2017年04月07日

軽井沢はかつて草原だった

森のリゾート地、軽井沢。どっちを向いても森。追分も森。

追分に来てから読んだ本「日本列島草原1万年の旅 草地と日本人」が衝撃的でした。「かつて軽井沢には草原が広がっていた」というもの。

昭和初期まで、軽井沢は草原や湿地であふれていたのです。堀辰雄の「風立ちぬ」にも草原の描写が出てくる。昔の写真を見ても、確かに草原。

ご存知の通り、江戸時代は日本中、はげ山が多かった。理由は「暖房や産業で使う薪」が大量に必要だったからです。
(もっとも江戸時代中期以降は、はげ山による土砂災害が増えたので、幕府や諸藩は伐採規制を強化したようです。)

でも最近の研究によると、縄文時代から日本中で「草原や湿地」が意図的に維持されていたのです(縄文人たちは野焼きも行っていた)。その結果生じた「開放的で明るい、草原と森林のモザイク状植生」では、クリなどの堅果類が豊富に採れ、ワラビなどの山菜類も豊富。さらにイノシシ、ニホンジカ、ノウサギなども繁殖しやすく、しかも狩猟しやすかった。

そうだったんだ。

弥生時代になると、「馬の放牧」などが主な理由で草原が維持されていました。これはわかります。軽井沢も日本有数の馬の産地でしたから。

grassland+woodland.jpg
(参考写真)

さて、ちょっと心配なことが。「軽井沢はかつて草原であふれていた」を「森の木々を伐採してもいい」の理由として悪用する人たちがいると聞きました。

でも、それは違います。確かに「草原の面積」は減りましたが、かつての「森林ではない面積」はすでに現在の市街地でことたりている、と私は思います。だからこれ以上森を減らすのは、間違いです(すみません、自分のことは棚に上げて・・・・)。

縄文時代から上記のような理由で草原や湿地帯が日本中で維持されていた。でも日本は自然が豊かなので、ほっとくと森だらけになる。だから減りつつある「草原の植生」を取り戻すべき、草原で生きてきた昆虫や植物(現在、絶滅に向かっている)を復活させよう、という動きがあるそうです。

取り戻すのは森だけではないんですね。

森であふれる追分も100年まえは草原だったかもしれない。近隣に林立する木々は、せいぜい50歳くらいのようですから。ああ、もちろん900年前は焼け野原でしたが・・・・。


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posted by ロンド at 18:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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プロフィール
ブログネームは、ロンド。フリーの翻訳者(日英)。自宅にてiMac を駆って仕事。 2013年に東京の多摩ニュータウンから軽井沢の追分に移住。 同居人は、妻とトイプードルのリュウ。 リュウは、運動不足のロンドを散歩に連れ出すことで、健康管理に貢献。 御影用水温水路の風景に惹かれて、「軽井沢に住むなら追分」となった。