2019年01月18日
1998年の映画「ユー・ガット・メール」は、ネット時代を象徴するラブコメディーだった。男女がインターネット上で知り合いEメールを交わすようになり、恋愛感情を持つに至る。最後は直接会ってめでたし、というお話。
なんと、インターネットの登場により、人は直接顔を合わせず恋愛するようになってしまった。人の出会いさえデジタル化し、人はそれを普通に受け入れるようになってしまった。
(トム・ハンクスとメグ・ライアンのラブコメディー「ユー・ガット・メール」。今と比べるとPCやネット接続方法が「時代遅れ」に見えるが、当時はネット時代ならではのラブストーリーだった。)(写真:Wikimedia Commons)
仮想現実の世界で冒険が繰り広げられるスティーブン・スピルバーグ監督の2018年映画「レディ・プレイヤー1」では、ついに出会いから事件から恋愛から仕事まで仮想現実の世界で行われるようになった(未来のお話なのだが、もうすぐ実現しそう)。もう「生身」の接触などは、刺身のつま程度の意味しか持たなくなってしまったのか。
人はもっと直接的な人間関係に戻るべきだ。直接会ってから、人を好きになるべき。それが本来の人同士の付き合いである。
まあ、そうかもしれない。でも、私みたいにあがり症で、会ってすぐに相手の気を引けるほどの会話力にも長けていない、という人はどうしたらいいのだろうか。
アジアの古代、若い男女は歌を詠み交わして、心を通わせていた。「歌掛け」という風習で、直接顔を合わせなくても、恋愛のチャンスはあったのだ。
この風習は日本にもやってきて「歌垣(うたがき)」と呼ばれるようになった。この場合の「歌」は現代の歌ではなく、いわゆる万葉集の「歌」(和歌)のようなもの。
記録に残る平安時代の歌垣はすでに洗練された貴族間の芸事的なものになっているが、地方では集落の自由恋愛推進行事として行われていた(その系譜を引くのが「成人式」だという説もある)。
その起源は、大陸の照葉樹林文化または焼畑耕作民文化と言われていて、今でも少数民族の間では行われている。中華文明起源ではない。
このイベントでは、若い男女が互いに顔を合わせることはあるかもしれないが、顔で判断するのではなく、歌を詠み、それに歌で返す。歌の内容や技術を通して、互いの人となりを知り、互いに見初め、恋仲になって、結婚する、というものである。
歌垣に大切なのは容姿や会話ではなく、心を伝える「歌」なのだ。
(美しい民族衣装で有名なモン族の少女たち。モン族は今でも歌掛けを行っている。)
参考として今頭に浮かぶのが、洗練された形ではあるが、万葉集の「額田王」と「大海人皇子」との歌の掛け合い(歌垣ではないが)。
「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」(額田王)
「紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも」(大海人皇子)
これはとある宴会の席で、かつての夫であった大海人皇子に対し、「昔こんなことあったね」と額田王が歌い、それを大海人皇子が歌で返した、と言われているもの。
歌垣は、このもっと素朴な形の歌が、男女間で交わされたのだと思う。
この照葉樹林の中で育まれた「歌謡」という文化は、もともと大いなる自然である神々への感謝を表す儀式から生まれたものという。生きていられてうれしい、感謝の気持ちが声になり歌になった。自然発生的な心の声だったのだろう。それが発展して、好きな相手に心の声を届ける歌掛けとなった。
「歌垣」は自由恋愛である。歌の内容で、相手を見極める。「ユー・ガット・メール」では「文面」、「レディ・プレイヤー1」では仮想現実(virtual reality - VR)における自分の分身「アヴァター」の言動で、相手を見初める。
結局、人が人を好きになるのに、手段は問わない。出会いは必ずしも直接会って話さなくたっていい。ネットや仮想現実は、その時代時代に合わせた出会いの場を得るための手段にすぎない。
「ユー・ガット・メール」も、そもそも1940年の米映画「桃色の店(The Shop Around the Corner)」のリメイクである。オリジナル版は、もちろんネットではなく手紙でのやりとり(文通)で、男女が恋に落ちるお話であった。文通もネットも、変わらないではないか。
この世知辛い現代では、ネットでの出会いは危険を伴うと警告されている。
例に挙げた映画では、文通やメールやアヴァターでも「心の通い合い」が感じられるような深さが描かれていた(「レディ・・」の謎解きは実際はかなり知識と知性とコミュニケーションが必要だった)。古代の歌垣でも、歌の掛け合いを通し、相手の人柄や人間性がわかるのだ(古代の人たちはもっと素直だっただろうし)。
ハイテクの現代、ネットやVRなど出会いの手段はいろいろあるが、その手段における「交流」は心を通わせるような深みが必要となる。また相手をちゃんと見極める判断力も必要になってくる。
今の若い人は「直接の出会い」が苦手と言われている。最新技術を使った手段による「間接的な出会い」の方が若者たちの交流機会を増やせるのではないか。
ハイテクの力は「間接的出会い」を「心を通わせる出会い」に発展させられる可能性がある。また無限の活動世界がありえるVRの三次元交流のほうが、ハプニングが起こりやすく、人となりは出やすい。VRを単なる仮想ゲームではなく、「仮面(=アヴァター)」ではあっても実際の人と人が交わるゲーム(=競技かるた、謎解き会、討論会、英語の会など何でもできる)に活用する。そうした形であれば、将来ハイテクによる交流の適正化がさらに進むはずだ。
個人的に私も「書く出会い」のほうが気が楽で、自分の気持ちを表しやすい。古代の「歌垣」はどんな感じだったのだろうか。「詠む出会い」も優雅と言うより、案外躍動感に溢れたものだったかもしれない。
(とあるモン族の村。場所はベトナムだが、モン族は中国南部からベトナムにかけて住んでいる少数民族。こんな雰囲気のところで「歌垣」が行われていたわけだ。日本も同じ照葉樹林帯に属するので、風景が似ている。)
読んでいただきありがとうございます。

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posted by ロンド at 17:19|
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文化
2019年01月04日
私は日本語さえ「ペラペラ」しゃべれないのに(舌足らずなので)、世の中、しかも日本に20カ国語もペラペラしゃべれる人がいるのだ。
中学生の頃、「20カ国語ペラペラ」という本を書店で見つけた。著者は種田輝豊。むさぼるように読んだ。たぶんこの本に出会わなければ、今の私はないだろう。
私も種田氏を真似て、学校で学ぶ英語以外の言語に手を出した。入門書を買って勉強した言語は、イタリア語、フランス語、ドイツ語、ロシア語、中国語、韓国語。
モノになった言語は、恥ずかしながら一つもない。私には種田輝豊さんほどの能力も才能もなかったのだ。
だが、語学は楽しかった。何が楽しいかといえば、文法や単語を知ることにより、ただの無意味な記号が、突然意味を持って目の前に広がることだ。新世界が現れる、と言える。
さらに、異なる文法や発音や言葉のセンスが身につくことは間違いない。「文法がわからない」というのは誤解で、あれは「わかるもの」というより「受け入れるもの」なのだ。
単語の意味、構造、由来などにも興味が湧き、造詣が深くなる。そういうセンスや知識は、翻訳や通訳をやっている者にとっては、トリビア以上の価値がある。
さて、英語以外に最初にかじったのはイタリア語。中学2年の頃、白水社「イタリア語入門」という自習書を買って勉強し始め、一時は英語より多くの単語を知っていた。
例えば、famoso(ファモーソ) は「有名な」だが、英語では famous。英語にはたくさんイタリア語に似た単語があるのを知って驚いた。important は importanto(インポルタント)、necessary は necessario(ネチェッサーリオ)。
学生時代、銭湯で湯船に浸かって「100」を数えてから出ることにしていた。1から100までイタリア語で(uno, due, tre, quattro, cinque, sei,..... cento)。だから今でもイタリア語で1から100までは言える(覚えている)。
(古代ローマの中心部「フォロ・ロマーノ」。ここにも行ったが、仕事に必死だったため、よく覚えていない。イタリアは今でも一番行きたい国。)
ドイツ語は、NHKのラジオドイツ語講座を聞いた。そのスキットは、今であれば「炎上」ものだ。なぜかといえば4月開講レッスン初日のフレーズが Rauchen Sie?(英語では Do you smoke?)だったからだ。
なぜ講師は「タバコを吸う」の動詞を最初に選んだのだろう。高校1年だった私は、のっけからドイツ語で「あなたはタバコを吸いますか」を覚えさせられたのだ。(ドイツ語 rauch「煙」 と同語源の英語は reek「悪臭」)。
そのおかげかどうかわからないが、これまでタバコを吸いたいと思ったことは一度もない。
フランス語は、イタリア語からの類推で文法的にはある程度わかったが、同じラテン語から変化した言語としては、イタリア語とずいぶん文法も発音も異なっている。
例えば、フランス語は、70、80、90に相当する数詞がない。「70」は「60 + 10(soixante-dix)」、「80」は「4 x 20(quatre-vingts)」、そして「95」は「4 x 20 + 15(quatre-vingt-quinze)」という(かつて使われていた20進法の名残という)。
添乗員としてパリに行ったとき、数詞は全部覚えたはずだった。ちょっとした自由時間、喉が渇いて売店にジュースを買いに行った。値段は書いてなかったが、聞けばわかる、と思った。売店のおじさんに「Combien?(いくらですか)」と聞いたはいいが、答えのフランス語(数詞)がまったく理解できなかった。焦ったが、「Pardon? パルドン=すみません(sorry)」を繰り返すしかなかった。そしたら、最後には英語で値段を言ってくれ(うろ覚えだが、80前後の数字だったと思う)、無事喉を潤すことができた。
(パリ中央部にある傷病兵を看護する施設だった「廃兵院」(通称「アンヴァリッド」)。この近くの売店だった。)
フランス人はフランス語に誇りを持っている。「フランスがアラスカを買うという案があったのだけれど、結局買わなかった。あれを買っていれば、北米大陸の北半分はフランス語圏になって、フランス語の力はもっと大きくなったかもしれない」という歴史談義もフランス人から聞いたことがある。
こちらが片言でも一所懸命フランス語で話そうとすれば、英語嫌い(現在でもその傾向はあるという)のフランス人も「じゃあ、英語で話してあげるよ」と素直に英語で話してくれるのだ。
ギリシャに行った時も、最初は不機嫌そうに見えたツアーバスの運転手は、休み時間、私がガイドブック片手にギリシャ語で話しかけると、次第に表情が緩み、話が通じなくなると片言の英語を使ってくれた。
英語嫌いのフランス人でなくても、最初から英語でガンガン来られたら、引いてしまう(だからアメリカ人は厚かましくて煙たがられている、と聞く)。片言でもいいから一所懸命相手の言葉を話そうとすれば、嫌がらずに「共通語(英語)」を使ってくれるのだ。
言葉というのは、心を通わせる力がある。
相手の心を掴むのなら、まず相手の言葉を(片言でもいいから)使う、そこからコミュニケーションが始まる、ということを実体験として知った。
最近の若者は国外に興味がないという。「本当ですか」と知人の大学教授に聞いたら、「本当だ」と言われた。
この国際化時代なのに、私は理解できなかった。日本国内にいて日本のことだけやっていて満足なのだろうか。「日本は素晴らしい」論があちこちに出ているが、そのまま信じているのだろうか。
(国際都市シンガポールの街並みと人々。シンガポールには二度行った。)
私は「英語で食えるようになる」ことを目標にしたので、多言語を実際に使う機会は減ってしまった。能力的にとても種田さんには及ばないので、多言語のプロにはなれなかったろうが、もしもっと多文化・多言語を体験する道を選んでいたら、コミュニケーション上は「ポリグロット(polyglot = 多くの言語を使える人)」になれたかもしれない。
外国の人々と彼ら自身の言葉で話すことはとても楽しい。自分の見識も広がり、この世界はとても広いことが実感できるはずだ。
種田輝豊さんの「20カ国語ペラペラ」に刺激され、語学にのめりこんだ。英語以外モノにはならなかったけれど、得たものは大きかった。
(「いつからの習慣か覚えていないが、手帳のメモは全部アラビア語で書いている」と同著にある一文を読み、「なんてかっこいいんだ」と憧れた種田輝豊さんは、2017年、79歳でアメリカにて逝去されたとのこと。May he rest in peace.)
読んでいただきありがとうございます。

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posted by ロンド at 16:56|
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国際
プロフィール
ブログネームは、ロンド。フリーの翻訳者(日英)。自宅にてiMac を駆って仕事。 2013年に東京の多摩ニュータウンから軽井沢の追分に移住。 同居人は、妻とトイプードルのリュウ。 リュウは、運動不足のロンドを散歩に連れ出すことで、健康管理に貢献。 御影用水温水路の風景に惹かれて、「軽井沢に住むなら追分」となった。
