軽井沢は、避暑地か。庶民的リゾートか。金持ち向けの高級別荘地か。食べもののおいしい街か。大規模アウトレットモールのあるショッピングタウンか。
軽井沢といっても、現在ではいろんな側面がある。
人口わずか2万人の町に、年間840万(2019年)の観光客が訪れる。新型コロナウイルスが世界を席巻している今、軽井沢は年初に外国人客も多く、現在でも次第に観光客が増えている。それなのに、なぜコロナウイルス感染者がほとんど出ていないのか(2020年8月18日現在)。誰もが疑問に思うことではないだろうか。
もし今後陽性者が多数出たりクラスターが発生したりしなければ、なぜ日本有数の観光地軽井沢が新型コロナ感染の渦から免れているのか。それに対する私なりの答えは「本当の軽井沢」にあった。

(中軽井沢のハルニレテラスで毎年梅雨の時期に行われる「アンブレラスカイ」。この日、2019年6月10日はちょうど雨が降っていた。今年のアンブレラスカイはコロナ禍のため残念ながら中止となってしまった。)
誰もが知っているように、「避暑地としての軽井沢の魅力を発見した」のは宣教師アレキサンダー・クロフト・ショーである。
桐山秀樹、吉村祐美著「軽井沢の歴史と文学」を参考に、軽井沢誕生譚をまとめてみた。
軽井沢一帯は、軽井沢、沓掛、追分の中山道3宿をのぞき、長い間荒れ地だった。英国国教会宣教師アレキサンダー・ショーが、明治政府に招聘された教育者ジェームズ・ディクソンと共に軽井沢を旅した明治19年も、そうだった。明治に入ってから江戸時代の幹線道路中山道とは別のルートで鉄道と国道が作られたため、3宿もすっかりさびれてしまっていたが、二人は軽井沢宿にひっそり残る宿屋「亀屋」(後の万平ホテル)に泊まった*。
*ショーが初めて軽井沢を訪ねた機会については、諸説あり、軽井沢新聞前編集長の広川小夜子さんは、ショーの次男ノーマン・リマーの日記に長男と次男の3人で初来軽したことが書かれていることを、確認している。
実はこの二人以前に、多くの外国人が軽井沢を訪れ、その素晴らしさを記録に残している。ガイドブックまで作成したのが、日本史にもよく登場する英国公使館通訳アーネスト・サトウ。
当時の日本人にとって軽井沢は、浅間山の天明噴火(1783)による傷跡がそのまま残る、「五穀生ぜず」と言われた「荒野」であったが、欧米からの外国人にとっては、夏になると草花が美しく咲き乱れる草原と青々しい森の、欧州の故地を思い出させる「懐かしい風景」であり、冷涼な気候と乾燥した空気の「健康的避暑地」だった。
ではなぜショーとディクソンの名が軽井沢誕生の立役者として記憶されるようになったのか。二人はあまりの美しさに魅了され「家族を引き連れ避暑に来た」からだった。それ以前の外国人たちはただの旅行者。だが二人は避暑を目的とした初めての外国人長期滞在者となった。そして当時の外国人コミュニティに軽井沢の避暑地としての素晴らしさを伝え、やがて日本人の有力者も別荘を持つようになり、こうして軽井沢の避暑地としての歴史が始まった。
明治以降、外国人に見いだされたリゾート地の日光や箱根とは異なる軽井沢の魅力は、ショーとディクソンに帰せられる。
ショーはキリスト教の宣教師。その高い宗教的道徳心をもって家族と共に「健康的で質素で地元の人々を大切にする生活」を送った。軽井沢の別荘所有者第一号でもある。「五穀生ぜず」だった軽井沢一帯がそののち高原野菜の産地となったのは、ショー始め初期外国人滞在者たちが、キャベツなど高原野菜の栽培を教えたからだと言われている。

(アレキサンダー・ショーが最初に建てた教会。今は「軽井沢ショー記念礼拝堂」として一般公開されている。)
ディクソンは大学教授らしく、亀屋の主人佐藤万平を通して、西洋式の生活習慣を軽井沢に取り入れるよう、努めた。そして牛乳の作り方、パンの焼き方など含めた西洋型のリゾート生活様式が軽井沢に確立していった。
こうした理念のもと軽井沢はさらに発展する。
岡村八寿子著「祖父野澤源次郎の軽井沢別荘地開発史」によると、軽井沢開発史には4人の人物が係わっている。
まず日比谷公園や大濠公園を設計・改良した造園家、本多静六(1866-1952)。彼は、長野県の委嘱を受け「軽井澤遊園地設計方針」を作り、回遊道路、植林、造林など自然を活用し、かつ利便性のある街作りの基本設計を行った。
次に独自に渡米、帰国後洋風住宅の建築業を始めた橋口信助(1879-1928)。アメリカ滞在中に学んだ建築技術を活かし、「真の別荘地とは何か」を考え、軽井沢にてその理想を実現すべく努力した。
そして関東大震災後の東京復興計画を立案し実行した政治家、後藤新平(1857-1929)は、豊富な海外経験を元に軽井沢の都市計画案を提供した。
第4の人物は、実際に軽井沢の原野を買収し、今につながる街並みを持った軽井沢を開発した野澤源次郎。彼を動かしたのは、上記の3人の先覚者たちだ。
かくして、日本有数のリゾート別荘地「軽井沢」が誕生した。整った道路網、森の中の散歩道、雲場池、植林された森(そのため湿度は高くなったが)、公共施設など、当時としては先進の田園都市機能を備えていた。
軽井沢のどこが、他のリゾートと違うのか。
突き詰めて言えば、軽井沢にはショーのキリスト教的清潔さ、質素さ、正直さが生きているからだと思う。
「娯楽を人に求めずして、自然に求めよ」とは、軽井沢に別荘を持った外国人コミュニティのスローガンであり、今でも軽井沢のスローガンとして使われている言葉である。だから、軽井沢の朝は早く、夜も早い。
リゾートとは本来保養地のことである。軽井沢は気候的・環境的にもまさしく健康回復を目的とした「保養」に向いていた。ショー曰く「屋根のない病院」だ。
別荘地とは何も金持ちだけのものではない。前述の橋本信助が提唱しているように、「都会で疲れた人々が心身とも英気を養うところである」「善良な風俗と正常な生活環境があり、婦女子でも安心安全に過ごせる場所である」「知的レベルの高い文化施設が整備されているところである」。
前述の4人を含めた軽井沢開発の先駆者たちは、ショーの質素で自然と共にある避暑・保養・別荘生活の理念を十二分に理解していたから、今の軽井沢がある。
住宅や商業施設など様々な規制がある軽井沢町だが、町としてはただただ「軽井沢誕生の基本理念」に忠実なだけである(商業主義が跋扈する現代ではそれがとてもむずかしいことなのだ)。
新型コロナの感染嵐をなんとか遠ざけている軽井沢。どうしてかは、「軽井沢の基本理念」を考えてみれば、納得である。
ウイルス感染の大きな要因は、「密」と「口からのエアロゾール拡散」という。
自然、人々、質素、健康を大切にするショーの理念を引き継ぐ軽井沢には、「夜の街」はない。風俗もない。高地ゆえ、空気もきれいで、殺菌力のある紫外線も降り注ぎ、フィトンチッド溢れる森があり、空間的にも余裕がある。
軽井沢の歴史を知らない娯楽目当ての観光客も、ショーの遺産である軽井沢の雰囲気に包まれると「ここは普通の観光地とは違う」ことを感じ取り、「家族・友達と過ごす落ち着いた時間の大切さ」を感じるに違いない。だからどんちゃん騒ぎしたりハメを外したりしない、いやできない。

(雲場池でウェディング記念写真撮影。たぶん二人は台湾からの観光客だったと思う。)
「ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)」とは、一般に「(資産、権力、知力など様々な)力を持っている者は、それ相応の責任がある」というような意味に理解されている。歴史的にも、高貴な者が文化・文明を作り上げてきた面はある。軽井沢の別荘地としての文化もそうである。
学者、作家、音楽家、俳優など、社会的に成功した人々も、たくさん軽井沢に住んでいたり、別荘を持っていたりする。そういう人々が良い意味での高貴な精神を発揮し、今後も率先して軽井沢の文化を守ってもらいたい。
そして今は庶民もかつて高尚だった高度な文化的活動を普通に行うことができるようになっている。軽井沢の保養地・別荘地としての文化は、ショーが考えたように、軽井沢の理念に賛同する者であれば、経済的格差に関係なく誰でも共有できる。
富裕者、一般庶民、行政、商業者、そして観光客。こうした様々な人々が、ショーの見た「本当の軽井沢」に共感し、それを共に維持していけることが、理想だろう。
最後に、今後どうしても抗いきれない感染の波が軽井沢を襲ったとしても、「本当の軽井沢」の理念は揺らぐものではないと信じている。
読んでいただきありがとうございます。

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軽井沢に初めて足を踏み入れたのは、小2の林間学校として行った時。私が通う学校は元々宣教師が創立した学校。それもあってか、かなり昔に軽井沢に土地を持ち、寮を建て、夏の時期にセミナーや林間学校として使うようになりました。初めて行った軽井沢。色々な思い出がありますが、その後、成人になっても、何故が毎年のように訪れるようになり、いつしか 私の中で大好きな場所になり、巡り巡って
今は軽井沢から1時間ほどの所、嬬恋に終の棲家を持つことになりました。小2の頃に、この先こんな風になるとは、考えもしなかった。でも、心の奥に、夢ではあった事でした。
軽井沢は不思議な魅力があると、私は感じています。確かに都内から近距離にある避暑地としての軽井沢ではありますが、他の観光地とは違う、精神が宿ってる場所なのかもしれませんね。お話を読ませて頂きながら、改めて思った次第です。
嬬恋に移住されたのですね。あちらも気持ちが良い場所ですよね。庭木を選ぶため嬬恋の植木屋さんに何度か行きましたが、広い高原野菜畑が印象的でした。
高原リゾートとしてだけでなく、軽井沢の歴史的な「精神」をもっと宣伝してもらいたい、と思います。宣教師ショーさんの提唱する、いわば「心の癒やしになるリゾート」という考え方は、コロナ禍の今ならば、もっと人々の心に響くのではないでしょうか。