音楽と映画が合体すると、そこには不思議な世界が現れる。その代表がミュージカル映画。実話を元にしている「サウンド・オブ・ミュージック」(1965年)は不朽の名作。美しいオーストリアの山々を見渡す丘の上で The sound of music を歌うジュリー・アンドリュースが今も目に焼き付いている。

(ジュリー・アンドリュースが歌う「The Sound of Music」の出だし The hills are alive with the sound of music.「丘は音楽の調べで生き生きしている」は、どうしても The future is alive with the sound of music. 「未来は音楽の調べで生き生きしている」と聞こえてしまう。)(CDのジャケット写真)
ミュージカルでなくても、音楽が重要な役割を果たしている映画(音楽映画)もある。最近ではフレディ・マーキュリーの半生を描いた「ボヘミアン・ラプソディ」。エンディングの20分は、「ライブ・エイド」におけるクイーンの演奏。世界最高のライブパフォーマンスと言われているだけあって、その再演(演技)も圧巻だった。
日本では、ミュージカル嫌いで有名なのが多彩な才能を持つタモリ。普通にセリフを言いながら、それが突然歌になって踊り始めるところに違和感があるらしい。
2017年度アカデミー賞6部門をとったミュージカル映画「ラ・ラ・ランド」をビデオで見たとある人が、「渋滞している高速道路で、ドライバーたちが突然歌って踊り出したところで、見るのをやめた」とレビューに書いていた。あれで見るのをやめるのだったら、どんなミュージカルでも見続けるのはむずかしいだろう。
突然歌って踊り出す違和感。でも同じようなことは世界中で起きていた。それは「フラッシュモブ」。皆で示し合わせ、街中で突然歌い出したり踊り出したり演奏し出したりする行為だが、私たちの日常で、知らない人たちが突然歌って踊り出すこともあるのだから、映画のなかでそんなことがあってもおかしくないはず。
欧米発祥のミュージカル(舞台や映画)。その発想の原点はヨーロッパのオペラだろう。オペラは日本語にすると「歌劇」。それこそ全編が歌で占められている演劇芸術だ。だから欧米では、古典的オペラから近代のミュージカルへの発展は、スムーズに受け入れられたのだと思う。
日本にはオペラの文化はなかった。でもよく考えてみれば、日本の伝統演劇である歌舞伎も、「普通の演劇」ではない。独特のリズムを持ったせりふ回しで、踊りもある。それに「ユニークなことをする」の意味を持つ古語「かぶく」から生まれた「かぶき」は、「歌と舞の伎(わざ)」という漢字で表されているのだから、まさしく日本版「ミュージカル」ではないか。
西洋の「ミュージカル」は言ってみれば、「現代風西洋版歌舞伎」だと思えば良い。
「ミュージカル映画」や「音楽映画」は、私の考えでは基本的に「楽しく、明るく」がテーマだと思う。だからそういう明るい作品が多い。
本場のアメリカでは今も盛んにミュージカルや音楽映画が作られている。既述の 「ラ・ラ・ランド」、「ボヘミアン・ラプソディ」、「グレイテスト・ショーマン」 など、どれも鑑賞後は前向きな気持ちにさせてくれた。今年公開された実写版「アラジン」も大ヒットしているようで、見るのが楽しみだ。
日本のミュージカルは、舞台としては劇団四季の作品が有名で、観客も多い。ミュージカル映画も作られてはいるようだが、実は私は一つも見たことがない。音楽映画のほうが、しんみりしたり感動したりする作品は多い。多部未華子が「あやしい彼女」(2016年)で歌う「悲しくてやりきれない」は、うかつにもウルッと来てしまった。
私にとって心底「明るく楽しい」日本の「音楽映画」が2つある。
一つはクレージーキャッツ主演の映画、例えば1962年「ニッポン無責任時代」。同映画では植木等が「スーダラ節」「ハイそれまでョ」「無責任一代男」などの歌を歌う。私はこの映画を映画館で見たことはないが、歌は何度も聞いている。けっこう好きだった。「わかっちゃいるけどやめられない」なんていうのは、小学生ながら「そうなんだなぁ」と人生の摂理を悟ったつもりになっていた。
高度成長時代に「無責任」は逆行する精神だったが、日本中でヒットした。当時、日本人全員「責任感」に溢れ、輝かしい未来のため切磋琢磨していた。決して責任の重圧に押しつぶされそうになっていたのではなく、輝かしい未来のため喜んで責任を引き受けていたと思う。植木等の明るい「無責任を謳う歌」は、モーレツ日本人を怒らせるどころか、そのギャップゆえ大いに楽しませたようだ。
もう一つは加山雄三の「若大将シリーズ」である。東京の近代的街並み、高速道路、ヨットハーバー、空港など、当時最先端を行くインフラがよく登場する。大学の寮や老舗の和風料亭などは今でもあまり変わらない建物だろう。家電や自動車を始め、演出においてもレトロ感は否めないが、昭和30〜40年代の映画にしては、驚くほど今風である。それに何と言っても、時代を超えたメロディを持つ加山雄三の歌が底抜けにポジティブで、気持ちを明るくしてくれる。

(若大将シリーズは、毎回異なる人物の設定になっている。若大将始め主要登場人物の名前は同じなのだが、毎回新しい設定で話が進む。不思議な世界だ。)(DVDのジャケット写真)
当時、叔父が趣味でバンドをやっていて、ギターを弾きながらよく歌っていたのが「お嫁においで」など加山雄三の歌だった。「ああ、いい曲だな」と思った。「お嫁においで」も「君といつまでも」も聞いているだけで、恋をしている気分になった。結婚指輪は珊瑚で作ろう、と思っていた(まだ小学生だったが・・・)。
クレージーキャッツの映画や若大将の映画が上映されていたあの当時、毎日が楽しかった、未来は明るかった。高度成長時代だった。その時代に育った私も人並みの悩み苦しみを抱えてはいたが、世の中自体は明るかった。その「明るい未来」を私は生き、そしてそれは古き良き時代となった。さて、これからの未来はどうなのだろうか。
どんな時代になっても、「音楽+映画」は私に「明るい未来」を見せてほしいと願っている。
読んでいただきありがとうございます。

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