海外在住経験がないと書いたが、実は3ヶ月だけグアムに滞在したことがある。今思えば、まったくの英語珍道中だった。
5年勤めた通信社を辞めたあと、フリーで翻訳業を始めたが、当時まだ実力が伴わず思うように仕事が来なかった。そんなとき、「グアムで長期間アドミ業務」という英語関係の派遣業務が新聞の募集広告に載っていて、応募し採用された。
派遣先は、グアムにてアメリカ軍より弾薬埠頭建設工事を請け負った日系建設会社の現場事務所だった。アドミ業務というのは、「管理 administration」関係の仕事で、行ってみてわかったことだが、要は何でも屋だった。

(グアム島のとある建設現場。実際も、こんな感じだった。)
通訳、翻訳はもちろんのこと、作業員との交渉や買い出し、弁当の調達、運転手など、とにかく雑用係だった。
工事現場の作業員はすべて現地の人たちで、原住のグアム人(チャモロ族)。この人たちの英語がまったく聞き取れなかった。
着任早々、日本人スタッフに「ちょっと通訳して」と呼ばれ、現場に行ってみると、チャモロ人の若者が何か言っている。私は、隣に立っていた駐在してしばらく経つが英語が苦手というU氏に「今、何て言ったんですか」などという、通訳にあるまじき質問をしてしまった。
ところがU氏はあきれながらも「たぶんこんなことじゃないかな」と説明してくれた。(それでも通訳か)と思われたことだろう。穴があったら入りたかった。
その後、だんだんと彼らのナマリに慣れてきて、聞き取れるようにはなったが、日本人スタッフとのやりとりにおいて私の通訳技術が活かされることは、ほとんどなかった。内容は仕事のことなので、英語の苦手な日本人スタッフでもだいたいわかるのだった。
何かの用事で街に行った帰りにレストランに寄ったことがある。初老のおじさん含めた作業服姿の日本人男性4人である。店はアイスクリームやパフェなど甘味系専門店 Swensens(スウェンセンズ)だ。「日本じゃこんなことできないよなあ」と皆笑いあった。日本ではいい年をした男たちが作業服着てスウェンセンズなんか行けない。今だってそんなことしたら奇異な目で見られるに違いない。(当時スウェンセンズには甘味メニューしかなかったような気がする。一時期東京にも出店していた。)
アイスクリームがいくつも乗ったサンデーがおいしそうで、皆同じ物を選んだ。さて注文だ。こういう時は何というか。私は頭の中で英文を作った。東郷勝明講師によるNHK英会話のテキストにぴったりの表現があった。「One for each. 」だ。メニューを指さして、「This one. One for each.」と言おうとした瞬間、英語がうまいというY氏が、
Same one around.
と言った。ウエイトレスはすぐ理解し、笑顔で戻っていった。
(そんな言い方知らない・・・)とまたもや面目がつぶれた。「みんな同じ物を一つずつ」という意味で、よく使う表現だという。私の存在価値はなんだろう、と落ち込んだが、海外に住んだことがないのだからと、開き直るしかなかった。(この表現が本当に正規表現かどうかは確認とっていない。調べてもわからなかった。ウエイトレスが即座にわかってくれるのだから、問題なく通じる英語なのだろう。)
男たち4人で周囲を気にせず思う存分食べたたっぷりのアイスクリームはおいしかった。
米軍が工事業者との交渉や工事管理のため雇っている管理会社は、日系人が社長だった。その社長の息子はちょっとどら息子で、名前をアーロン(Aaron)と言った。最近、父親の仕事を手伝い始めたところだという。
日本人スタッフは「アーロンさん」と呼んでいた。ところがアーロンは「その発音違う」と言うのだ。通訳としてそこにいた私が「Aaron でしょう」と発音しても、「違う」と即返。何度も「Aaron」を発音したが、結局最後まで「違う」の一点張りだった。
Aaron はそんなにむずかしい発音なのか。英語のプロとしての評価が地に落ちた。
親父さんは仕事の関係者に対しいろいろ気を配っていたようだったが、息子は「気遣い」というものを知らなかった。
一般的に、外国人の名前は覚えにくいし発音しづらい。作業員のチャモロ人たちも、日本人の名前を覚えるのが苦手だった。作業員担当だったU氏の名前はまともに発音されたことがない。U氏は「植松」さんだ。「う・え・ま・つ」だが、これがチャモロ人の間ではどうなるかというと、「ウエ」が消えて(というか忘れて)「マッチュ」になり、最後には「チュ」になった。植松さんは何度となく「チュ」と呼ばれたが、特段気にする様子はなく、意思疎通できれば、何でもいい、ということだった。
米軍との交渉担当は英語が堪能なM氏。名前は「森山」さんだが、特別むずかしい発音の名前ではない。しかしこれがラテン系っぽい名前に変化してしまうのはおかしかった。
米海軍の担当官の一人は女性将校。知的で、日本人との交渉経験も多かったはずだが、通常英語では「モリヤーマ」と発音される「Moriyama」が、ちょっと気が抜けると、「モリヤーノ」になっていた。まるでヒスパニック系の名前 Moriano である。
女性将校の名前は忘れたが、いつも白い海軍の制服で颯爽と現れる。美しい顔立ちで物腰も柔らかく、森山さんも「モリヤーノ」と言われて、まんざらでもなかった・・かもしれない。
こうした交渉の場にも私は同席したが、交渉担当の日本人スタッフは英語ができたので、通訳として活躍することはあまりなかった。ただ、仕様書などの公式書類を読みこなすことや翻訳したり英語を書いたりすることは得意だったので、その点では役に立てたかもしれない。
結局は、「英語のできる何でも屋」だったということである。重宝はされた。

(空は青! 雲は白! 海は青! という原色であふれたグアムだった。)
グアム滞在は、最終的に3ヶ月で終わった。労働ビザが降りなかったのである。当時(1990年前後)、日本企業がグアムでたくさん仕事を請け負っており、これ以上労働ビザは出せない、ということで、帰国せざるをえなかったのだ。
アメリカ人やフィリピン人を含め現地の人々は陽気で明るく、熱帯の暑さも気持ちを明るくしてくれた。初めての長期海外滞在で、穴がいくつあっても足りない仕事ぶりだったが、フリーランスへの足がかりとなる有意義で楽しい3ヶ月だった。
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