私はタバコは吸わない。Ich rauche nicht. だが、必ずしもドイツ語のせいというわけではない(「20カ国語ペラペラ」)。
私が十代のとき、タバコを吸うのは男性としては一般的だった。一人前の男になるための通過儀礼というような意味もあった。だから私が喫煙者になっても不思議ではなかった。
なんで吸わなかったか。原因の一つは、父にあった。国鉄職員だった父は、よく同僚たちを自宅に連れてきて、麻雀をやっていた。その部屋はタバコの煙だらけになる。私はそれが嫌でたまらなかった。だから麻雀もギャンブルもしない。一種のトラウマだろう。
(タバコ畑。タバコはイモやトマトやナスに近いナス科の植物で、実も付けるという。煙草が廃れても、タバコ自体はバイオ燃料として使えるそうだ。)
実は大人になってタバコを吸ったことはある。学生時代のアルバイトで窓拭きをやっている時、ビルの屋上で休憩中、遊びのつもりで同僚のタバコを吸わせてもらった。こともあろうか一気に肺まで吸ってしまった。
胃が痛いと胃の位置がわかる。恋をすると胸が苦しくてハートの位置がわかる(?)。私はタバコを吸った時二つの肺の位置がわかった。そのあと、苦しさのあまり5分くらいコンクリート床の上をのたうち回った。「一人前の男」への階段は一気に崩れた。
それ以降、何度かおふざけでタバコを吸ったことはあるが、肺に入れることはなかった。苦しくて肺まで吸い込むことはできなかった。ただの真似である。
あれは、英検の口頭試験のときだったか、順番を待つ私の前の人が急にそわそわし始め、ぱっと席を離れたと思ったら、一番近くの灰皿スタンドまで走って行き、タバコを吸った。「ああ、あの人はタバコの中毒なんだ。かわいそうに」と思った。いや、彼はただ緊張のあまり、タバコを吸って緊張をほぐそうとしただけなのかもしれない。そうだとしたら、うらやましい。喫煙者ではない私はどうやって緊張をといたら良いのだろうか。
ところが、最近知ったことだが、「タバコでストレス解消」というのは幻想で、生理学的に言うと、単に禁断症状が解消されるだけ、という。そうか、うらやましがる必要はなかったんだ。
私はタバコは吸わないが、個人的に吸うのは自由である。健康を害することがあってもそれは自分の選択であり自分の責任である。ただ、私が吸う空気をその煙で汚すことは勘弁してもらいたい。喫煙者は吸わない者にとってそれがどれほど苦痛なのかわからないのかもしれない。
友達同士で会うときも、喫煙者がいると胸が苦しい。ある時うれしいことにヘビースモーカーだった友人二人がピタリとタバコをやめた。肺か喉の疾患になり、入院こそしなかったが「こんな死ぬかと思うくらいの苦しい目に合うのならば(つまり息が苦しい)、タバコは二度と吸わない」と思ったそうだ。
また、かつての同僚は、タバコをやめたいと思ったが「禁煙してこんな苦しい目に合うのならば(つまり禁断症状)、禁煙は二度としない」と思ったそうだ。
タバコにまつわる苦しさも、人それぞれである。
最近の風潮はありがたい。今ほとんどタバコの煙に悩まされることはない。レストランなどの「テラス席はペットオーケー」は、「テラス席は喫煙オーケー」でもあることが多く、困惑することはあったが、軽井沢に来てからは、テラス席でも喫煙する人をほとんど見かけない。うれしい限りである。
かつては「歩きタバコ」する人も多く、そういう人の後ろを歩かざるを得ないときは、「ボクシング歩き」になった。パンチをよけるように、上半身を左右に振りながら煙をよけて歩いていた。そういえば似た動作は、温水路沿いを散歩する時にすることがある(「虫の名は。」)。
めっきり喫煙者を見かけなくなった昨今だが、恐ろしいことに「20世紀後半を舞台とする映画」では、喫煙者だらけなのだ。
先日テレビで見た映画「突入せよ! あさま山荘事件」(2002年)では、警察関係者ほぼ全員がチェーンスモーカーだった。見ているだけで胸が苦しくなった。幸い、途中で役所広司演じる佐々淳行が「今後この部屋は禁煙とする」と言ってくれたので、それからは少し胸がすっとした。
アメリカの映画でも似た傾向にあり、現代映画では、喫煙は「教育のない人、低階層の人」を象徴する演出で行われる感じがするが、過去を舞台とする映画では「エリート含め誰もが」喫煙者だった。

(タバコを吸う姿は絵になる。確かにこのような写真を見るとカッコ良く見える。だがそれも吸い込み・・いや刷り込みだろう。)
ただ個人的には、人に迷惑を掛けない限り「喫煙は個人の自由」と思っている。最近、芸能人(特に女優)で喫煙者だと批判的な記事が出たり、喫煙シーンがある映像作品が否定されるような風潮もある。私はそこまで否定するつもりはまったくない。「個人の自由」や「表現の自由」は尊重すべきである。
さて、タバコの起源だが、南米が原産地とされていて、最初はまじない師のような神がかる職業の人たちが使っていたらしい。やがて一般人にも広がり、さらにアメリカ大陸に押し寄せたヨーロッパ人たちにより全世界に蔓延していった。
しかしまあどうしてあんな苦しいものを吸おうと思ったのか、私にはわからない。皆「神がかり」したかったのだろうか。いやいや実際には「神がかり」ではなく「神あがり(かむあがり)*」を心配したほうが良い。
*「神あがり(かむあがり」とは、古語で「神として天に昇る=死ぬ」を意味する。喫煙者は、普通の空気を吸う人(私は「非喫煙者」という言葉が嫌いである)より、平均して10年ほど寿命が短いとされている。
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