仕事柄、地盤とか地質とか、そういう分野の文献はよく目にしていますので、個人的には考えないことはありませんが、通常最近の地質変化であっても数万年前に遡ります。
ところが軽井沢に来たら、浅間山という今も活発な地形変化の親玉がでんと腰を据えています。
「追分キャベツ」でも書いたように「追分火砕流」を1108年に放出しました。
我が家の建っているところも火砕流の上。
ところが、いろいろ調べて「追分火砕流の範囲」という図を見つけ詳しく見たら、自宅から少し南に下ったところで、この火砕流は終わっていることがわかりました。
そして、驚いたことに、今まで気にしなかった起伏というか段差というか、地面の変化が、「火砕流の末端(終わったところ)」だったんです。
つまり地質年代で言えばごく最近の「900年前」に起こった変化なのです。
それがこれです。

(南側から見た火砕流の末端段差)

(北側から見た段差)

(北側から見た段差)
この下図の黄色い〇の部分が、上の写真です。

場所は、キャボット・コーブの道を南に下り、御影用水温水路を通り越し、しなの鉄道線路の手前右側の傾斜地。
昨年オープンしたカフェ、TREES small cafe + works の向かい側。
この黄色丸の南東側と北東側は、畑なんです。畑だから「伐採して開墾した」と思っていたら、違ったんです。


(左) 黄色丸の北東に広がる火砕流のない部分。道の左が火砕流跡。
(右) 同じく、この畑部分を南から見た写真。森の部分が火砕流。
火砕流に覆われていなかったから、作物が栽培しやすかったのでしょう。
地図で見ると、火砕流の部分は森になっていることが多い。つまり、火砕流の岩屑(がんせつ)で使いようがないから、放置されていた。
放置されると、森になってしまう。岩屑で覆われていないと、作物が育てられるので、畑に使える。
きっと900年前からそういった使い分けがされていたのでしょう。
発見!
目を閉じると、火砕流が止まったあとの凄まじい光景が浮かんできます。
しかし、こういう地形とその成因を知ってニヤニヤと喜ぶのは、「ブラタモリ」を好きで見ているような人たちだけでしょうね・・・。
追分や御代田あたりは全体的に地形がなだらかなのですが、突然地面が上下しているところは、火砕流の末端部かもしれません。
皆さんのお家の周りを見てみましょう。
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