2019年05月10日

ブランド読みのブランド知らず


若い頃、ブランドには縁がなかった。名前もほとんど知らなかったし、興味もなかった。

ある時から仕事柄、ちょっとだけブランドに詳しくなった。それは添乗員をしていたとき。ツアー客の目的の一つが「海外のブランド品を安く買う」ことだったからだ。たいていどこに行っても「免税店」があり、安くブランド品が買える。衣類等では「グッチ」「ラルフ・ローレン」「ティファニー」「コーチ」「アルマーニ」「ルイ・ヴィトン」「エルメス」「ディオール」などなど。お酒では「シーバスリーガル」「ヘイグ」「レミーマルタン」などなど。

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(Jana Segetti という、ペテルスブルク(ロシア)のブランドが開いたファッションショー。Jana Segetti という非ロシア的な名前は、前半が設立者関連の名前にちなみ、後半がハンガリー語の「境界」という意味とのこと。いかにも今風の無国籍的命名だ。)(Photo by Pixaboy)

それまで聞いたこともなかったブランド名をいろいろと知るようになった。もっとも「知る」だけで、自分で買ったり使ったり飲んだりすることはなかった。免税と言ってもまだまだ高額だし、その価値もわからなかった。

スイスのジュネーブに行ったとき、ツアー客を連れてとある免税店に寄った。もちろんツアーの旅程に入っている。買い物後、チーフ添乗員がコミッションを受け取った(コミッションは合法なもので、旅行会社に渡される)。スイス人店長は、私が新人添乗員でスイスに来たのは初めてだと聞くと、ねぎらいの意味かビーニー帽(つばのない耳まで覆えるニット帽子)をプレゼントしてくれた。ブランドはクレージュ(Courrèges)。ちょうど冬だったので、旅行中重宝した。そのビーニー帽は何と30年以上たった今でも使っている。日本で買った他のビーニー帽は数年経つとよれよれになり毛玉だらけになる。それほど高価な物ではなかったと思うが、クレージュ製品の品質の良さには驚いている。

添乗員をやめてからは、「ブランド」という名前は私の生活から消えてしまった。身近なブランドは愛用していたが。例えば「グンゼ」とか・・・。

ところが、フリーランス翻訳業を始めて数年目に、とある翻訳を依頼された。それは、「(横文字の)ブランド名」を日本語にする仕事だった。

今みたいに、簡単にちゃちゃっとググることなどできない時代だったので、どうやって調べたのか、思い出せない。いろいろ人に聞いたりもしたのだろう。苦しんだおかげで、ブランド名の読み方に詳しくなった。

その時、読み方に苦しんだブランド名には、次のようなものがあった。

「Loewe」「Aquascutum」「Versace」

Loewe なんて、一体何語かもわからなかったが、何とか調べて判明した。「ロエヴェ」だった(日本の表記としては「ロエベ」)。単語としてはドイツ語なので、w を「ヴ」と読む(ドイツ語の w は英語で言えば v の発音。だから日本人の「わかこ」さんはドイツでは「バカコ」さん、というジョークがある)。

Aquascutum はもともとラテン語で、aqua が「水」、scutum が「楯」。合わせて「防水」を意味するそうだ。このブランドは英国なので、読みは「アクアスキュータム」と英語的に読む。

Versace はイタリアのブランドなので「ヴェルサーチェ」と発音し、日本でのブランド名も同じだが、英語では「ヴァーサーチ」という感じで発音されている。

かつてテレビで見たアメリカ映画で、タイトルも内容も覚えていないが、モデルになりたくて都会に出てきた田舎娘が、ファッション関係の男性らと話していて、「私は Versace が好き」と言う。だがその発音は「ヴァーセイス」だった。当然彼女はバカにされた。

Versace を普通に英単語として読めば、「ヴァーセイス」になるので、ファッション雑誌などで見ていても、実際に発音される音を聞いたことがなければ、そう読んでしまっても不思議ではない。

翻訳したブランド名はもっとあったと思う。そこから学んだのは、「何語の発音か」で名前の読みが変わるということ。ブランド名はヨーロッパの言語が使われることが多い。「20カ国語ペラペラ」でも書いたが、何カ国語もかじっていたおかげで、どうやって読むか、コツを掴むことができた。

一般のアメリカ人にとっても、Versace の例もあるようにヨーロッパ系のブランド名は発音しにくいと思う。なまじ「横文字」なので、英語のつもりで読んでしまう、のは当然である。

例えば、Hermes は日本人は横文字でなくカタカナで読むので「エルメス」と言えるが、もともとギリシャ神話の神「ヘルメス(ヘルメース)」なので、アメリカ人は「ハーミーズ」と読んでしまう。ところがブランドとしてはフランス語なので、h は「無音」になる。アメリカ人も、「読み方」を習わないと、前述の映画みたいに、笑われかねない。

その逆が Nike である。これもギリシャ神話の神「ニケ」だが、アメリカのブランドなので「ナイキ」と発音される。英語以外のヨーロッパ言語では「ニケ」と発音されるので、彼らはブランド名としては「ニケ」ではなく「ナイキ」と言わないとわかってもらえない。

日本はそういう問題がなくて楽ではある。ブランド名はカタカナ表記になっているからだ。

我が家のワンコが大好きな「格好の散歩場所」である軽井沢プリンスショッピングプラザは、ブランド名店街である。200店を超える店があって、それぞれブランド名を掲げている。

0Tree_Mall_Liu.jpg
(「ツリーモール」のブランド店街。我が家のワンコはどの店にも当然のように入ろうとする。本人はスリングバッグかペットカートに入らなければならないのだが。10連休終了直後の平日、真冬より少ない人出だった。これから新緑、夏休み、紅葉と続く。たぶんこんな日はもうない・・・。)

ブランド店が軒を連ねるモールを歩きながら、クセでつい「ブランド名」を読んでしまう。

「ニューウエスト」に、リズムの良いブランドがある。「サマンサタバサ」だ。これは日本のブランドで、米TVドラマ「奥様は魔女」の「サマンサ」と彼女の娘「タバサ」から取った名前だという。綴りは Samantha Thavasa。「タバサ」はドラマでは Tabatha だが、そっくり同じにすると商標上問題が出てくるから Thavasa に変えたのだろうか。それにしても「サマンサタバサ」はリズムにのって発音したくなる名前である。

「コムサ(comme ça)」も日本発の不思議なブランド名だ。「コムサ・デ・モード」「コムサ・イズム」など、いくつものブランド名がある。comme ça はフランス語で、「like that」というような意味。どうしてそんな単語を選んだのだろう。かなり前から目にしているブランド名なので、気になっていた。プリンスショッピングプラザには、その飲食バージョン「カフェ・コムサ」がある。

ブランド名の命名法は、日本のみならずどの国でも同じようだ。どこかしらかっこ良い響きで、場合によっては何語かわからず、どう読むかも作り手次第である。

職業病なのか、ブランド名を見ると、読んで見たくなり、その語源などを調べたくなる。ところが、そのブランドが何を扱っているのか、となると、もともと興味がないので例えば「着る物だろう」程度で心もとなくなる。

「ブランド読みのブランド知らず」とは私のことである。


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posted by ロンド at 17:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年05月21日

マイ・ホーム・イン・オイワケ


「ホーム (home)」ってなんだろう。普段はあまり考えませんが、一般的には「マイ・スイート・ホーム」、暖かい家庭、がホームですかね。

私にとって、A home without a dog is just a house. 「犬のいないホームは、ただのハウスである」なんです。我が家には犬が一匹いるので、我が家は「ホーム」なのです。

A home without a dog is just a house.

実はこの言葉、先日行ったとある動物病院の壁に掛かっていたプレートに書かれていたものです。

IMG_9653.jpg

この言葉は、home と house の定義をよく表しています。home は日本語で言えば、「我が家(わがや)」。house はただの建物としての「家」。

仕事柄、様々な文献を当たり、適切な英単語や英文を参考にするためよくネット検索をします。あるとき、このような文章を見つけました。

Judith Carboni, a nurse, described home as “a lived experience that possesses deep existential meaning for the individual.”

ジュディス・カルボーニさんは、Homelessness among the Elderly”という書物で「老人介護施設」の在り方を問うた看護師でもある老人学の研究者で、home を上記のように定義付けしているのです。直訳すると、「個人にとって深い実存的意味を持つ、人が暮らしているという経験」ですが、よく意味がわからないので、意訳してみます。「ここで本当に生きて暮らしているんだ、という実感があること」が home。

そして homelessness 「ホームレスの状態」は、the negation of home、つまり「上記の意味でのホームというものが存在していないこと」と言っています。私の解釈では、「生きて暮らしているという実感がないこと」が「ホームレス」なのです。

さらに、home の特徴として7つ挙げています。(1) identity, (2) connectedness, (3) lived space, (4) privacy, (5) power and autonomy, (6) safety and predictability, (7) the ability to journey out into the world。

これを自分なりに解釈したいと思います。

(1) は日本語でも「アイデンティティ」と言っていますが、「自分が自分であること」。home では「自分が自分であることがわかる」ところなのです。

(2) は、みんな(家族)とつながりがあること。単身であっても、隣人や遠くの家族とのつながりも home があれば可能だ、ということでもあると思います。「住所不定」では誰かとつながりを持つのは難しいです。

(3) は、居住空間、自分が住んで暮らしている空間があること。これはよくわかりますね。

(4) は、プライバシー。これもよくわかりますね。避難所生活ではプライバシーを確保するのは至難の業です。

(5) は、「権限と自主性」ですが、まあ「自分で自分の考えで何かをやることができる、許される」ことで、例えば刑務所などのようなすべて命令のもとで許可を受けないと自分のしたいことができない所とは違う、ということだと思います。

(6) は、「安全と予見可能性」ですが、安全はもちろん自分の家にいれば安全です。予見可能性とは、何が起きるか予想できるような状態ということです。自分の家ですからね、何がどこにあって、何をすればどうなるか、はわかります。それも自分の家ならではです。

(7) は、「世界に旅立てること」ですが、これはつまり「ウチとソト」の関係を言っているのだと思います。また、例えば子供のように自立できるほど育ったら、社会に出て行くこと、言い換えると、外の世界に出ていくまで、home にて自立できるまで安全に育つことができる、ということだと思います。

home_for3.jpg
(理想的なホームのイメージ写真)

これらが home の特性、とジュディスさんは言っているのです。この方は、home とは何かをじっくりと考えたのでしょうね。なんだか、home がとても居心地が良く大切なところのように思えてきます。

逆に言えば、人間にとってこういう場所がないと、社会における人間としての生活ができないような気がします。

ちなみにカルボーニさんは、この定義にもとづき老人介護施設というのは homelessness の状態であるかもしれない、ならば老年期の人間にとっては介護施設は必要なのだろうか、と疑問を呈しているのです。考えさせられますね。

さて、ジュディスさんの言う home と我が家のワンコはどういう関係があるのでしょうか。簡単に考えると、(2)の connectedness に関係すると思います。犬も人類にとって同種の人間以外で初めての家族の一員となった生物です。太古から犬は home の一部だったに違いありません。

jump_liu.jpg
(「ここがぼくのホームだ」)

でも、犬がいないお家でも、この7つの特性があれば、りっぱな home ですから、誤解なきよう。

ちなみに、上記の動物病院には、cat バージョンもありました。ウサギもハムスターも小鳥も、きっとみな同じですよね。


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posted by ロンド at 18:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2017年04月19日

小諸ラプソディ

小諸のイメージは暗かった。「小諸なる古城のほとり」が、何となく夕暮れを感じさせていたから。

東京を離れてどこかに住んでみよう、という思いで、軽井沢観光の合間に「ペット可賃貸物件」を探した。

これは、というマンション(鉄筋アパート?)は小諸にあった。スーパーとホームセンターが目の前。そばに公園もあって犬の散歩もできる。

部屋は3階の2LDK。北側の窓から見える浅間連山が、目の覚めるような美しさだった。「とりあえずここに住もう」ということになった。

AsamaCloud.jpg

小諸駅はマンションから車で10分ほどの距離にあった。駅から続く街並みは、昭和40〜50年代風。行き交う人も車も少なく、シャッターの下りた店が多い目抜き通りは、時代に取り残された町、という感じだった。

OldShop.jpg
(駅そばにある古いお店。閉店?)

マンションの近隣にある二つの公園。両方とも広いが犬が走れる広場がない(一つの公園にある広い芝生は犬禁止)。そこまで行く道は、歩道はあるけれど狭く街路樹がない。

StreetKomoro.jpg
(地方都市は、周囲が山や森だらけなので、市街地に緑は必要ないと思っているふしがある。)

どの地方都市も同じだが、小諸市も歩道が少ない。そのため犬の散歩が落ち着いてできない(車に気をつけなければならない)。歩道には街路樹がほとんどないため、夏場の散歩は直射日光に晒される。

こちらに移住するまで15年住んだ多摩ニュータウンは、「公園都市」であり「森の都市」。どの車道にも広い街路樹付きの歩道が左右にあり、あちこちに公園があり、木陰がやさしく、緑にあふれている。保守管理も行き届いている。どんな公園にも犬が入れる、ペットと暮らすのにも最適の街だった(飼い主のマナーもしっかりしている)。

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(多摩NT若葉台の公園。休日は家族連れキャンパーでにぎわう。)

WakabadaiStreet.jpg
(多摩NTの標準的歩道と街路樹)

小諸は、そんな多摩NTとは真逆の街だった。

しかし「とりあえず小諸」だったので、何とか我慢し、その間に物件探しをした。移住の候補地は佐久市だったが、多摩NTの環境に一番近いと思えた軽井沢に適当なリゾートマンションを見つけて引っ越し、小諸での3ヶ月の生活は終わった。

軽井沢に引っ越してからも、小諸は近いのでしばしば訪れる。

タイヤを冬用に取り替えるタイヤ店、東京で使っていた都市銀行のATMが使える唯一の銀行、たまに食べたくなるケンタッキーフライドチキンの店、テラスでペットと食事ができる、手入れの行き届いた美しい芝生のある駅前の「停車場ガーデン」。もろもろの用事で小諸に行く。

KomoroTeishaba.jpg
(駅舎と「停車場ガーデン」のテラス席)

小諸に来る度に、「この町は知っている、かつて住んでいた町」という既視感が生じる。当然だ、住んでいたのだから。

そして時間がたつにつれ、何か懐かしい、親しみがある、故郷(ホームタウン)みたい、小諸が好きになってきた、住んでいるときには見えなかった良さが見えてきた。

そこそこ古い街並みが点在している北国街道沿い。四季折々の美しさが楽しめる懐古園(小諸城)。空間的な躍動を感じさせる坂道。廃れた街並みと思っていたのに、ゆったりしていて心地良い。

KomoroCastle.jpg
(小諸城の城壁)

最初は、移住地への足がかりとして「とりあえず」の小諸だった。

今は、長野における私たちの「故郷(いなか)」として小諸がある。

KomoroAvenue.jpg
(駅から伸びる目抜き通り。この二三年で歩道と道路がきれいになった。)



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posted by ロンド at 01:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
プロフィール
ブログネームは、ロンド。 2013年に東京の多摩ニュータウンから軽井沢の追分に移住。今年還暦に。 同居人は、妻とトイプードルのリュウ。 ロンドは、フリーの翻訳者(日英)。自宅にてiMac を駆って仕事。 リュウ(13歳)は、運動不足のロンドを散歩に連れ出すことで、健康管理に貢献。 御影用水温水路の風景に惹かれて、「軽井沢に住むなら追分」となった。