2018年11月09日

列車の遠鳴りが聞こえるところ


庭にいるとき、列車の走る音がふんわりと聞こえてくることがある。


しなの鉄道は私が住む追分の東から南に向かって走っているのは知っていたが、1キロ近く離れているし、しかも線路は堀割を走っている。だから、その音が我が家まで届くとは思わなかった。

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(三両編成のしなの鉄道。撮影場所は、御代田と信濃追分の間)

たまたま列車が通っているとき東風か南風が吹いて、たまたま私が庭にいるときに聞こえる音だ。


木霊するようなガターンゴトーンという列車の遠鳴りは、不思議に気持ちが和む。


オーケストラの演奏でも、劇場内の「遠鳴り」は特別な音響効果があるという。間近で楽器が奏でられていると、音量は大きく音のぎらつきが体に響く。だが、遠くまで届く音、遠鳴り、は、様々な音がバランス良く混じり、適度な音量や音質となって、耳当たりよく響く。


遠くまで届かせるには、大きな音を出せば良い、というものではない。だから遠鳴りする音を出すには、かなり高度な演奏技術が求められるという。


列車の遠鳴りも、線路と車輪の金属音など耳にきつい音素が様々な音と組み合わさって、心地よく響く音に変わるのだろう。


列車の遠鳴りで心地よさ以上に感じるのものがある。それは、なつかしさである。


そういえば、生まれ故郷の甲府でも、列車の遠鳴りをずっと聞いて育った。当時住んでいた家から、南の方向に中央本線が通っていた。


実際は線路から我が家まで800メートルくらいしか離れていないが、そのころはもっと遠いと思っていた。


生まれ育った街は、道は広く、建物は高く、線路は遠かった。自分が小さかったから、回りの世界が大きく見えていたのだ。


列車の遠鳴りはそのころのイメージと重なり、郷愁を感じさせるのだろう。


テレビでは「鉄道の利用」を勧める鉄道会社のコマーシャルが流れ、鉄道をテーマとした刑事ドラマや、芸能人が日本各地を旅する番組などもある。特にコマーシャルは、魅力的な観光都市、地方都市、自然の風景が映され、耳に残る音楽が流され、いかにも「鉄道でどこかに行けば、良いことがある」と思わせるよう作られている。


それらは「鉄道の音=ノスタルジー」の連想を一般大衆に刷り込むには大いに効果があったことだろう。列車といえば通勤電車、という都会っ子でさえも、列車の遠鳴りを聞くと郷愁を感じるのではないだろうか。私もそう刷り込まされた一人かもしれない。


ただ私の場合、ノスタルジー以上に感じるのは「異界感」である。列車の遠鳴りを聞くと、とたんにイメージは夕暮れになり、どこか知らない世界への門が開くかのような雰囲気が自分の中に生まれるのだ。


私が幼いとき、遠くに行くには電車しかなかった。もちろん自動車はあったが、当時はまだ自家用車を持っている家庭は少なく、我が家も家族旅行は、いつも電車だった。


しかし 楽しかったはずの家族旅行なのに、なぜかどこに行ったのかほとんど覚えていない。


旅行の記憶は不鮮明だが、「どこか知らない場所」の夢はよく見た。今でも時々見る。自分の知っている、または見たことのある街に似てはいるが、実在してはいない街。しかし非常に鮮明な映像の夢。


ひょっとして、家族旅行で行ったのはどこか別の世界であって、戻ってきたときには記憶が消されてしまう仕組みになっている、異界旅行だったのかもしれない、などと夢想してしまったりする(spirited away = 神隠しに遭う。「千と千尋の神隠し」の英語タイトル)。


たぶん、幼い頃は世界が狭く、その世界の外に行く手段は鉄道だったから、列車の遠鳴りを聞くと、そういう異世界に行く、という感覚が生じるようになったのであろう。


ところが軽井沢に移り住んで、つい最近、列車の遠鳴りは聞かなくても、同じような「異界感」を感じたことがあった。


それは、軽井沢千住博美術館(http://www.senju-museum.jp)に行ったときだった。


幻想的な作品が多い絵画の中で、とりわけ私の足を止めたのが「月映」。中央に多くの線路が通っていて、向かう先はいくつものプラットホームがある駅。左右にはビルが立ち並んでいる。駅も建物も地平線まで続き、空には月が浮かび、月光で風景が夕暮れ時のように見える。


この作品が描く世界は、知っているようで知らない世界。そこは鉄道が象徴的な位置を占めている。


列車の遠鳴りを聞く度に感じていた異界感が、目に見えるものとして現れたのが、千住博の「月映」だった。

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(千住博の「月映」。撮影が許可されている期間に、千住博美術館にて撮影)

千住博画伯といえば、代表的なモチーフである「滝」。その発展形という「地の果て」。見ていて冷たさを感じるという人もいるが、不思議に引き込まれてしまう世界観がある。


それらの淡色系作品に比べると、「月映」は温かみがあると言えるが、「別世界」の感覚は強かった。


リゾートであり観光地であり、文壇や画壇を惹きつけてやまない軽井沢そのものが、異界なのかもしれない。



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posted by ロンド at 16:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 軽井沢

2017年09月18日

ちょうどよい軽井沢


軽井沢はサマーリゾート。文化的な別荘地。自然あふれる保養地。そんな「おしゃれな高原観光地」といったイメージが一般的だろう。

軽井沢に移住して3年、最近思うこと、私にとっての軽井沢は「ちょうどよい町」であることだ。

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(ペット連れも多い旧軽銀座)

例えば気候。軽井沢は標高約千メートルの高原リゾートだから夏は涼しい、冬は寒い。

最近軽井沢の夏も暑くなってきたと言われているが、観光スポットは木のないところが多いから、気温30度を超えると日射も強いため、暑いと思われるのだろう。だが、多くの住人は森の中に住む。外気温30度超でも一歩森の中に入れば、ヒヤッとして涼しい。それに朝夕はぐっと気温も下がる。「ちょうどよい夏」である。

冬は寒い。最近雪も増えてきたと言われているが、日本にはもっと雪深いところはたくさんある。同じ積雪寒冷地である東北や北海道と違うのは、軽井沢の好天である。特に西側の追分となると晴天が多い。日中零下でも日が出ていると、体もポカポカ、心はうきうき。おまけに家はもとより寒冷地仕様で冬も暖かく薪ストーブは心も体も温める。結果的に、「ちょうどよい冬」なのだ。

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(雪道の散歩。お天気なので暖かい。)
 
人口わずか2万。ところがその人口でまかなえる以上に食に関わる店が多い。フレンチ、イタリアン、中華、おそば屋さん、パン屋さん。これらの味を支えているのは、飽食・贅沢とかそういう意識でなく、軽井沢を避暑地として開発した宣教師たちの正直さ、素直さの伝統を受け継ぐ「食のまじめさ」だと思う。「おいしいものを作って食べてもらう」という意識を持った人たちが集まりお店を出す。そしてその営業を支えているのは観光客。そしてありがたいことに軽井沢定住者はわざわざ大都会に行かなくても、懐具合との相談で、ときどきおいしいものが地元で味わえる。

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(手頃な値段でおいしいパンやイタリアンが楽しめる旧軽ロータリそばの「沢村」)
 
さらに軽井沢周辺は野菜の産地。長野は青森に次ぐりんごの産地だ。ブドウも桃もある。新鮮でおいしい野菜や果物がいつも食べられる。都市生活に戻りたい妻を引き留めているのは、大好物の信州りんごだ。

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(皮のまま食べられる種なしの「ナガノパープル」は十年ほどまえに登場した新しいブドウ)
 
だから、食についても「ちょうどよい」。

私は森の中の住民なので、実は時々「人混み」が恋しくなる。そんな私にとって日本有数の観光地である軽井沢は「人混み」を求めるには「ちょうどよい」。渋谷とか新宿とかそんな究極の混み具合ではない、「ちょうどよい」人混みなのだ。

それに空気はきれいで街並みも清潔だ。おまけにペット可のお店も多く、犬にやさしい。さらに満員電車など乗らなくても、ハイシーズンでなければ20分車を走らせれば旧軽銀座や軽井沢プリンスショッピングプラザに着ける。

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(プリンスのフードコート)
 
中軽井沢のハルニレテラスもお気に入りスポットの一つ。東京の代官山みたいな(ほとんど行ったことはないのでわからないがイメージとして)瀟洒た店構え。でも森の中。レストランはどこもテラス席がありペットと一緒に食べられる。湯川の渓流沿いの散歩もできる。温泉もある。適度に都会性が楽しめる。大都会のハイソさ一流ぽさにはあまり縁がなかった私にとって、ハルニレテラスは都会的な雰囲気と森の雰囲気がこじんまりした空間のなかで同時に味わえる「ちょうどよい」スポットなのだ。

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(ハルニレテラスのテラス席) (脇を流れる湯川の渓流)

昨今増えている自然災害。実は軽井沢は天災についてはかなり安全だと思っている。

国や各自治体のシミュレーション結果などとしてすでに公表済みだが、いつ来てもおかしくないと言われているプレート型大地震やフォッサマグナの直下型地震が来ても、佐久や小諸を含めた軽井沢周辺はせいぜい最大震度5強くらい。軽井沢周辺そのものに活断層がないから直下地震もない。

震度5強であれば、旧耐震の建物(1981年以前に建てられたもの)でも壊れない(旧耐震の建物は震度6強で半壊以上となる)。

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(浅間山)

でも軽井沢には浅間山という活火山があるだろうって。

確かに18世紀の天明噴火は甚大な被害を及ぼした。しかし、頻繁に小噴火を繰り返した20世紀初頭からの活発期と比べても、今はとても静かなのだ。それが突然大噴火を起こすはずはない。

長い災害の歴史を持つ浅間山は観測態勢も充実していて、マグマの位置や動きもわかる。私は素人だが、地震と違って火山はマグマがあってこそ噴火するのだから、現在の状態から言ってこの数十年の間に大きな噴火はないと思っている。

結論から言えば、軽井沢は、地震や噴火に対する安心感についても、「ちょうどよい」と言えると思う。

最後に、「仕事」について。

主要産業である観光産業や農業と並んで、地元の働き手は「自営業」というか「手に職」を持った人たちも多い。

なにしろ家を建てるのに、最初にすることが高さ20メートルを超す木々の伐採・抜根という森林の町である。大工さんを始めとした土木建築業の職人さん、ノコギリ、カンナ、電動工具などを駆使し建具を作ったり薪棚を作ったり家を作ったり、バックホー、クレーン、ミキサー車などを操り地面を掘り整地し庭を整備したり道を作ったりする。こうした職業は、器用さ、繊細さ、忍耐力、心配りだけが必要なのでなく、多分に物理的、数学的な知識と感覚を必要とするのだ。

庭作りで依頼した職人さんのバックホーを操る姿はカッコよかった。職人さんの休憩中に、庭に置かれたバックホーにこっそり乗ってみた。心が躍った。動かしてみたかった。同じ「手に職」でも指しか使わない翻訳業の私からすれば、なんとも奇跡的な創造職である。

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(初めてのバックホー!)
 
ちなみにご近所にも、パソコンを使って自宅で仕事をしている人たちが多い。仕事の親近感においても「ちょうどよい」のだ。

そんなわけで、3年目の定住者である私にとって、軽井沢は生きている充実感という意味において「ちょうどよい」町なのである。


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posted by ロンド at 16:36| Comment(4) | TrackBack(0) | 軽井沢

2017年06月14日

軽井沢別荘哀史


軽井沢に別荘を建てる。それは価値観が多様化した今でも、仕事をがんばってきた証です。

別荘を見ると、どんな人がどんな思いで建てたのか、その家族がどんな思いで使ってきたのか、など想像してしまいます。あの設計にしたのはなぜ、この庭にしたのはどうして、などつい詮索・・・いやインタビューしたくなります。きっといろいろな物語があるのでしょう。

ところが、追分で森の小径を散歩しているとしばしば「廃屋」のような建物を目にします。どれも建てられてから数十年は経っていると思われる建物です。さらに旧軽井沢の高級別荘地でも廃屋に近い別荘を見ることがあります。

軽井沢に別荘を持つことは、昔ならなおさらその意味は大きかったことと思います。苦労の末建てた別荘が、使われず朽ち果てるままに放置されている。どうしてだろう。不思議に思っていました。

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(自分で設計したのでしょうか。ユニークな形状の古い建物)

そこで、なぜ廃屋のような別荘が残っているのか、について自分の観察と分析、それに想像を加え(つまり勝手なことを言っている、ということですが・・・)、さらに不動産売買に関わる人から聞いた話などを合わせ、次のような「物語」を考えました。

・数十年前、軽井沢に別荘を持つことは成功の証。旧軽のような高級別荘地をのぞき、周辺地域では案外土地も手頃、また夏仕様の小さな小屋風別荘なら建築費も安い。だから意外と安価に別荘が持てたのかもしれない。大金持ちでなくともがんばって人並み以上の資産を持てた人たちも軽井沢に別荘が持てた。

・若いときは貧しかった。成功への道は、平坦ではなかったかもしれない。でも一生懸命働いて豊かになった。苦労の分だけ、成功の証である別荘での時間は、至福の一時。人生の満足感と達成感で満ちあふれた別荘での家族との避暑。

・そんな至福の時間も年と共に減っていく。老年となり軽井沢に来るのがつらくなる。そして夏仕様の簡素な建物はしだいに古くなり、使い勝手が悪くなる。

・成功者の子供たちは、生まれも育ちも大都会。大都市の利点を十二分に享受してきた都市生活者。親の苦労も田舎への郷愁も知らない。軽井沢も親とともに何度も通って、もう飽きた。軽井沢とはいえ、田舎の生活。そんな田舎の不便さは、好まない。親の「苦労して成功を手にした達成感」を共有していない子世代は、軽井沢の別荘に強い思い入れがない。

・数十年を経た別荘はすでに老朽化し、ましてや冬はとても暮らせたものではない。補修するにも限度がある。(工務店によると、冬でも使える通年仕様が標準になったのは、ここ十年くらい、とのこと。)

・親の成功は必ずしも子に遺伝するわけではない。世襲の家族経営は別として、親と同じ収入を子供が得られるようになるとは限らない。別荘の大規模補修にかけるお金は出せない。出すだけの価値も見いだせていない。

・ではなぜ売却などの処分をしないのか。古い建物があるとあまり売れない。辺鄙な場所にある場合、なおさら売るのがむずかしい。建物を取り壊して更地にすればいいが、それもお金がかかる。ほっておいても固定資産税がかかる。しかし「軽井沢に別荘があるんだ(親のものだし、もう使っていないけれど)」というちょっとした虚栄心、「そのうち土地だけでも値段が上がるかもしれない」というちょっとした期待感が、固定資産税だけは払おうという気持ちにさせるのかもしれない。

かくして、軽井沢に廃屋のような別荘が増えていく。数はずっと多いと思うけれど、建てたときから高級仕様でさらに時代に合わせ改築されてきた富豪の別荘や、収入などには関係なく親の思い入れを共有できた子世帯がいる家族の別荘(時を経ても使い続けられている別荘とその所有者である多世帯家族を時々見かけます)をのぞき、数十年前に建てられた別荘の一部は、こういう運命にあるのでしょうか。

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(旧軽にある件の富豪の別荘)

でも朽ち果てた別荘とはいえ、それは努力の証だったわけで、建てた本人にとっては夢の実現。自分が世を去ったあと廃墟となり果てても、悔いはないに違いありません。「我が人生に悔いなし!」

そのことを思うと、いつも松尾芭蕉のあの有名な句が私の頭に浮かんできます。

夏草や 兵どもが 夢の跡

今年も、生い茂った雑草と木々に囲まれた廃屋別荘を横目に、森の小径を散歩する夏の日々がやってきます。

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(追分の小径)


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posted by ロンド at 18:11| Comment(2) | TrackBack(0) | 軽井沢
プロフィール
ブログネームは、ロンド。 2013年に東京の多摩ニュータウンから軽井沢の追分に移住。今年還暦に。 同居人は、妻とトイプードルのリュウ。 ロンドは、フリーの翻訳者(日英)。自宅にてiMac を駆って仕事。 リュウ(13歳)は、運動不足のロンドを散歩に連れ出すことで、健康管理に貢献。 御影用水温水路の風景に惹かれて、「軽井沢に住むなら追分」となった。