東京にいたときは、時々通訳もやっていた。私の専門分野(土木・建築など)における翻訳関連の通訳業務だったので、私はたいていゼネコン側の通訳者、相手(顧客)は外資系企業や外国公館が主だった。
通訳の仕事をしていて、頻繁に聞かれる質問があった。その1つは、「留学されたのですか」というもの。私は留学の経験はない。英語ができる人や通訳者は、留学した人、と思われることが多いのだろうが、実際は留学した人で通訳者になっている人は少ない(職業として選ぶ人は少ないのだろう)。それに留学しなくても、今の日本には英語を学ぶ環境が十分整っている。
また留学などをして日本語も英語も同じように話せる人は、通訳ができるだろう、とも思われているようだが、これも必ずしもそうとは言えない。
「通訳」とは「口頭にて、1つの言語を別の言語に翻訳する」ことで、
簡単に言えば、
I went to Tokyo the other day to have a medical checkup at a national hospital that opened last January.
という英語を
「私は先日、今年の1月に開業した国立病院で健康診断を受けるため、東京に行きました」
という日本語にするわけだが、違いは明白。語順がほぼ正反対。
英語と日本語、それぞれ完璧に話せれば話せるほど、英語は英語として日本語は日本語として理解する。だから、時間の経過に伴う情報は、最後は同じになるが、途中は異なるわけだ。通訳となると、この「時差」と「真逆の語順」を乗り越えなければならない。それには、やはり「訓練」が必要になる。
だから、幼少期を英語圏で過ごし、日英両方をマスターしたバイリンガルでも、この特殊技術を学んで練習しないと、なかなか通訳はできない。実際にアメリカ育ちのバイリンガル日本人女性通訳者から、「両方100%わかっていても、通訳できなかったのがもどかしかった」と聞いたことがある。
ある帰国子女の日本人アイドル歌手が、ステージ上で通訳をすることになって、しどろもどろで恥ずかしい目にあい、心機一転、大学で通訳技術を学びなおした、と聞く。
さらに、通訳者というと「英語がペラペラ」「日常会話はお手のもの」と思われがちだが、帰国子女の通訳者や、英語ネイティブスピーカーと一緒に住んでいる人はのぞき、必ずしも当たってはいない。
なぜならば、通訳者に必要なのは日常会話ではないからだ。さらに私のような在国通訳者の場合は、英語の日常がないので「英語で日常」を過ごしたことがない、つまり英語で日常会話をしたことはほとんどないからだ。
「やられたら、やりかえす」や「グアム英語珍道中」で書いた「アメリカ人短期留学生」と「グアムのアメリカ人従業員」と短時間「日常」を過ごしたことがあるくらいだ。延べ時間、それぞれ1時間程度である。仕事とはまったく関係ない、英語での会話。思い起こせば「ああ、あれが日常会話か」となつかしく感じる。
「意見を述べる」「説明する」「ディスカッションする」「ディベートする」などでは、テーマに一貫性があり、英語も流れるように出て来て、相手とも白熱したやりとりを続けられる私も、日常会話となるともの静かである。なにしろ「とっさの反応」が求められたり(例えば "Where has he gone?" と突然聞かれたり)、日常でないと使わない表現がたくさん出てきたりするから("OK." と "I'm OK." では意味が違う、など)、なかなか対応できない。
通訳と日常会話について、こんなエピソードがある。
ゼネコンの通訳者として、横浜ランドマークタワーにある外資系企業を訪ねた。同企業が進めている建設プロジェクトの打合せだった。

(会議のイメージ写真)
打合せの中心人物はアメリカ人の幹部。支社長だったかもしれない。彼にはバイリンガルの女性秘書がついていた。他の日本人スタッフも英語でアメリカ人スタッフと気楽に話をしていた。仕事と直接関係のない、時々の状況や個人の感情や意図に応じて変化する、日常会話のようなものである。
私は「通訳」と紹介された。挨拶や自己紹介の間、アメリカ人幹部の英語の発言は、隣にいる秘書が通訳するので、私は無言。ゼネコンスタッフの発言も、秘書がウィスパリング通訳(耳元でささやくように、一人にだけ聞こえる声で行う同時的通訳のこと)していたので、あえて私が再度通訳するまでもなかった。
つまり、しばらくの間、私はほとんど英語を話していなかったことになる。そうして、相手方スタッフの私を見る目が「不安」に変わったのがわかった。この人本当に通訳できるのか、という疑惑が顔に表れていた。
前置きの会話が終わり、本題の「設計」「工程」「工法」など専門的事項について、ゼネコンスタッフが説明を始めた。するとまもなくウィスパリング通訳をしていた秘書の声が途切れた。専門用語が多くなり、発言が長くなって、通訳できなくなったのだ。
1分超くらいの長い説明が終わったあと、ずっとメモを取っていた私が通訳した。ほとんど同じ内容を英語で再現した。
その時、私を疑いの目で見ていた彼らの表情が変わった。日本人スタッフは皆英語がわかるので、私の通訳内容が正しいことはわかる。もしかしたら本格的、専門的な逐次通訳の仕事というものを初めて目にしたのかもしれない。特に秘書は目を大きく見開き驚嘆の表情を見せていた。
その後、アメリカ人幹部の発言も、専門用語が入ってきて、長くなると、秘書に代わって私が通訳した。こういうやりとりが1時間2時間と続き打ち合わせは終わった。
極度の神経集中による疲労感はいつもと同じだったが、その場の空気が変わったと感じたあの時、通訳冥利につきる瞬間であり、記憶に残る仕事であった。
もう1つよく質問されることが、通訳におけるメモ取りについてである。「速記ですか」と聞かれる。速記ではない(速記の技能は持っていない)。発言内容を、日本語や英語や記号で記すだけである。
原稿を読む発言やスピーチとは異なり、こういった会議や打合せは、「考えながら話す」ので、それほど大量の情報を出せるわけではない。したがって、話の内容に一貫性があれば、1〜2分程度はメモに取って、ほとんど同じように復元できる。
通訳者のメモとは、そういうものである。特に逐次通訳者にとってメモ取りの技術は必須である。
ただ、私は通訳業務が終わって時間がたつと、自分が何を書いたかわからなくなる。だが、いつまでたっても完璧に内容を再現できるメモが取れる通訳者もいる。それを知ったときは「レベルが違う・・・」と、意味不明の落書きと化した自分のメモをじっと見たものである。
通訳業務においては通常、事前に情報が通訳者に渡されているものである。私が受けた通訳業務は翻訳にも携わっているプロジェクトが多かったので、内容は熟知していたし、説明も苦労はなかった。何も知らされずに「通訳に行ってくれ」と言われても、観光ガイド的なショッピングのお供とか銀ブラだったらいいが、議題が決まっている打合せの通訳などなかなかできるものではない。
「高橋さんの、せんこうさんでは、かんちをすりっぷに変更してあります」なんていう日本語を突然聞かされても、いくら土木建築の語彙に詳しい私でもちんぷんかんぷんである。
これは「高橋建築事務所の出した先行案その3では、カンチレバー工法をスリップフォーム工法に変更してあります」という意味だなんて、わかるはずがない。
まあそんな通訳業務もやらされたことはあるが、それはまた別のお話ということで。

(何度か通訳業務を行った横浜のランドマークタワー)
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