2019年06月09日

若いときはわからなかったこと


若いときはわからなかったことは多い。若いということは、エネルギーは溢れているが、智恵も思慮も辛抱も足りない。そこまで言わなくてもいいだろう、と思うが、自分の若い頃を思い返してみると、まさしくその通りなのだ。

娯楽作品としての「映画」にも、それは言える。例えば、若い頃見たときは「失望」だったが、今見ると「喝采」に変わる、という映画がある。以下「ネタバレ」もあるので、読む際はご注意のほどを。

まずは、日本のみならず世界中でディスコダンスを流行らせ、日本では「フィーバーする」という新語を造り出した歴史的映画「サタデー・ナイト・フィーバー」(1977)。ジョン・トラボルタの出世作。

Saturday_night_fever_movie_poster.jpg
(このポーズは全世界で流行った。確かにかっこいいダンスだ。私も当時流行っていたディスコに何度も行ったが、こんなポーズは恥ずかしくてできなかった。やってもジョン・トラボルタみたいにかっこよくならないし。)

正直言って、この映画嫌いだった。

トラボルタ演じた主人公トニーは、ディスコダンスはうまい、ハンサム(とは思わなかったが)でモテる。だが生活態度が自堕落で刹那的。

当時私は主人公トニーと似たような年齢で、社会人目前。さあどう生きる。何をしたい。何をすべき。そんな葛藤があった時期。自分は悩み苦しみ、それでも努力している。それなのに、トニーは天性のダンス技術にかまけて快楽を追い求めている。あんな風にはなりたくない。そう思っていた。

トニーはやがて自立した女性ステファニーとディスコで出会い、彼女のダンスに対する真剣さに触発され、ダンスに本気で取り組もうと決心する。そんな前向きな結末も、当時の私には目に入らなかった。

それから数十年。今は180度向こう側からこの映画を見られる。年を経てそれなりの知識と経験が少しは得られたからだろう。トニーの境遇がよくわかる。必ずしも幸せな家庭環境ではない。でもダンスの素質はある。最後は心を入れ替えたのだから、自分を信じて頑張れば、きっと成功する、と今ならエールを送れる。

続いては、「ロッキー5/最後のドラマ」(1990)。ご存知シルベスター・スタローンのロッキーシリーズ5作目。引退したロッキー、トレーナーとして若手を育成することに。だが手塩をかけて鍛え上げたトミーはロッキーを裏切り、移籍。好機を得てチャンピオンになるが、その態度の悪さゆえ観客からブーイングを受ける。「ロッキーを裏切った奴にチャンピオンの資格はない」と。

Rocky_v_poster.jpg
(シルベスター・スタローンは1946年生まれで今年72歳。ロッキーはいまだに「クリード」で健在。ジョン・ランボーは、今年公開予定の新作「Rambo: The Last Blood」でメキシコの麻薬ギャングと一戦交える。傭兵物語「エクスペンダブルズ」は4が制作中。がんばるなぁ。)

ロッキーを逆恨みしたトミーはロッキーにリングでの対決を申し込むが拒否され、その場でケンカになる。ストリートファイトで、ロッキーはトミーを倒す。

「なぜ再度リングに戻り堂々とトミーを倒さなかったのか」と私は憤った。テレビカメラで撮影され一般大衆も見ていたとはいえ、ストリートファイトなんて私闘のようなもの。相手も怒りに我を忘れていたのだし、そんなケンカみたいなもので勝っても意味ない、と非常に不満な終わり方だった。

当時私は30代で若かった。体力気力もまだあった観客として、ロッキーにも同じ事を求めた。「リングで戦うべき」、「ロッキーは不可能を可能にする英雄だ」と。

だが優れた俳優・監督・脚本家であるスタローンは「年を取る」ことの意味をよくわかっていた。老化で体力は落ちるが、智恵は付く。地の利を考え、相手の弱点を突き、体力を温存しながら倒せる機会を狙う。「正々堂々リングの上」で闘う必要はない。「名を捨てて実を取る」のも大人の智恵だ。

当時はまだそれがわからなかったが、今はスタローンの意図がよくわかる。年を取ったらそれなりの戦い方がある。経験と実績がある今、「プライド」にこだわったり頼ったりする必要はないのだ。それが年の功というものだろう。

最後は、最近の映画、「スター・ウォーズ/最後のジェダイ」(2017)。実はこのエンディング、私はよくわかるが、一般観客にとって超不満だったようだ。納得いかない観客は、「ロッキー5」を見た若き日の私のような人たちだったに違いない、と思う。

スターウォーズ映画としては何十年ぶりにルーク・スカイウォーカーが登場した。演じたマーク・ハミルは当時20代、初々しかった。今は劇中のルークと同じく初老の男性。

Last Jedi 2.jpg
(新スター・ウォーズ三部作の第二部「スター・ウォーズ/最後のジェダイ」のポスター。最終話「The Rise of Skywalker」は今年末公開予定。邦題を「スカイウォーカー起つ」と訳してみた。この新作の予告編映像シーンは、何と「七人の侍」の有名なシーンと構図がそっくり。)

ルークは、悪の皇帝を倒し、実父であったダース・ベイダーを善に引き戻してから見送った後、ジェダイの騎士として後進の指導にあたった。その中には甥ベン(ハン・ソロとレイアの息子)も入っていたが、ベンは祖父のベイダーを尊敬し、暗黒面に墜ちてしまった(カイロ・レンと改名する)。ショックを受けたルークは姿を消す。だが、ついにレイア率いるレジスタンスたちを逃がすため、包囲するカイロ・レンの前に姿を現す。そして一対一の決闘に臨むが、レイアたちが脱出できたのを知ると、カイロ・レンの前から消える。隠棲していた別の星から幻影を飛ばしていたのだ。そして力を使い果たし、肉体を消滅させ、映画は終わる。

若い観客は、英雄であるルークに生身で戦い、カイロ・レンを倒して欲しかった。新シリーズの主人公レイを実際に指導し、一人前にして欲しかった。そしてその真逆の展開に不満を持った。

ルークと同じような年齢の私は彼がよく理解できる。指導者として失敗し、絶望し隠遁してしまったのも、理解できる(mid-life crisis)。そして、それでもなお年老いし者には、それなりの戦い方があるのだ。

これら映画のように、若いときは「どうして!」と思うことが年を経て腑に落ちることに、改めて気がつく。

今年で齢89歳のクリント・イーストウッド主演・監督作「運び屋」(2018)は、麻薬の運び屋となってしまった90歳の老人を描く映画。まだ見ていないが、この主人公に共感できることがあるとしたら、私が卒寿にならんとする頃だろうか。

私の人生において大きな喜びと感動と勇気と刺激を与え続けてくれているイーストウッドに習って、私もできる限り現役でいたい。


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posted by ロンド at 17:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画・ドラマ

2018年09月15日

英語と映画とLGBT


英語を仕事にしていると、いろいろな情報が手に入る。日本語で知るより英語で知るのが早いこともある。今よく聞かれるLGBTもその一つ。

LGBTは、lesbian, gay, bisexual, transgender の頭文字を取ったもので、一般的には、同性愛を含めた多様な性的指向を持つ人々を示すものと理解されている。

LGBTという言葉が作られるはるか以前、ゲイといえばエイズ問題だった。

思えば通信社勤務時代、世界中に蔓延しつつあった「エイズ」の最新情報を、英語の文献で読み、訳した。エイズは、エイズという病気で死ぬのではない、免疫がなくなり、普通だったらかからないような病気で死ぬ、ということがわかった。またHIV保菌者の子供にキスしている看護師の写真があり、「キスしたくらいではうつらない」ことも知った。

翻訳者として独立する前まで勤めていた語学研修会社では、同僚はゲイのアメリカ人だった。彼は有能であり、気むずかしい性格だったが、パートナーの日本人男性を大切に思っていたことはよくわかった。

当時同姓愛の理解において役立った映画「フィラデルフィア」。エイズを発症した弁護士が、彼を解雇した経営者たちを訴えるドラマである。トム・ハンクスとデンゼル・ワシントンの演技が素晴らしかった。

Philadelphia_imp.jpg
(1993年の映画「フィラデルフィア」のポスター。この映画でトム・ハンクスがアカデミー主演男優賞を取った。)(Wikimedia Commons)
 
この映画で一番気づかされたことは、性的指向差別についてのことではなかった。トム扮するアンドリュー・ベケットは、パートナーのミゲル(アントニオ・バンデラス)に看取られて死ぬ。そのとき、「ああ、この二人は愛し合っていたんだ」と感じたことだ。

それまで同性愛については、「性的指向」にしか目がいかなかった。だが基本的なことは、そこに「愛情」がある、ということだった。当然といえば当然であるが、「フィラデルフィア」を見るまでそれが見えなかった。

人として大切なのは、人を普通に愛せること。犯罪的でも反社会的でもないこと。それが一番大切なことであって、性的指向がどうであろうと関係ないではないか。

社会にとって好ましくないのは、人を傷付ける暴力的な人々はもとより、暴力は用いなくても横領、専横、収賄、セクハラ、パワハラなど、一般会社員のみならず公務員、警察官、医者、政治家など職業に関係なくあちこちにいる人々である。

ゲイが「生まれたときから、心と体が別」という先天的な要因の場合には、「目の下にホクロがある」のと変わらない特徴なのだが、それさえ理解したくない人たちはたくさんいる。

LGBTが生まれてくる要因は複雑であり、先天的であろうとなかろうとどんな性的指向でも、良い市民である限り、愛すべき家族であり友人なのである。

アメリカではハリウッド俳優がどんどん自己の性的指向を表明している(ちなみに私は「カミングアウト」(come out of the closet)という言葉はあまり使いたくない。なぜクロゼットに隠れていなければならなかったのか、と思ってしまうからである)。

ジョディ・フォスターも2013年にゲイであることを明らかにした。彼女のパートナーは女性で、本人が産んだ子供は精子提供によるものとうわさされている。彼女がアカデミー主演女優賞をとってもおかしくなかった映画「コンタクト」は、SFファンの私にとって忘れられない映画である。

日本でも、特に芸能界や娯楽界におけるゲイの人たちの努力により、ゲイの認知度も向上してきている。俳優でも歌手でもキャリアや人気を犠牲にすることなく「私はゲイ」と普通に言える環境が整ってほしい。今は著名であればあるほど表明は大変だと思うが、それだけ理解促進につながるはずだ(最近では勝間和代さん、ロバート・キャンベルさん)。性的指向がどうであれ、私がファンである気持ちは何も変わらない。

今年1月NHK放映のドラマ「女子的生活」でトランスジェンダーを演じた志尊淳。ハイヒールを履き、自然なメイクと物腰で普通の女性にしか見えない演技が印象的だった。このドラマは実際のトランスジェンダーがアドバイザを務めているので、トランスジェンダーの心情がよく描かれていた。

驚いたことに、LGBTは生産性がない、と言っている人がいる。LGBTであるかどうかに関わりなく「生産性がない」人はたくさんいる。しかし人口が減っているのはそういう人たちとは関係ない理由であることは明白だと私は思うが。

広い意味で「生産性がない人」には障害者、病人、怪我人、高齢者などが含まれるのだろうが、実はこういう小数の人々(マイノリティ)を大切にすることは人類の生存において「必要」なことだった、という仮説がある。

人類がまだアフリカにいて狩猟採集生活をしていたころ、人は生命体ゆえ障害者も生まれ怪我人も出る。こうしたマイノリティは「小数」ではあっても「必ず一緒にいる仲間」である。そして彼らを思いやる人は、周りの人々から慕われるようになり、子孫を残す可能性も高くなる。「マイノリティ保護」はグループ全体で生存率を高めるため必要な行動だった、という説である。

また人類を含む高等霊長類では「ミラーニューロン」という、相手を見ているだけでその相手と同じ反応を脳内に起こす神経細胞がある。つまり「共感」能力が生まれながらに備わっているのだ。

「マイノリティを理解し大切にする」ことは人の人たる所以だった。

ところがそういう共感能力は、収入が高い人ほど低くなるという研究結果がある。

指導的立場にある人は一般に収入も高いとされるが、本来人類のリーダーであるということは、「マイノリティの人々を守れる人」ということであって、その気がない、その能力を失ったリーダーは、リーダーの資格どころか人類の資格がないということになる。

本ブログでも記事にし、今もアクセス数の多いフレディ・マーキュリー。ついにラミ・マレックがフレディを演じた映画「ボヘミアン・ラプソディ」が11月に日本で公開される。彼はバイセクシュアル。女性も男性も愛し、愛多きゆえ早世してしまった。

歌とパフォーマンスで人類を魅了し、音楽の歴史に名を残し、それで彼の生産性や性的指向を誰が問題にしようか。

2017年度英国議会開会式におけるエリザベス女王のスピーチでは、国をあげてLGBT権利の擁護に努めることが表明された。

My government will make further progress to tackle the gender pay gap and discrimination against people on the basis of their race, faith, gender, disability, or sexual orientation.

「我が政府は、性別による賃金格差問題および人種、信条、性、障害、性的指向などにもとづく人々への差別に対しさらに力を入れて取り組む」

P052511PS-1260_(5835911489).jpg
(2011年、当時のオバマ米国大統領とともにゲストを迎えるエリザベス女王。対面しているのは俳優のコリン・ファース。この年「英国王のスピーチ」で、苦労して吃音という発話障害を克服した、女王の父ジョージ6世を演じアカデミー賞を受賞した。同映画のクライマックス、ドイツへの宣戦布告スピーチは圧巻であった。)
 

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posted by ロンド at 16:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画・ドラマ

2017年04月02日

「カルテット」のセリフ


3月末で終了したTBSのドラマ「カルテット」。そう、軽井沢が舞台のドラマでした。

軽井沢のあちこちで撮影が行われたようです。追分近くのコンビニも、撮影に使われました。

このドラマ、視聴率こそ低調だったものの、評価は高く、この記事では、冬ドラマ19作のなかで、一位に選ばれています。

さて、このドラマの中で一番印象に残ったセリフは、第5話で出た「志のある三流は四流」というもの。音楽をやっている人たちには、ぐさっと胸に突き刺さった言葉ではないでしょうか。よく言われていますが、「音楽で食っていくのは大変だ」とのこと。

音楽だけに限りませんけれどね。英語でも同じです。

印象的なセリフは他にもありました。

第1話では、松たか子さんの「人生には3つの坂があるそうです。上り坂、下り坂、まさか」というセリフ。

その通りですね。私の人生にも、まあ普通の人と同じように、「上り坂と下り坂」はあります。それに「まさか」もありました。

「まさか」によって、縁もゆかりもなかった軽井沢の地に移住することに。

「まさか」とは、3.11です。日本人の多くにとって、あの大地震は「まさか」でした。地震学的に言えば、「想定内」だったのですが、それを体験するという意味では「想定外 = まさか」でした。

軽井沢や佐久を含めた東信地域は、地震についていえば、活断層もない安全地帯なのです。浅間山という火山は別ですが・・・(これについてはまた別の機会に)。

軽井沢の空を見ながら「なんで、オレはこんなところにいるのかなあ」と思うことがよくあります。仕事柄、パソコンとインターネット環境があれば、どこでも仕事ができる、ということもあったとは思いますが...。

こんな空です。

IMG_7167.jpg



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posted by ロンド at 19:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画・ドラマ
プロフィール
ブログネームは、ロンド。 2013年に東京の多摩ニュータウンから軽井沢の追分に移住。今年還暦に。 同居人は、妻とトイプードルのリュウ。 ロンドは、フリーの翻訳者(日英)。自宅にてiMac を駆って仕事。 リュウ(13歳)は、運動不足のロンドを散歩に連れ出すことで、健康管理に貢献。 御影用水温水路の風景に惹かれて、「軽井沢に住むなら追分」となった。