2017年10月03日

これが日本人の生きる道


「日本人はよく働きますね。なぜですか」「なぜ道具を大切にするのですか」と外国人に聞かれたら、どう答えるか。
  
こうした質問にどう答えるのか。通訳やガイドに携わり、翻訳業を始めてからも勉強会など様々な機会を通し日本人や外国人とディベートやディスカッションを行うことが多かった私には、答えを見つけておく必要があった。
 
「なぜよく働くのか」については、簡潔に言えば「日本人は働くのが好きだから」とか「労働を美徳と考えているから」などが答えになろう。
 
じゃあ「なぜ美徳と考えるのか」については、何年もの間、良い答えができなかった。だがいろいろ読みあさって、納得できる答えを見つけた。
 
それは「日本の四季」と「稲作」である。
 
四季がはっきりしている日本では、3ヶ月ごとにやるべきことが異なる。稲作を例に取ると、春は稲を育て田んぼを耕し田植え。夏は田んぼの水管理。秋は収穫、脱穀。冬は土作りや道具作り。年がら年中やることがある。欧州などの小麦作に比べ、稲作は手間がかかりやるべきことが多く、必然的に各過程をちゃんとやらないと米ができない。 

paddy.jpg
(美しい稲穂)
  
その作業が2千年も続いたのだから、「リズム良く的確に働く」ことが日本人のDNAに染みついている。労働が生きがいでもある。
 
また研究者によると、稲作を行っている人々(主には東洋人)は、小麦作の人々(主には西洋人)より、「相互依存的」で「和を重んじる」傾向があるという。それは稲作が水の管理を含めその栽培・収穫には皆の力が必要だからだ。ところが小麦となるとそれほど共同作業は必要なく個人的な労働で作れるため、西洋は個人主義的考え方が進んだ、という。
 
「日本人が労働を美徳とする」のは、「食糧生産のため、生きるため、きちんとていねいに、皆で力を合わせ仕事をしてきた。それが皆を幸せにした。一人ではできないことも皆でやればできる達成感、満足感、連帯感。幸福感。だから働くことを正しい、美しいと思うようになった」。
 
とりあえずこのあたりで納得していた。
 
さて道具について、「日本人はなぜ道具を大事にするのか」という問い。イチロー選手がバットやグローブをきちんと手入れをし大切にする行為は、アメリカ人を感動させた。やはりそこまで道具を大事にするのは、日本独自であろう。
 
その答えは、「日本人は、何かをする場合に、その過程も大切にする。結果が出ればなんでもよい、というのではない。途中の経過も大切だと思っているのだ。だから道具を大切にする。」
 
さらに踏み込んで、「日本人は『針供養』というものをする。使用済みの針を捨てる前に『ご苦労さん』とねぎらう。どんな道具についても、同じようなことをする。これも道具を大切にすることの現れ」と説明できる。
 
日本人は「経過」を大切にする。目的地までの「道」を大切にすることは、私も気がついていた。だが根源的なところまで分析していないような気がしていた。
 
美化するわけではないが、日本人は「秩序良く、きちんと、協調性をもって働く勤労意欲の高い民族」だと言える。だから昔から品質の良いものを作っていた。
 
だが「なぜそうなのか」という長年答えられなかった根源的な疑問に、最近やっと答えがでた。
 
数ヶ月前オンライン書店で見つけてダウンロードして読んだ川田順造著「〈運ぶヒト〉の人類学」が答えをくれた。
 
同書は、ヒトは物をどうやって運んだのかを考察したもの。著者はわかりやすくするため世界を3つのモデル(「A=道具の脱人間化」「B = 道具の人間化」「C = 人間 の道具化」)にわけた。
 
簡単に言うと、Aは「誰がやっても同じ結果が出るようにす る」ことで、代表例は「機械化」を進めた⻄欧。Bは、「人の巧みさによって道具を 使いこなす」ことで、代表例は道具を巧みに使いこなしたり、巧みの技が確立された りしている日本。Cは、身体的特徴である⻑い手足を使って農作業をするアフリカの モシ族。

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(頭に荷物を載せて運ぶインドの女性。川田氏によると、頭に物を乗せて運ぶ方法は、最も古い運搬法の一つと言う。約6万年まえにアフリカを出たホモ・サピエンスの一団はこの運搬方法を使っていただろう。)
  
著者は、日本では「道具の人間化」により「過程尊重」の傾向が生まれ、西洋での「道具の脱人間化」は「目的指向」となった、と言っている。
 
この「過程尊重」は、「日本人の労働意識」を十分説明できる考え方だと思った。
 
「道具の人間化」とは「道具を人間のように扱う」わけで、つまりは道具をちゃんと使いこなす、道具を大切にする。それは必然的に経過(プロセス)を重視する、ということになる。
 
この「過程尊重」は「四季・稲作」のアジア的特徴を共有するアジア人(特に東アジア)全体に見られるものではない。中国や韓国などよく働く優秀な人々ではあるが、彼らの作るものの品質や作り方や手順などを見ると、日本人ほど「過程尊重」の意識は強くないと思われる。
 
この日本人特有の思考・行動傾向が芽生えたのは、日本列島における稲作の開始より以前に遡るのではないだろうか。
 
研究者らによると「過程尊重」か「目的指向」か、などの違いの根源は、はるか昔数万年前に使われた石器の違いに遡るという。日本は細かい作業ができる小型の石器(チョッピングツール)が使われていた地域に入る。欧州などは大型の手斧風の石器(ハンドアックス)。作り方も使い方も異なるという。

tools.jpg
 
日本は、「細かい作業」の伝統が1万年以上も前に定着し、それが引き継がれた、と私は思っている。世界で最古級の土器は日本でも発見されている。縄文土器の芸術性は世界的だ。手先が器用な人が日本列島には多く住んでいたのだろうし、またそういう伝統も代々継承されていったのだろう。
 
さらに征服民の侵略など、固有種族や文化を根こそぎ破壊するような出来事もほとんどなかったため、「結果だけ求められる」のではなく、時間や気持ちの猶予があって可能になる「経過もみてあげよう」という気分も保たれたのだろう(ちなみに大陸や朝鮮半島からやってきて後の弥生文化の成立に寄与した人々は、侵略的ではなく融和的移住だったことが発掘された人骨の分析からわかっている)。
 
つまり、今の日本人の「過程尊重」の思考・行動パターンは、少なくとも数千年の歴史がある、ということだ。全員ではないが多くの日本人はこのパターンにどっぷり浸かっている、と言っても過言ではない、と思う。
 
今生きている多くの日本人にとって、「なぜ仕事をするのか」「仕事をどう思っているのか」「仕事と人生とどういう関係にあると思っているのか」など、その基本は「過程尊重」にある、ということなのだ。
 
長くなったので、次回、これから日本人はどうあるべきか考えたいと思う。
 

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posted by ロンド at 17:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 人類学
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プロフィール
ブログネームは、ロンド。フリーの翻訳者(日英)。自宅にてiMac を駆って仕事。 2013年に東京の多摩ニュータウンから軽井沢の追分に移住。 同居人は、妻とトイプードルのリュウ。 リュウは、運動不足のロンドを散歩に連れ出すことで、健康管理に貢献。 御影用水温水路の風景に惹かれて、「軽井沢に住むなら追分」となった。