2019年05月24日

中山道を往く


江戸時代の街道を行くのは危険がいっぱいだ。中山道のような「一日中、山道」では、山賊は出るは、野犬は出るは、熊は出るは、さらには今は絶滅してしまった狼は出るは、で命がけの道程であった。

というのが、数年前までの、私のイメージだった。

軽井沢に来て、我が家のすぐそばを中山道(旧中山道)が通っているのを知った。旧軽井沢銀座は、そもそも「軽井沢宿」であった。碓氷峠の向こう側、群馬県の坂本宿からは碓氷峠を越え、軽井沢宿に着くまで約8.5キロの「山道」は、確かに「一日中、山道」だったかもしれない。だが、道中数カ所休憩所もあって、日中であればそれほど危険ではなかったと思われる。

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(旧中山道の、碓氷峠から群馬県側に下りる方向の道。Google Map には載っていないが、歩いて麓の坂本宿まで行ける。我が家のワンコは一応オオカミの子孫だが、誰にも怖がられない。)

中山道ではだいたい1〜2里ごとに宿が設けられていた。つまり、宿から宿までの距離は4キロから8キロくらい。歩いても、1〜2時間で踏破できる距離である。ましてや軽井沢宿から佐久市の八幡宿まではほぼ平地である。

危険がいっぱいの道中、というのは私の妄想だったのかもしれない。それほど江戸時代には交通インフラが整備されていたわけだ。

軽井沢宿から沓掛宿(今の中軽井沢)、追分宿、そこから南下し小田井宿(御代田町)、岩村田宿(佐久市)までは、追分住人である私にとっては日常的に通る道となっている。

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(小田井宿。観光地化されていないが、意外と昔風の建物が残っている。海野宿と同じように中央に水路が走っていたという。)

かつて「宿場町」だったところは、観光に訪れる人も多く、歴史保全など行政の方針や住民たちの努力により、それなりに古い建物が残っていたり再現されていたりする。

実際にはどんなだったか。幸い日本には昔ながらの宿場町がいくつか残されている。妻籠や馬籠、さらに北国街道の海野宿を見れば、当時の街並みが容易に想像できる。今でもほぼ江戸時代の風景と変わらないはずだ。

だが、宿と宿のあいだの道はどうだったのだろう。道際に家は建っていたのだろうか。安藤広重などの街道を描いた浮世絵が描くのは、多くは宿であり、特徴的風景を背景に描いた旅人だったりして、街道がどんな様子だったのかはあまりわからない。

山中の街道は、想像が付く。以前箱根の山中を通る石畳の東海道を歩いたことがある。山道でも石畳が整備されていた。

中山道では、落合宿と馬籠宿との間、十曲峠には奇跡的に石畳の街道が残っている。写真で見る限り、けっこうちゃんとした石畳である(もちろん近代に補修され維持管理されているものだが)。

坂の山道で雨でも降ろうものなら、道がぬかるんで、進むに進めないだろう。大名行列だったら、なおのこと大変である。だから一部は石畳の舗装にしたようだ。だが、平地ならばきちんと管理すれば、人が歩くぶんには無舗装の土の路面で問題なかったのだろう。

宿が点在する佐久地域周辺だが、これまで行ったことがない岩村田宿から先の中山道を見てみたいと思い、仕事が休みの日、望月宿まで辿ってみることにした。気力はあるが、歩く体力も時間もないので、文明の利器(自動車)を借りた。

岩村田(いわむらだ)から佐久市街地を西に向かって進み、次の宿場町「塩名田(しおなだ)」へは約5キロの行程。宿場内は、あちこちに古式な構造の建物が見える。西端は千曲川となり、雨などで川止めとなると大名行列を始め一般の旅人も留め置かれるため、大いに賑わったという。

塩名田で一番昔の風景が残っているのは、千曲川に向かって下る道筋。今でも老舗の川魚料理店を始め数軒昔風の建物が建っている。

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(左:塩名田宿の、千曲川に下るところの街並み。江戸時代にも橋は建てられたが、何度も流されたという。千曲川は今では想像できない暴れ川だった。)
(右:川魚料理店の玄関。ネコの置物、と思ったが、次の瞬間には消えていた。本物だった。)

川を渡ると1キロほどで八幡(やわた)宿に着く。当時の中山道はかなり往来があり、八幡は農産物等の集積所だったこともあり、宿が作られたという。

八幡宿から、山を一つ越えて、3キロほどで望月宿。ここは古い街並みが比較的多く残っていて、望月歴史民俗資料館もある。この宿は千曲川に注ぎ込む支流の鹿曲(かくま)川の左岸に位置している。最初は右岸に作られたが、洪水で流され、左岸に新たに建設されたという。

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(左:望月宿の街並み)
(右:鹿曲川の流れ。向かって左側が宿場町。直接川面に出られるようになっている家もあった。)

追分からこの望月宿まで23キロ程度、車でまっすぐ来れば40分以内で着ける。江戸時代は、一所懸命歩けば、朝追分を出て夕方には望月に着けたかもしれない(千曲川がすぐ渡れれば)。実証してみたい気もするが、気持ちだけにしておこう。

中山道を通ってみると、不思議なことに宿場町ではないただの街道筋だったところにも、古風な家を見かける。典型的な特徴は、敷地を囲む背の低い白い土塀とよく剪定された松などの庭木。塀や建物自体はそれほど古いわけではない。おそらく、かなり昔から街道筋に居を構えていた住人が、伝統として同じ仕様の家屋を建て続けてきたのだろう。自家の歴史に対する誇りが感じられる。

さらに、中山道のような知られた街道ではない一見普通の舗装道でも、そうした「白い塀の家」に出くわすことがある。その近所を散歩してみると、道祖神があったり祠があったりする。近代に作られた舗装道のように見えたが、実際にはおそらく江戸時代から使われていた道なのだろう。

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(御代田町のとある道。白塀の家や昔風の家が数軒集まっている一角がある。)

何気ない道で歴史を発見できるのも、近代化の波に完全に巻き込まれていない田舎の良さの一つである。


読んでいただきありがとうございます。

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posted by ロンド at 17:15| Comment(2) | TrackBack(0) | 郷土

2019年05月10日

ブランド読みのブランド知らず


若い頃、ブランドには縁がなかった。名前もほとんど知らなかったし、興味もなかった。

ある時から仕事柄、ちょっとだけブランドに詳しくなった。それは添乗員をしていたとき。ツアー客の目的の一つが「海外のブランド品を安く買う」ことだったからだ。たいていどこに行っても「免税店」があり、安くブランド品が買える。衣類等では「グッチ」「ラルフ・ローレン」「ティファニー」「コーチ」「アルマーニ」「ルイ・ヴィトン」「エルメス」「ディオール」などなど。お酒では「シーバスリーガル」「ヘイグ」「レミーマルタン」などなど。

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(Jana Segetti という、ペテルスブルク(ロシア)のブランドが開いたファッションショー。Jana Segetti という非ロシア的な名前は、前半が設立者関連の名前にちなみ、後半がハンガリー語の「境界」という意味とのこと。いかにも今風の無国籍的命名だ。)(Photo by Pixaboy)

それまで聞いたこともなかったブランド名をいろいろと知るようになった。もっとも「知る」だけで、自分で買ったり使ったり飲んだりすることはなかった。免税と言ってもまだまだ高額だし、その価値もわからなかった。

スイスのジュネーブに行ったとき、ツアー客を連れてとある免税店に寄った。もちろんツアーの旅程に入っている。買い物後、チーフ添乗員がコミッションを受け取った(コミッションは合法なもので、旅行会社に渡される)。スイス人店長は、私が新人添乗員でスイスに来たのは初めてだと聞くと、ねぎらいの意味かビーニー帽(つばのない耳まで覆えるニット帽子)をプレゼントしてくれた。ブランドはクレージュ(Courrèges)。ちょうど冬だったので、旅行中重宝した。そのビーニー帽は何と30年以上たった今でも使っている。日本で買った他のビーニー帽は数年経つとよれよれになり毛玉だらけになる。それほど高価な物ではなかったと思うが、クレージュ製品の品質の良さには驚いている。

添乗員をやめてからは、「ブランド」という名前は私の生活から消えてしまった。身近なブランドは愛用していたが。例えば「グンゼ」とか・・・。

ところが、フリーランス翻訳業を始めて数年目に、とある翻訳を依頼された。それは、「(横文字の)ブランド名」を日本語にする仕事だった。

今みたいに、簡単にちゃちゃっとググることなどできない時代だったので、どうやって調べたのか、思い出せない。いろいろ人に聞いたりもしたのだろう。苦しんだおかげで、ブランド名の読み方に詳しくなった。

その時、読み方に苦しんだブランド名には、次のようなものがあった。

「Loewe」「Aquascutum」「Versace」

Loewe なんて、一体何語かもわからなかったが、何とか調べて判明した。「ロエヴェ」だった(日本の表記としては「ロエベ」)。単語としてはドイツ語なので、w を「ヴ」と読む(ドイツ語の w は英語で言えば v の発音。だから日本人の「わかこ」さんはドイツでは「バカコ」さん、というジョークがある)。

Aquascutum はもともとラテン語で、aqua が「水」、scutum が「楯」。合わせて「防水」を意味するそうだ。このブランドは英国なので、読みは「アクアスキュータム」と英語的に読む。

Versace はイタリアのブランドなので「ヴェルサーチェ」と発音し、日本でのブランド名も同じだが、英語では「ヴァーサーチ」という感じで発音されている。

かつてテレビで見たアメリカ映画で、タイトルも内容も覚えていないが、モデルになりたくて都会に出てきた田舎娘が、ファッション関係の男性らと話していて、「私は Versace が好き」と言う。だがその発音は「ヴァーセイス」だった。当然彼女はバカにされた。

Versace を普通に英単語として読めば、「ヴァーセイス」になるので、ファッション雑誌などで見ていても、実際に発音される音を聞いたことがなければ、そう読んでしまっても不思議ではない。

翻訳したブランド名はもっとあったと思う。そこから学んだのは、「何語の発音か」で名前の読みが変わるということ。ブランド名はヨーロッパの言語が使われることが多い。「20カ国語ペラペラ」でも書いたが、何カ国語もかじっていたおかげで、どうやって読むか、コツを掴むことができた。

一般のアメリカ人にとっても、Versace の例もあるようにヨーロッパ系のブランド名は発音しにくいと思う。なまじ「横文字」なので、英語のつもりで読んでしまう、のは当然である。

例えば、Hermes は日本人は横文字でなくカタカナで読むので「エルメス」と言えるが、もともとギリシャ神話の神「ヘルメス(ヘルメース)」なので、アメリカ人は「ハーミーズ」と読んでしまう。ところがブランドとしてはフランス語なので、h は「無音」になる。アメリカ人も、「読み方」を習わないと、前述の映画みたいに、笑われかねない。

その逆が Nike である。これもギリシャ神話の神「ニケ」だが、アメリカのブランドなので「ナイキ」と発音される。英語以外のヨーロッパ言語では「ニケ」と発音されるので、彼らはブランド名としては「ニケ」ではなく「ナイキ」と言わないとわかってもらえない。

日本はそういう問題がなくて楽ではある。ブランド名はカタカナ表記になっているからだ。

我が家のワンコが大好きな「格好の散歩場所」である軽井沢プリンスショッピングプラザは、ブランド名店街である。200店を超える店があって、それぞれブランド名を掲げている。

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(「ツリーモール」のブランド店街。我が家のワンコはどの店にも当然のように入ろうとする。本人はスリングバッグかペットカートに入らなければならないのだが。10連休終了直後の平日、真冬より少ない人出だった。これから新緑、夏休み、紅葉と続く。たぶんこんな日はもうない・・・。)

ブランド店が軒を連ねるモールを歩きながら、クセでつい「ブランド名」を読んでしまう。

「ニューウエスト」に、リズムの良いブランドがある。「サマンサタバサ」だ。これは日本のブランドで、米TVドラマ「奥様は魔女」の「サマンサ」と彼女の娘「タバサ」から取った名前だという。綴りは Samantha Thavasa。「タバサ」はドラマでは Tabatha だが、そっくり同じにすると商標上問題が出てくるから Thavasa に変えたのだろうか。それにしても「サマンサタバサ」はリズムにのって発音したくなる名前である。

「コムサ(comme ça)」も日本発の不思議なブランド名だ。「コムサ・デ・モード」「コムサ・イズム」など、いくつものブランド名がある。comme ça はフランス語で、「like that」というような意味。どうしてそんな単語を選んだのだろう。かなり前から目にしているブランド名なので、気になっていた。プリンスショッピングプラザには、その飲食バージョン「カフェ・コムサ」がある。

ブランド名の命名法は、日本のみならずどの国でも同じようだ。どこかしらかっこ良い響きで、場合によっては何語かわからず、どう読むかも作り手次第である。

職業病なのか、ブランド名を見ると、読んで見たくなり、その語源などを調べたくなる。ところが、そのブランドが何を扱っているのか、となると、もともと興味がないので例えば「着る物だろう」程度で心もとなくなる。

「ブランド読みのブランド知らず」とは私のことである。


読んでいただきありがとうございます。

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posted by ロンド at 17:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
プロフィール
ブログネームは、ロンド。フリーの翻訳者(日英)。自宅にてiMac を駆って仕事。 2013年に東京の多摩ニュータウンから軽井沢の追分に移住。 同居人は、妻とトイプードルのリュウ。 リュウは、運動不足のロンドを散歩に連れ出すことで、健康管理に貢献。 御影用水温水路の風景に惹かれて、「軽井沢に住むなら追分」となった。