。

もちろん異常な例外はいくらでもあるだろうが、外国においては、我慢せずに勇気を持ってその都度やり返せば、ケリがつくことも多いのだろう。直情的ではあるが、とてもストレートでわかりやすい。やり返せばどんどんいじめがエスカレートして陰湿になるような日本ではこうはいかないのだろう。

それにしても、あの二人組の変わりようといったら、なんともかわいらしいというか、興味深いというか、予想だにしなかったハプニングで、ほとんど海外在住経験のない私にとって、とても貴重なリアル異文化コミュニケーション体験だった。

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(新宿駅で切符を買う外国人)


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posted by ロンド at 17:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 英語

2018年05月07日

神様があふれている


日本は八百万の神々が住まう国。日本全国あちこちに、いろいろな神様がいる。経済大国、文化大国で、これほど神様がたくさんいる国は非常にめずらしいと思うが、日本人自身そのことを意識している人はあまり多くないと思う。

日本の在来宗教は神道。これはアニミズムの一種。アニミズム(animism)とは、人類が初めて感じた宗教的な感覚で、自然を畏れ敬い、自然現象を始め万物に霊魂が宿るとする。必然的に神様(精霊)がたくさんいることになるので、アニミズムは多神教に分類される。animism の語源は、ラテン語の「生命」「魂」などを意味する「anima(アニマ)」に -ism を付けたもの。

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(雷。日本神話では「いかづちのかみ」。北欧神話では「トール Thor」と呼ばれている。映画「マイティー・ソー」の「ソー」だが、「ソー」はどうかな、と思った。「トール」ではいけなかったのだろうか。)

どんな世界観かというと、誤解を恐れずあえてアニメ的(アニメーションも anima を語源とする)に言えば、「もののけ姫」や「千と千尋の神隠し」だろう。神様、妖精、妖怪、生霊、死霊なんでもありだ。私は「千と千尋」のような世界は、ひょっとして本当にあるのでは、と思っている。

本来、地球上は神様(精霊)でいっぱいだった。でも、その神様たちは今では「一神教」、つまりこの宇宙を創始した創造主たる唯一神の宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)によって、肩身の狭い思いをしている。

聖書やコーランでは、多神教はあまりよく書かれていない。生きるのが困難な時代は、人の生贄を求めたり、非道な儀式があったり、必ずしも「素朴」ではなかったから、その時代の多神教は一神教徒たちにより、よろしくないものとみなされたのだろう。

一神教および人間であるお釈迦様が説かれた仏教のような世界宗教は、確かに、その高度な智恵と教義と倫理観と世界観により、多くの人々を救い導いてきた。

だが私は最近、既成宗教に疲れを感じている人々が増えてきているのではないか、と思うようになった。

9.11などのどうしようもなく悲惨な事件や抗いようのない大災害のあとは、日本で「千の風」として知られている "Do not stand at my grave and weep”(私のお墓のまえに立って泣かないで)が朗読されるという。この詩は20世紀初頭にアメリカ人女性が作ったものと言われている。時代から当然一神教徒であったはずだ。

ところが、「私は千の風。私は雪。私は雨。私は畑。私は太陽の光。私はお墓にいない」という詩は、まさしくアニミズム。それが残された人々の心を楽にしてくれる。「千の風」は、人間の心の奥底に残されたアニミズムの部分と共鳴するのではないか。

だが「千の風」は一神教の考えとは相容れないので、キリスト教から煙たがれているし、仏教からも好ましく思われていない、と聞く。

既存宗教の多くは、人の存在理由、生命の意味、生きることの意義、死、正義、復讐、裁き、死後の世界など、人間とこの世界についてのあらゆることを決めている。それは人々が生か死かの限界状況にあるとき、人々を勇気づけ力強く導けるのだが、比較的平和な状況では、逆に重荷になってくるのではないだろうか。

私にとっても今の既存仏教はとても重荷だ。よく言われるように「葬式仏教」と化しているし、四十九日、一周忌、三回忌、などなどそのたびに法要を行い、お布施やお香典(お金)が必要になる。戒名なんて本当に必要か。私は、お釈迦様は信じているし、その意味では Buddhist だが、そもそも現在の日本の仏教は、お釈迦様が直接説かれたものではない。

私は次男なので、自分の墓が必要だ。どの宗派にするのか。 継承者がいない我が家の墓はどうなるのか。さらに長女である妻の両親の墓はどうするのか。

普通の墓地は、継承者がいないと30年で合葬墓に移される規則があるという。継承者がいない仏は、かつて「無縁仏」と呼ばれた。何と冷たい言い方であるか。

私は正直、どうしたらよいかまったくわからなかった。

だがこうした心の重みは「千の風」を聞いたとき、一気に軽くなった。そうか、死者は風になってここにいて、いつでも会える。お墓で魂を縛る必要はないんだ、と。さらに物理的問題は、以前住んでいた多摩ニュータウンのそばにあった「桜葬」が解決してくれた。

桜葬は、桜を墓標とする樹木葬墓地で、「永代の直接埋葬」が特徴の新しい墓制。

2ayane_sakura.jpg
(桜葬のとある区画。桜の木が区画の中央に立っている。)

今、私たちの桜葬区画には、妻の両親が眠っている。私たちの場所もある。私たちの死後は、何の費用もいらない。永遠にそのまま、土に還る。そして私たちも桜葬に眠ることになる。「アニミズム式の葬式」というのはないので、私たちの場合は無宗教で葬礼をし、もちろん戒名もない。

原初のアニミズムは、自由だ。今の我が家の庭には、妻の両親も風にのってやってくる。義父母が愛した文鳥チロ、私たち夫婦がかわいがった文鳥のチョンとピーちゃんも、いつもどこかでさえずっている。そして皆、風になったり光になったり雲になったり、いつも会いたいときにはそこにいる。

それが私たちのアニミズムである。世界はアニマでいっぱいなのだ。

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(千の風が吹く追分の庭)


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posted by ロンド at 16:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 宗教
プロフィール
ブログネームは、ロンド。フリーの翻訳者(日英)。自宅にてiMac を駆って仕事。 2013年に東京の多摩ニュータウンから軽井沢の追分に移住。 同居人は、妻とトイプードルのリュウ。 リュウは、運動不足のロンドを散歩に連れ出すことで、健康管理に貢献。 御影用水温水路の風景に惹かれて、「軽井沢に住むなら追分」となった。