2018年07月20日

追分の森を行く


連日猛暑が続く日本列島。どこかで気温40度に達すれば、軽井沢で30度を超してもおかしくはない。しかし日が落ちてくると、追分の森はぐっと涼しくなってくる。さすが高地だ。
 
涼しさが増してくる夕方5時過ぎに、我が家のワンコと散歩に出るのがこのところの日課だ。
 
追分の森を歩く。朽ち果てた別荘を見ると感傷的な気持ちになるが(軽井沢別荘哀史)、最近は森そのものに気を惹かれる。
 
森の中をじっと見てみる。人が作った道以外はとても入れそうも歩けそうもない深い森。高さ10〜20メートルの木々のことではなく、その間を埋め尽くす下生えがすごいのだ。

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(まるで密林である)
 
時々、森の中を人が行く映像をテレビ番組や映画で見るが、以前は何も思わず見ていた。自然の森の中を逃げるとか迷うとか走るとか、そういうシーンだ(たいてい季節は夏や温暖な季節)。周りは高い木々が茂っている。緑におおわれた美しい森。人は「森の小径」ではなく、高木の合間を縫って進む。
 
数年前森の中に越してきて、「それは自然の森ではない」ということがよくわかった。あれは下生えを抜いて切って管理された「公園のような森」に違いない。でなければ、あれほど人が動ける空間があるはずがない。
 
あれは「フェイク」いや「撮影用の森」だったのだ。

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(これは下生えを切ってある管理された森)
  
もちろん自然の状態であっても標高が高くなると草原もあり、地形が急峻だと下生えの少ない場所もあろう。しかし特に日本のような温暖でモンスーン気候帯にある場所ならば、自然の森はそう簡単に人を寄せ付けないはずだ。
 
小さいときから「獣道(けものみち)」という言葉は何度も聞いたことがあった。ドラマだったのか、逃亡者が森の中の「獣道」を通って逃げる、というような設定だったのかもしれない。「野生動物が頻繁に通るため、自然に作られた道」である「獣道」は本当にあるのだろうか。特に19世紀以降大型獣は少なくなっている。クマ以外に「獣道」のような、かすかに道だとわかるような跡を森の中に付けられる大きさの動物はいるのだろうか。
 
カモシカ? イノシシ? キツネ? タヌキ?
 
実際に存在するという「獣道」をこの目で見てみたいが、この歳で、いや歳に関係なく、道のない森の中に入る勇気はない。
 
森の中の「車道」を通っていても、突然野生動物に出くわすことがある。
 
先日はカーブを曲がったその先にカモシカがいた。こちらを見ながらゆっくりと道路脇の森へ消えていった。やっぱり「もののけ姫」の世界なのか(童話と神話とこの世の間)。

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(哀愁のある顔立ち。カモシカと数秒見つめ合った。)
  
2メートルはあろうかというヘビがゆっくり道路を横切る。車を停め、ヘビが通り過ぎるのを待つ。そのまま行けば間違いなく踏んでしまうし、歩行者優先だ。
 
ある日、40キロほどで走る車の下を、横から飛び出してきたキジが走り抜けた。ブレーキを踏む間もなかった。後ろを見ると何もないので、轢かなかったということがわかったが、心拍数が跳ね上がった。
 
2週間ほど前、近隣の散歩コースにクマが出た。雨の降っている日の午後3時頃目撃されたという。その前日、雨の上がったその近くを散歩したことを思い出し、背筋が凍った。
 
追分でも国道18号線の北側では、ときどきクマが出るのは知っていたが、まさか交通量の多い18号を渡って南下するとは思わなかった。
 
今は毎日、散歩バッグの奥にしまい込んであった熊鈴を鳴らして、なるべく御影用水温水路の別荘が多く人(犬散歩)通りの多い(といっても観光シーズン以外、人気がないときが多いが)ところを歩くようにしている。
 
クマとの遭遇対処法をよく読んで頭に入れておかなければ(実際対処できるかどうかは別にして)。インスタ映えするような写真も撮りたいが、そういう場合じゃないだろう。
 
明日どんな動物に会うかわからない追分の森である。


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posted by ロンド at 17:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 自然の驚異

2018年07月05日

幻の歴史遺産


ヨーロッパには世界歴史遺産があちこちにある。添乗員として行ったことのあるローマなど街全体が歴史遺産みたいなものだ。基本的に石造りなので、耐用年数が長いことや、火災で崩れ去ることも少ない。歴史的建物の保存意識が高いこともあるが、それだけでなく、「戦災で破壊されなかった」という理由も大きい。
 
私が通訳ガイドの勉強をしているとき、新聞に載った「空襲を受けた都市」の図を見て体が震えた。東京大空襲は知っていたが、日本中ほとんどの都市が、アメリカ軍の空襲を受けていたのだ。あのときから、私の戦争に対する考え方が変わった。「どうしてそこまでするか」と同時に「どうしてそこまでさせたか」という思いが交差した。
 
私の生まれ故郷甲府も終戦1ヶ月ほど前の1945年7月6日深夜、空襲を受けた。母によると、「B29が富士山の向こうから飛んできた」のだそうだ。空襲の中、祖母に「もう水を飲めなくなるかもしれないから」と言われ、ドブの水を飲んだという。幸い母たちは逃げ込んだ寺が焼失を免れたので助かった。多くの人が命を落としたこの空襲で、市内の8割近くが焼失し、当然昔ながらの街並みもすべて灰燼に帰した。
 
世界遺産に登録された萩を含む、昔の街並みが残っている尾道、津和野、松阪などの諸都市は、どれも空襲を受けなかった街である。爆撃された都市は、軍事的または戦略的に重要だったから、と一般には言われている。
 
しかし甲府には、大きな軍需工場もない一地方都市だったのに空襲を受けたのはなぜか。「重要な都市はすべて焼き尽くしたから、焼いても意味がない中小都市を空襲した。それに東京に近かったから」という衝撃的事実がわかったのはつい最近のこと。
 
幸いながら、攻める側にとって重要性もなく山間部にあるかつての宿場町などは、被害はなかった。そうした昔ながらの街並みが残っている宿場町は、長野県にもいくつかある。軽井沢から車で30分くらいで行ける東御市の「海野宿」。山中を通る中山道の「奈良井宿」「妻籠宿」「馬籠宿」(現在は岐阜県に編入)は有名である。
 
私が住む追分には、追分宿があったが、わずかに残った宿場町の面影を大切にしている。今の追分宿には、昔の佇まいに加えて、別荘地という独特の魅力がある。

Oiwake-juku.jpg
(昔の雰囲気が残っている追分宿の一角)
 
追分宿は、鉄道の開通で中山道が廃れて、町も廃れてしまった。同様に、追分宿の隣の沓掛宿(今の中軽井沢)も同じ運命。軽井沢宿だけは、アレクサンダー・クロフト・ショー宣教師のおかげでリゾートの中心地として繁栄を続けられたが、海野宿のように昔の街並みが残ったわけではない。

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(タイムトラベル感あふれる海野宿。軽井沢から近いのでたまに行きたくなる。)
 
海野宿は、北国街道は廃れても、町としては養蚕で繁栄を保つことができたため、江戸時代と明治時代の建物が残った。

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(海野宿。写真中央に見える「類焼防止のため妻壁を張り出させたもの」が「卯建(うだつ)」。「うだつがあがらない」のは、卯建を作るだけの金銭的余裕がないこと、そこから、出世できない凡庸な人のことを言うようになった。)
 
妻籠宿は、貧しさ故建て替えができず、昔の建物が残ったという。10年以上前、妻籠宿で江戸時代の旅籠だった旅館に泊まったことがある。なかなか寝付けなかった。天井が低く、壁も薄い。ああ「黄門様ご一行」はこういう宿に泊まったんだな、としみじみ思った(もちろん本物の水戸黄門様は全国行脚などしなかったが)。
 
昔の街並みが残ったのは、戦災を受けなかったということだけでなく、明治維新以降にそれなりの繁栄を続けられたこと、貧しくて建て替えられなかったこと、早い時期に歴史的街並み保存の重要性に住民が気づいたこと、など様々な理由があった。
 
ただ戦災がなくとも、古き良き時代の面影は、時代の流れでどんどん消えていったことだろう。さらに現代では「スクラップ・アンド・ビルド」(壊しては建てる)が建てて売る側の常識的な戦略になってしまっているため、古い物を壊すことに罪悪感など感じなくなっている。
 
だが、もしあれほどひどい空襲を受けなければ、日本には今よりはもっとたくさん、もっと古い建築物が残ったはずである。
 
山中や地方に残る宿場町の歴史的価値は、ユニバーサルでもある。奈良井宿などがある「木曽路」は、外国人観光客にも人気のルートだ。
 
アメリカ軍があえて爆撃を避けたと言われている、奈良や京都の世界レベルの歴史的価値は言わずもがなである。

もっと昔の街並みがあちこちに残っていたら、日本人の建物に対する見方も変わっていただろう。もし、今の京都や奈良で見られるような歴史的建造物が、日本中の都市に残っていたとしたら、「発展だ、開発だ、さあ壊せ」と簡単に思っただろうか。ヨーロッパのように戦後早くから歴史的建物の重要性に気づき、建築的価値に目覚めたかもしれない。

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(世界遺産、奈良の法隆寺。7世紀に建てられた世界最古の木造建造物)
  
歴史に「if」は禁物だが、もし日本を焼土にさせないような知恵が当時の日本にあったならば、この国にはもっと多くの「世界歴史遺産」があったことだろう。 例えば、戦前の甲府では普通の景色だった「黒い塀と白壁の土蔵が立ち並ぶ城下町の風景」は、今となっては幻の歴史遺産である。

国破れて街もなし。


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posted by ロンド at 16:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史
プロフィール
ブログネームは、ロンド。 2013年に東京の多摩ニュータウンから軽井沢の追分に移住。今年還暦に。 同居人は、妻とトイプードルのリュウ。 ロンドは、フリーの翻訳者(日英)。自宅にてiMac を駆って仕事。 リュウ(13歳)は、運動不足のロンドを散歩に連れ出すことで、健康管理に貢献。 御影用水温水路の風景に惹かれて、「軽井沢に住むなら追分」となった。