2019年02月15日

虫の名は。

そろそろ啓蟄。軽井沢では、はや真冬は過ぎ、気温は低くとも季節はすでに春に向かってゆっくりと進み続けている。追分の森の小径を散歩していると、零下であっても日が差していると、小鳥のさえずりが聞こえるようになる。さらに寒さが緩んでくると、次は虫である。御影用水温水路沿いを歩くと、蚊のような小さな虫が密集して宙を舞う。犬と散歩しながら、まるでボクシングよろしく相手のパンチをよけるかのように上半身を左右に揺らしながら、用水路沿いを歩くことになる。

軽井沢に来て最初に脅かされたのが、「鎌獰魔」という不気味な虫のこと。家の内外を跳梁跋扈すると聞いた。「鎌獰魔」つまり「カマドウマ」。「鎌を持った獰猛な魔物」というイメージだったので、そういう漢字を想像したが、調べてみると拍子抜けした。「カマドウマ」は「かまど(竃)馬」(かまどにいる馬のような顔をした昆虫)だった。

ネット検索するとその姿を写真で見ることはできるが、私自身実際に動いているカマドウマを見たことはない。軽井沢の別荘では久しぶりに来てみれば、浴室や台所にウヨウヨいる、というのだ。だが、家が新しくなればなるほど気密性も密閉性も高いので、カマドウマが水回りに入り込む隙はないのだろう。我が家の周囲や庭でも見たことはない。

だが、よく記憶の隅を突いてみれば、小さいとき田舎(甲府市)では頻繁に見ていたのを思い出した。小学生ともなると学校の帰りにはあちこち探検した。原っぱの石をどけると、ばっと何かが飛び上がる。バッタやコオロギではない、ジャンプ力がすごく手足が長い気味悪い虫がいた。あれがカマドウマだった。名前さえ知らなかったけれど、当時は身近な虫だったのだ。

田舎でも東京でも見たことはなかったが、軽井沢に来て頻繁に見る虫といえば、カメムシ。これが一番厄介だ。何しろ触るとものすごくくさい臭いを発する。たとえ殺虫剤を使っても、一瞬で仕留めない限り、臭いを出されてしまう。臭いが手につくと、石けんで洗ってもなかなか落ちない。秋になると、目に見える場所にたくさん出てくる。小さくて、亀の甲羅のような多角形をした虫である。

臭いを出さずに退治する方法がいろいろネットに出ている。洗剤を溶かした水の入ったコップの中に、そっと気づかれないように落とすとか、ガムテープにくっつけてすばやく包み、ビニール袋に入れるとか。だが慣れないせいかなかなかうまくいかず、悪臭を放たれてしまうことが多い。

一昨年は10月頃、大量発生した。我が家のサッシ外面に何十匹もへばりつき、隙あらば室内に入り込もうとし、虫の苦手な妻は気も狂わんばかり。寒くなり、暖かさを求め、暖かいところに押し寄せてくるのだ。

ところが去年は、ありがたいことに数えるほどしか見なかった。避暑地軽井沢も暑すぎたせいだろうか。東京などでは蚊も少なかったと聞く。

昨年(2018年)11月に惜しまれて閉店した、「天空カフェ・アウラ」では、閉店間際に訪れたとき、室内外とも満席で、テラス席にはカメムシもたくさんいた。別れを惜しむかのように。触ったら大変なので、よけながら、もう見られなくなる標高1260メートルからの軽井沢パノラマを堪能した。

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(「軽井沢の、天空に一番近い場所」だった天空カフェ・アウラ。ここからは、妙義山を始め群馬県の山々も見渡せた。)

秋になると、庭はたくさんのトンボが往来する。ウッドデッキやウッドフェンスの上に止まってくつろいでいるように見える。蝶々も飛ぶ。夏の風物詩ホタルは、軽井沢の発地で生息しているが、最近は減っているので、有志で保護活動をしているという。

「トンボ」や「蝶」や「ホタル」という名前は、音として耳に心地よく、ほのぼのとした雰囲気を感じる。「蝶」は漢語で大和言葉はないようだが、もともと「ディエ」的な音で、それが平安時代は「テフ」となり、さらに変化して「チョウ」になった、という。「チョウ」「チョウチョ」はとても柔らかい響きがある。「トンボ」は「飛ぶ羽」が語源、「ホタル」は「火が垂れる」のような意味だという。原初的で感覚的で心和む。さすが古くから日本にいて日本人に親しまれている虫である。

この3種の虫の英語名は、学校で習うからご存知の方も多いと思うが、興ざめというか気持ちが入ってないというか、英語は虫に冷たい言語なのだな、と思い知らされる。

トンボは dragonfly 、蝶は butterfly、ホタルは firefly である。「龍+ハエ」「バター+ハエ」「火+ハエ」という意味だ。fly は「飛ぶ」で「飛ぶ虫」のような意味もあったのだろうが、それをあろうことか、嫌われ者の昆虫ハエに使っている。

英語以外の言語ではどうなのかわからないが、少なくとも古代英語話者たちの生活様式と係わっているのではないだろうか。狩猟文化が色濃く残り、麦栽培で、畜産も盛んだったヨーロッパ人の先史時代。虫は家畜にまとわりつくお荷物だったのかもしれない。

アジアモンスーン帯は、水が豊富なこともあり、虫がたくさんいて、害虫も多いだろうが、人々に親しまれた虫も多かったのだろう。

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(昔懐かしい赤トンボ。子どもの頃は近くに河原も草地もあったので、赤トンボの数ははるかに多かった覚えがある。)(資料写真)

しかし、あのか弱そうな「トンボ」に dragonfly はあんまりだ。英語における昆虫命名者の神経を疑ってしまう。どこに dragon (日本人の考えるアジアの神聖な「龍」ではなく、言ってみれば怪物のドラゴンである)を連想させるものがあるのだろうか。不思議でならない。

蝶の butterfly も「黄色い」から名付けただけなのか。だったら yellowfly でもよさそうなのに、食べ物に対する配慮に欠ける。ホタルの firefly にいたっては、同じ「火」の意味を使っている日本語の「ホタル」と違い、非常に無機的、物質的である。「ヒムシ」という感覚であろうか。あの可愛らしくほのかな光を出す小さな虫に、それはないだろう。

まあこれら英語名に対する私の評価は、言いがかりみたいなものかもしれないけれど。

自然に囲まれた追分の森暮らし。周りにいる虫たちも、人間により様々な名前を与えられ、様々な意義をもたされ、大変なことだろう。見慣れぬ虫がいたら、「虫の名は」と気になってしまうだろうか、あるいは名もなき虫のままだろうか。おおざっぱな私としては後者のような気がする。


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posted by ロンド at 17:06| Comment(2) | TrackBack(0) | 自然の驚異

2018年09月28日

犬は三歳児と同じくらいの知能があるんです、と言ったら・・・


東京の多摩ニュータウンは広い歩道、街路樹、木々と芝の公園があちこちにある「緑の街」。ジブリのアニメ「平成狸合戦ぽんぽこ」のモデルともなった大規模開発の環境重視型計画都市である。

もともと「多摩丘陵」なので地形は起伏に富み、走るのが好きな我が家のワンコにとっては、上ったり下りたりと走り甲斐のある公園が多かった。

公園は広く、25メートルの長さがある特別なリードを使って50メートル(以上)を思い切り走らせることもよくあった。犬はそもそも走る動物なのだが、普通の散歩だとそんなに走らせる飼い主はいないため、子供たちが我が家のワンコが走っているのを見ると、犬の疾駆を見たことがないのだろう、「すげー、はえー」と驚いて大騒ぎ。「ボルトとどっちが速い」なんて訊かれて、「うちの犬よ」と妻はつい言ってしまうのだった。

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(多摩中央公園の芝生を疾走するうちのワンコ。見えないが25mリードがついている。「待て」をさせ、まず私が25m先に移動。「おいで」の合図で、おやつを持ったはるか向こうの妻をめがけて走り出すワンコと同時に私も全速力で走る。私が追いつけなくなってリードが伸びきった時点で疾走はお終い。こうしてワンコは「50m+飼主が走れた距離」を思い切って走れるわけだが、それでもワンコは物足りなく、飼主は息絶え絶え。)

私たちが5年前まで住んでいた多摩ニュータウンの一街区、若葉台(稲城市)は新しい街だったので、小さな子供を連れた母親たちも多かった。

よちよち歩きの子供たちは、怖がりもせず「ワンちゃん」と言いながら、散歩中の犬に近寄ってくる。

我が家のワンコは他の人や犬には決して吠えたりせず、いつも穏やかなので、そんな小さい子供が寄ってきても、黙って触るにまかせていた。もちろんほぼあり得ないが不測の事態を防ぐため、リードはちゃんと掴み、ワンコも押さえている。

そうした若い母親たちと立ち話をしていると、大人しい我が家のワンコは「お利口ね」と言われる。まあ、きちんと普通のしつけをすれば、たいていの犬は「待て」「お座り」「お手」「伏せ」などはできる「お利口」な動物である。

そして私もまた、目の前の三歳児くらいの子供を見ていると、つい言ってしまうのだ、「犬は三歳児と同じくらいの知能があるんです」と。

これを聞いた若い母親たちの反応は二通り。

「そうなんですか」と笑顔で驚く。これはつまり「犬もけっこう賢いんだね」「うちの子供と同じくらいの知能なんだね」と犬を肯定的に捉えている、ということ。

もう一つは、「はあ」とちょっとこわばった表情になって反応が鈍い。つまり「うちの子を犬と同列に扱うなんて、失礼な」と内心怒っているということ。

後者の場合、「しまった」と焦る。

これまでの経験から、前者の反応の方が多い。その場合は、犬の賢さを知っていて、それでもなお人と犬との知能の違いはわかっている人たちであろう。

後者は、犬との関係があまり深くないのだろう。だから人間と動物は違うんだ、と誤解している。

実際のところ、犬の知能は人の三歳児以上という人もいる。そして犬と暮らしてわかることだが、人と犬とは思考パターンが同じ部分もけっこうある。それは、人間も動物であり、同じ哺乳類なので脳的には重なっている部分があるからだ。

例えば、私も食後、妻が冷蔵庫から何かを取り出そうとしているとき、うちのワンコと同じ心理状態でいることがある。「何かおいしいもの(デザート)が出てくるかな」という期待感である。そのとき、その期待感以外の思考はない。その時私とワンコは一体化しているのだと思う。

多摩ニュータウンは、ペットのしつけ先進地域。どこの公園に行ってもたいていの犬はきちんとしつけができていて、大型犬でも和犬でも吠えかかってくるようなことはほとんどない。そして、「犬立入禁止」の芝地も一切ない。

ニュータウンの中心地「多摩センター」駅から歩いてすぐの中央公園では、休みともなれば広い芝地に家族連れやカップルがシートを敷いて、お弁当などを食べている。グループでダンスの練習をしたり、楽器を弾いている若者やおじさんたちもいる。犬もいっぱいいる。しかし芝地にウンチなどない。

そんなペット先進地から引っ越してきた、犬に優しい町軽井沢。ペット連れが多く、ペット同伴可の店も多く、人々のワンコを見る目はあたたかい。「芝生ペット立入禁止」の公園があるのは残念だが、観光地ということもあり、特に気を使うのであろう。また、住民だけが犬の散歩をさせるわけではないので、「旅の恥(ウンチ)はかき捨て」という人もいるのだろう。

観光客の多いプリンスアウトレット内の芝生は一部を除きペット可。ペットが入れるお店も増えており、我がワンコの好きな「散歩スポット」の一つである。

プリンスアウトレットでは、けっこうたくさん親子連れを見かける。やっぱり三歳児程度の子供は、「ワンちゃん」と言って寄ってくる。そしてまた懲りずに、つい言ってしまうんだ。

「犬は三歳児と同じくらいの知能があるんですって」と。

返事は意外にも、「そうなんですってね」と笑顔で返されることが多い。さすが軽井沢に来るということは、犬についての理解もある、ということか。

しかし、これからは相手の様子を見ながら、犬に親しみを持っているかどうかなど見極めたうえで、物を言うことにしよう。

実際に人に言われたことで、納得したのは、「子供は三歳まで犬と同じだけれど、そこから人間になっていく」というもの。

そう、三歳児はそれからどんどん人間になっていく。ところが犬はいつまでたっても三歳児のまま。

もうすぐ13歳で人間でいうと「68歳」に相当するが、子犬のようによく走る我が家のワンコも、永遠の三歳児である。

kid-cat-dog.jpg
(ヒトとネコとイヌのスリーショット。みんな似たような賢さ?)


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posted by ロンド at 17:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 自然の驚異

2018年08月04日

嵐の夜に - 妻の鬱々


夫(ロンド)は子供の頃工作が得意だった、今は忙しくて時間がないからできないと言う。実際このところも徹夜仕事が続いている。

ちょっと前、やっと休みがとれて、以前から懸案だった「落ち葉や枯れ枝を入れておく」1メートル四方ほどの箱を作った。近所でもDIYで作った落ち葉入れが庭によく置いてある。

夫はベニヤ板など材料一式買ってきた。ちょっと薄いんじゃない、と思ったが、とにかく1日がかりで作り上げた。見かけはとりあえず「落ち葉入れ」である。夫は早速落ち葉や抜いた雑草などを入れていた。

森の中の家に落ちる葉っぱの量は半端ではない。毎年軽トラ一杯では足りない。落ち葉は積み上げておくわけにもいかず、軽井沢町の有料指定ゴミ袋に入れて出しているが、新鮮な(?)落ち葉はかさばって、袋をたくさん使うことになる。雨がかからない蓋付きの落ち葉入れに入れておけば(天気が良いときは蓋は開けておく)、次第に減容して新鮮なときより二倍近くゴミ袋に入る。

という計画だった。

数日後、少し雨と風の強い夜があった。朝起きて見てみると、あの落ち葉入れは、物の見事にまるで何も作らなかったかのように、それぞれ元の材料に分解され地面に落ちて広がっていた。

笑うしかなかった。どんな工作をしたら、こんなに見事にバラバラになるのだろうと不思議だった。

友人に事の顛末をメールしたら、うけたので、ブログ記事にしようと夫に読んでもらったら、一瞬悲しそうな顔をした。そのとき、あの日からかわれても平静を装っているように見えた夫が、実はかなりのショックを受けていたことを知った。

夫は今度の休みに、ネットで買った郵便ポストを設置する予定だ。ポストの支柱2本を30センチ地面に埋めて、コンクリートで固める作業だ。「落ち葉入れ」より高度な作業に思える。貴重な休日が無駄にならないことを祈っている・・・。

Pieces of wood.jpg
(落ち葉入れの残骸。いつも写真で記録を取る夫だが、今回は最初の出来から満足感がなかったのか、完成時の写真がない。崩れたときの写真も当然撮っていない。これは台風前に材料が飛んではいけないので一部まとめたところ。)
 
先日の普段とは違う動きをした大型台風。風向きが普通の台風と違っていたせいか、隣家の20mほどの高木が、南側にある我が家に倒れた。かのニセアカシアだ。まだ空が真っ暗にはなっていなかった夜8時前。ちょうど窓から見ていた。「あれ、すごく傾いでる」と思っていたら、あれよあれよと我が家のカーポートの前に倒れた。

直径20cm、高さ20mほどの木が隣家の入口を挟んで2本、ツインタワーのように立っていた。ヒョロ長くいつも風に大きく揺れ、素人目に見ても倒れそうな木だった。そのうちの南側の1本が倒れたのだ。被害を最小限にするには、ここに倒れるしかない、という位置を狙ったような奇跡的な倒れ方だった。

その晩は10時過ぎに停電となり、結局復旧しなかったので、寝ることにした。翌朝早起きして倒木を見に行こうと思っていたが、倒木直後に施工会社の担当者経由で手配してもらった撤去業者さんのインタホンで起こされた。木はすでにチェーンソーで切られていて、倒れたままの全体像を見ることも写真に撮ることもできなかった。一生に一度(にしてほしい)の体験なのに、取り返しのつかない朝寝坊だった。

Fallen tree.jpg
(倒木の一部分。ニセアカシアなので枝にもトゲがいっぱい)
 
撤去の業者さんも「うまい具合に倒れたもんだ。家に倒れなくてよかった」と驚いていた。

庭は、植栽した木の一部の枝が折れ、金属のフェンスが約3メートルにわたり押しつぶされていた。

一番の被害は、カーポート前の「転圧された砂利面」が、撤去作業で使われたバックホーによりぐちゃぐちゃ(転圧が緩み小石が剥がれた)になったことかもしれない。

あのスローモーションのような倒木の瞬間、今も目に焼き付いている。「バキバキ、ドサッ」という音はしなかった。もともと暴風雨ですごい音がしていたし、フェンスがクッションの役割を果たしたこともあったのだろう。

我が家にも高木はあるので、人ごとではない。夫が中部電力と軽井沢町に電話して、倒木の場合の対処方法について聞いた。驚いたことに、例えば台風で木が倒れ町道を塞いでも、電線を切っても、町や中電は「撤去費用を請求しない」のだそうだ。

実質的被害が何十万何百万であっても不可抗力なので請求されない、と聞けばとりあえず一安心かもしれない。でもそれで良いのだろうか。

森の中に家を作ると、どうしても切らなければならない木はある。木が減ると、余計に風圧がかかるようになり、森のままだったら倒れなかった木も倒れる可能性がある。

町も中電も倒木の除去費用や被害を請求しないのだったら、倒れそうな木だなとわかっていても、自分で事前に伐採せず台風に任せておけば、万が一倒れても、町や中電が処理してくれる、というとんでもない考えを持つ所有者が出てきてもおかしくない。

そういう場合は「理不尽ですよね」と、夫は町にも中電にも言っていた。でも自然災害なので、しかたないようだった。

都会から来た土地の購入者は、木に対しては素人の人も多く、私たちのようにほとんど無知だったりするので、開発業者や外構業者の人がきちんと査定・判断し、倒木の恐れがあるものは最初から伐採するよう、また自分の土地の木々についてはきちんと管理するよう購入者に助言してもらいたいものだ。

今回の我が家のように被害は少なく被災者は一人(一軒)でも、倒木の持ち主(地主)は撤去費用を払わなければならない(少なくとも請求する人はいる)。それなのに、町道を塞ぎ電線を切って多くの人々に迷惑をかけても、費用は一切発生しないのだ(請求する人はいない)。

なんだか不平等に思える・・・。本当に自然災害でどうしようもなく被害を出してしまった場合はもちろん別だけれど(そちらのほうが圧倒的に多数だろうけれど)。

管理放棄と不可抗力との違いを第三者がどう判断するか、むずかしいのかもしれない。森に住む住人として、想定外も考慮してきちんと管理したい。

強風が吹くと、追分の木々は大きく枝と幹を揺らし、しならせている。嵐の夜にはいろいろなことが起きるものだ。

それもまた森に住むということなのかも。


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posted by ロンド at 16:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 自然の驚異
プロフィール
ブログネームは、ロンド。フリーの翻訳者(日英)。自宅にてiMac を駆って仕事。 2013年に東京の多摩ニュータウンから軽井沢の追分に移住。 同居人は、妻とトイプードルのリュウ。 リュウは、運動不足のロンドを散歩に連れ出すことで、健康管理に貢献。 御影用水温水路の風景に惹かれて、「軽井沢に住むなら追分」となった。