大げさな、と思うなかれ。Kaiju という日本語は、2013年の大ヒット米SF映画「パシフィック・リム」で使われている。2019年公開予定のハリウッド製ゴジラ新作映画「Godzilla: King of the Monsters」では、ゴジラだけでなく、ラドンもモスラもキングギドラも出てくる。
日本ではゴジラに並ぶ人気怪獣「ガメラ」も、けっこう外国のファンが多いようで、数年後にはハリウッドで実写化されるかもしれない。(実は私はガメラファン。平成3部作、特に最後の「ガメラ3」におけるガメラは神がかり的機能美だ。)

(初代ゴジラ。ゴジラの造形は類い希なデザイン力によるものだと思う。アメリカも含め世界の怪獣は、爬虫類か恐竜の姿を似せたものでしかないが、ゴジラの造形はそれとはまったく異なっている、と私は思う。)(写真:Wikimedia Commons)
なぜ日本には怪獣が多いのか。私は怪獣ファンでもあったので、英語の仕事に携わるようになると、「異文化コミュニケーション」の重要性を意識するようになり、その「なぜ」をよく考えるようになった。
(1) 多神教(アニミズム)の宗教的要素
天地創造の神は日本にはいないので、「生物」を、「神や悪魔にでもなる巨大な怪物」を、自由に創作できたのだろう。
(2) 世界大戦を闘った軍事大国
戦艦大和のような巨大人工物を作ることができたわけだから、「巨大で強大」なものを創造(想像)するという実体験はあった。それに戦争による日本全土での爆撃や破壊を目の当たりにしたことも、無意識のうちに「巨大生物が街を破壊する」映像の創作につながったのかもしれない。
(3) 人間以外の生き物に対する日本独自の文化的考え方。
日本の豊かな自然、それに天変地異の多さもあり、「妖怪」や「魔物」などの「もののけ」は、昔から書物に現れていた。平安時代に伝来した妖怪物の元祖といえる中国の地理書「山海経」をヒントに日本人がいろいろ化け物を考えたとも言える。そして日本はアニミズムの世界であり、妖怪の進化と活躍はさらに広がった。
また動物や人造物を擬人化する文化的素地もあった。11世紀ごろ作成されたと言われる「擬人化された動物が描かれた」絵巻物「鳥獣戯画」(国宝)は、マンガの「祖」とも言われている。私も「鳥獣戯画」を何十年も前に知り、それ以来この絵巻物から今の日本の「キャラ王国」「怪獣王国」への連続した文化的流れを感じていた。(「鳥獣戯画」ウサギとカエルの相撲。これを見ているともうマンガだね。)(写真:Wikimedia Commons)
「もののけ」を擬人化する文化、妖怪を身近に感じる文化、それが近代になってアメリカから輸入した「娯楽文化」と相まって、「怪獣」を作り出したのだろう。
(4) 歴史的復活体験
もう一つ、非常に大きな要素がある。日本の怪獣、特にゴジラは、その誕生は「反核思想」であった。何しろ水爆実験で蘇った太古の恐竜がゴジラなのだ。
実はゴジラ誕生に先立つ1年前の1953年、「The Beast from 20,000 Fathoms」という米国映画で、核実験により蘇った古代恐竜(邦題「原子怪獣現る」)が「怪獣」として初登場する。これにヒントを得たとは思うが、この映画がなくても、ゴジラは誕生していただろう。
ゴジラは水爆実験で生まれた怪獣。それが東京を破壊する。しかし最後は撃退する。「反核」の名を借りて、敗戦のトラウマ解消を狙ったのでは、と私は思っている。
さて、そんなゴジラが、核爆弾を落とした張本人のアメリカで映画化されるようになったのは、どうしてか。
それは、日本は「太平洋戦争の被害者としての部分、原爆の被災者としての部分」だけを強調することを選ばなかったからだ。
日本人がつらい体験をしたのは、今次大戦だけではない。他民族の侵略こそほとんど受けなかったものの、地震や噴火などの自然災害では昔から大きな被害を被ってきた。それは誰かを責められるものではない。ただ粛々と受け止め、そこから生き続け、這い上がるだけである。
戦後の「怪獣」創作においても、戦争の悲惨さ、苦しみ、つらさ、悲しみをすべて包み込んだうえで、生きていくために必要な娯楽としての要素を取り入れ、「怪獣」を世界的な価値にまで高めることに成功したのだ。
ゴジラも、ガメラも、(怪獣ではないが「ウルトラマン」も「アトム」も「サイボーグ009」も)、なぜか哀しみを背負っていながら、懸命に生き闘う(あるいは破壊する)のは、そういう日本人の遺伝子によるものではないだろうか。
ハリウッド(米映画界)の価値、ハリウッド映画化の価値を否定する人は多いかもしれない。しかし、好き嫌いは別にして、ハリウッドは米国のご都合主義や思想を押し付けるためだけに、何億何十億ドルもの金を掻き集め、映画制作をしているのではない(一部はそうかもしれないが)。ユニバーサルな価値を見い出し、世界市場で「売れる」と思うから、映画を作って世界に売り込んでいるのだ。そしてハリウッドで映画化されたキャラクターは、世界中の人たちが見ることになる。驚異的な媒体ではないか。
モンスター始め様々なキャラクターは世界中で創作されているが、人類史上まれに見る「近代的自由主義のもとで飛躍した多文化・他民族の融合」で圧倒的新規性と創造性を示し続けているアメリカは別格とし、日本はその他の国々の追随を許さない。
ハリウッド製ではあるが、Godzilla は回を追う毎に本家日本のゴジラに似てきており、その強大さはアメリカ産怪獣「キングコング」をすでに凌駕している。

(これは2017年米映画「キングコング: 髑髏島の巨神」のキングコング。東宝製作のゴジラ映画としては「キングコング対ゴジラ」(1962)があるが、この頃はまだ両者サイズが同じ。)(写真:Wikimedia Commons)
ハリウッドでは「Godzilla vs. Kong」(仮題)という映画を2020年に公開予定という。「Godzilla: King of the Monsters」における描写の Godzilla にキングコングが敵うわけないと思うが、コングは米国産なのでプライドもあり、巨大化させるとか何とかして対等にする魂胆なのだろう。まあ譲ってあげてもいい。ゴジラはそんな器の小さい Kaiju ではないのだから。
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