2019年03月22日

軽井沢、かるいさわ、かるいざわ

世の中に地名ファンはけっこう多くて、地名の謎を解き明かそう、という素人地名学者もいる。それだけ地名は魅力があるのだろう。

地名ファンはもうご存知だろうけれど、軽井沢はもともと「かるいさわ」と言うのが本来の読み方だったが、それを「かるいざわ」に変えたのは、軽井沢を避暑地として開発した外国人たち。Karuisawa は発音しづらかったらしく、Karuizawa になった、というのが定説。私も「ざわ」の方が発音しやすい、というか「ざわ」の発音しか、移住するまで知らなかった。

Shaw Church.jpg
(軽井沢発祥の地、「軽井沢ショー記念礼拝堂」と我が家のワンコ)

軽井沢という地名の由来は諸説ある。「凍り冷わ(こおりさわ)」「軽石沢」「涸れ沢」「かるう(背負う)さわ」など様々だ。「坂道を背負って運んであげる」のはなかなか良い「おもてなし」語源だと思うが、背負う方は大変である。

軽井沢の地名は主に東日本で複数個所見られる、というから驚きだった。横浜市西区にある軽井沢を始め、静岡県、千葉県、福島県、新潟県、秋田県にもある。由来は別にして、共通点は「火山堆積物の浸食地形」だという。

私の生まれ故郷、甲府市は、「甲斐の府」だから甲府。「甲斐」は諸説あるが、人や物が行き交うの「交う」が有力な由来となっている。

明治維新後、江戸時代の地名は捨てられることが多く、甲斐も同様で、「山梨」になったのは、甲斐国の真ん中あたりにあったのが「山梨」という地名であったため、それを県の地名にした、と聞いている。だが個人的にこの名称は好きではない(今の山梨市の皆さん、ごめんなさい)。よく言われた「山があってもやまなし県」も嫌だった。今どきこんなだじゃれみたいなことを言う人はいないだろうけれど。

「やまなし」はもちろん「山がない」のではなく、「山+果実の梨」でもなく、「山均す(ならす)」が語源と言う。今の山梨市がある場所は甲府盆地の東部で比較的平地が多かったかららしい。

軽井沢に移住する前に住んでいたのは、東京都の稲城市。私が暮らしていた場所は多摩ニュータウン地区だったので、地名は新たに作られたものだった。

最初に住んだ場所は「長峰」で次が「若葉台」。これらは地形を考えて作られている。多摩ニュータウンは多摩丘陵に作られており、「高台」「峰」「谷」などの地形があちこちにある。

長峰も若葉台も台地にあったので、「長い峰」「若葉の茂る台地」という意味で付けられたのだと思う。どちらの地名も私は好きだった。若葉台で住んでいたマンションからは、何とスカイツリーが見えていた。(若葉台はスカイツリーから西に約30数キロ)。

Sky Tree.jpg
(若葉台のマンションから見えるスカイツリー。そもそも見えるとは思っておらず、どちらの方向にあるのかも考えたことがなかったが、完成後のある日、突然見えるのに気づいた。)

長峰も若葉台も、かつては「坂浜」と呼ばれていた。由来は「傾斜地」の「坂」と、三沢川という川が流れているので、その「水際」という意味での「浜」が一緒になったものだったらしい(今でも「坂浜」の地名は残っている)。

よく「新しい地名は、かつての地形を表さなくなってしまい、自然災害などの危険性がわからなくなっている」と言われている。例えば「くぼ」などの地名は「窪地」だから、水が溜まったり、周囲の傾斜地が崩れたりする可能性がある。

その点、多摩ニュータウンは新しい開発地なのにけっこう旧地名を使い続けているところが多い。乞田、貝取、永山、別所、などなど。それぞれ歴史があったに違いない(近藤勇や土方歳三が道場に通ったと言われる道も近くにある)。

厳密に言えば多摩ニュータウン地区ではないが、隣接地区として「桜ヶ丘」という地区がある(多摩市。最寄り駅は「聖蹟桜ヶ丘」)。確かに桜の木がたくさん植えられている丘の街区ではある。中心部は高台で、そこからの眺めはメルヘン的というか「ジブリ的」である。そう「耳をすませば」のモデルとなった場所なのだから。

そもそも多摩ニュータウンの開発自体がジブリの「平成狸合戦ぽんぽこ」そのもの。このアニメを見たとき、「ああ、こうして多摩ニュータウンができたんだ」としんみりしたものだ。ちなみに多摩ニュータウンで狸は見たことはなかった。

移住した軽井沢で、時々「かるいさわ」と発音する人と話をすることがあり、「ああ、この人は昔から住んでいる住民なのだな」とわかる。軽井沢は「なまり」がないので、「かるいさわ」と言わない限り、移住者か地元住人か判別がつかないのだ。
 
一度私も「かるいさわ」と発音してみたいと思うが、それじゃまるで詐称しているみたいで、なかなか言えない。
 
今でも旧軽井沢に行くと、すぐ観光客になってしまう私は、いつまでたってもお登りさんの「かるいざわ」なのである。
 
よくよく考えてみると、地名というものは、原初的には「地形」を表したものが多かったろうが、近代や現代では同時に住人たちの「歴史」や「未来」や「希望」も表すようになっている。「京都」は歴史を、「東京」は未来を、「若葉台」は希望を。
 
私が今住んでいるのは追分(おいわけ)。「追分って名前かっこいいね」と人に言われることがある。実は私も「軽井沢」より「追分」のほうが好きだ。
 
追分は「街道が別れる所」の地名なので、日本中あちこちにある。何が「追って分かれる」のかと思っていたら、「牛馬を(目的の街道の方へ)追って、分かれていく」ということらしい。何と躍動性のある地名だこと。
 
「追分」は、馬や牛それに商人や旅人が左右に分かれ、旅路を急ぐ様子が目に浮かぶ「絵になる」地名だったのだ。

Wakasare.jpg
(追分宿の「分か去れ」。右が北国街道、左が中山道(現在は国道18号)。このあと、中山道は左に南下し、18号とは分かれる。北国街道は18号に出たり入ったりして、この国道とだいたい同じルートを辿り小諸まで続く。 )


読んでいただきありがとうございます。

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posted by ロンド at 17:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 郷土
プロフィール
ブログネームは、ロンド。フリーの翻訳者(日英)。自宅にてiMac を駆って仕事。 2013年に東京の多摩ニュータウンから軽井沢の追分に移住。 同居人は、妻とトイプードルのリュウ。 リュウは、運動不足のロンドを散歩に連れ出すことで、健康管理に貢献。 御影用水温水路の風景に惹かれて、「軽井沢に住むなら追分」となった。