2017年08月19日

童話と神話とこの世の間


軽井沢に移り住んで、気がついたことがある。人によっては当然だ、と言われるかもしれないが、3年前まで都市部にしか住んだことがない私にとっては新鮮だった。

それは軽井沢のような自然溢れる地域には、今でも「桃太郎」の世界があることだった。

そう、ご存知桃太郎の鬼退治に同行した家来たち、犬、猿、雉。この3種の動物は軽井沢では身近である。

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(「ケンケーン」と鳴いて羽ばたくキジ。散歩でよく見かける)
 
この「犬」だが、何犬なのか気になる。調べたら、特定の犬種を意図しているわけではなさそう。ただ昔からいる犬ということで、そうなると柴犬が妥当、ということである。

わが家のワンコは外国産のプードルだから、鬼退治には行けないかな。

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(えっ、ぼく戦力外!?)
 
「金太郎」に相撲で投げられた熊もいる。こちらに引っ越して初めての春、「熊が冬眠から目覚めました」という町役場からのメールにはちょっとビビった。

ニホンザル位置情報、「群れの位置は、千ヶ滝中区・・・」というメールも毎日配信されている。

時代劇の世界もある。水戸黄門など時代劇にはよく登場する「ピーヒョロヨロヒョロ」と鳴いて空を飛ぶ鳥。あれがわが家の上空にも出現する。調べたら「鳶(とび)」だという。昔はあちこちにいたのだろう。

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(悠然と空を舞うトビ)
 
近所で夜な夜な、外に置いてあるサンダルがなぜか片方だけなくなる不思議な事件が発生。犯人は子ギツネらしい(おもちゃとして集める習性があるとのこと)。

「超高速! 参勤交代」の映画で、山中道なき道を急ぐ一行を脅かしたのが「オオカミ」だった。自分の記憶では、オオカミが出てくる時代劇は他に見たことがない。当然、江戸時代に狼はたくさんいたのだろう。

日が落ちてから、中山道や北国街道を歩くのは危険だったはず。外灯があるわけでもなし、真っ暗だ。ところが満月になると驚くほど夜中でも明るい。それも軽井沢に来てから体験したことだ。

ニホンオオカミは残念ながら、明治時代に絶滅してしまった。今でも人が襲われることがある熊や猪などより、人にとっては脅威が大きかったのだろう。小柄とは言え、やはり「オオカミ」だった。今となってみれば、とても残念だ。

神話の世界もある。「甲賀三郎伝説」の龍神だ。

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(御代田町の龍神の杜公園にて年一度の龍神祭りのリハーサル。この龍神は全長45メートル)
 
千年以上昔の話。地面の穴に落とされた甲賀三郎が地下世界を彷徨したのち、地上に出てきたら(真楽寺の池)、竜体になっていて、あまりに大きすぎるので諏訪湖に落ち着いた、という伝説(今も湖底にたたずんでいるという)。

現代の童話といえるファンタジーアニメ「もののけ姫」に登場する動物もたいてい軽井沢にいる。

イノシシは出くわしたら怖いらしい。ご近所さんが姿は見ていないが「鳴き声」は聞いたという。聞いたこともない鳴き声だからすぐわかる、と言われた。

ニホンカモシカも最近軽井沢で増えているとのこと。写真を見たら、ニホンカモシカの顔は「シシ神」の顔に似ている。

「シシ神」の夜の姿である巨大な「デイダラボッチ」は、さすがに見あたらないが、伝説でいえば「甲賀三郎」の「龍神」が、その神聖さと巨大さから、デイダラボッチに相当するかもしれない。

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(御代田町の真楽寺にある、龍神となった甲賀三郎が地上に現れた、と言われている沼。池から顔を出している竜は、もちろん本物ではない。)
 
科学技術が進んだ現代でも、森林大国である日本には、「けもの」たちがあふれている。そして軽井沢の森は、今でも童話の森であり神話の森である。


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posted by ロンド at 15:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 自然の驚異

2017年05月29日

モグラ大戦


モグラ。土の中に「もぐる」から「モグラ」と思いきや、関係ないそうです。江戸時代の名前は「ムグロモチ」。「土を盛り上げる」というような古語から生まれた名前というのが有力な説。
 
そんなことはどうでもいいのです。モグラは我が家の大敵ですから。庭が荒れ放題のときはかまいませんが、芝を貼ったあと、せっかくきれいに出そろった芝生に大きな穴を何カ所も開けられたらたまったもんじゃありません。

このモグラ塚、穴を塞げばいい、というものではないのです。その開いた空間に、もう芝はないのです。おまけに掘り出された土で、穴の回りは広範囲に土だらけ。穴を塞いでも、次の朝には、また土を盛り上げます。

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(モグラ塚があちこちできた無残な芝生)

しかも、簡単に駆除できない。ネズミや虫のように「殺鼠剤」とか「殺虫剤」のような「殺モグラ剤」は効果がないのです(売ってもいない。売っているのは忌避剤)。そもそも地下に潜っているからどこにいるかわからない。好物のミミズでさえ死んでいるものは食べないのですから(生食グルメか!)、毒入り誘引剤のようなものを作ったにしても口にするはずはないのです。

温厚(そう)な私がつい切れて、モグラ穴にホースを突っ込んで水を出しっ放しにしました。溺れさせてやろうと。ところがいくら水を入れても溢れ出てこない。そんなにトンネルネットは広大なのか!!
 
モグラ叩きどころか、姿さえ見えないのだから、手に負えません。

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(根こそぎ持ち上げられて、涙が出るほど痛々しい)

こうなったら徹底的に闘ってやる、と思っていろいろ調べたら、なんとモグラの祖先、「原モグラ」は、霊長類のご先祖様でもあるらしいのです。恐竜たちが死に絶えたあと、原モグラは「これで自分たちの天下だ」と思いきや、急速に勢力を拡大してきた親戚の齧歯類(ネズミの仲間)に縄張りを取られて、地下に潜って生き延びた。それが今につながるモグラの始まり。

ところが地下の代わりに樹上を避難場所に選んだ原モグラの仲間がいた。それが、原猿となり、最終的に霊長類そしてヒトとなった。
 
これは一つの説ですが、とにかく霊長類の元は、地上をこそこそ隠れるように這い回っていた小さな哺乳類だったのは間違いないようです。ネズミに破れ、木の上に逃げた。そのための、かぎ爪とか必要な変化も成し遂げた。そして逃げたところ(樹上)が、天敵が少ない素晴らしい住みやすい世界だったようで、世界中に広がり、最終的に高い知能を獲得した。

逃げると、新しい道が開ける、ということもある。逃げるところがあれば、人生逃げてもいいんじゃないでしょうか。
 
いずれにしても、モグラとヒトは私が思っていた以上に、つながりがあったんです。それを知ったら、何だか「モグラとの戦争だ」とも言えなくなってしまいました。

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(実物を見たことないモグラ、のぬいぐるみ)

とりあえず今はおとなしくなっている(時期的なものか)我が家のモグラ。全面対決は避けたいものです。


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posted by ロンド at 18:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 自然の驚異

2017年05月14日

浅間山と富士山、どっちが上か


今毎日見ている浅間山、故郷で毎日見ていた富士山。どっちが上かなんておかしな質問だ。

でも、とりあえず比べてみよう。

高さでは、富士山3776m、浅間山2568mで富士山の勝ち。形の美しさでは、整った山容から富士山の勝ち。登山者数では、2016年登山シーズンで24万8千人の富士山とゼロの浅間山で富士山の勝ち。そもそも浅間山は登山禁止。知名度では「富士山」のご当地ナンバーがあり、世界遺産でもある富士山のダントツ勝ち。

富士山のほうがどう見ても優勢だ。

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だがおもしろいことがある。富士山の山頂に社が鎮座している。あれは「浅間神社」だ。「浅間」は「せんげん」と読むが、これは「浅間(あさま)」の音読みにすぎない。つまりかの偉大なる富士山のテッペンを押さえているのは「あさま」なんだ。「名を捨てて実を取る」とはこういうことなのだろうか。

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(富士山頂の浅間神社鳥居)

私が「どっちが上か」と考えるようになったきっかけは何かといえば、軽井沢に来てから毎日浅間山を見ていることもあるが、一番ひっかかったのは両山の「名前」だ。

富士山の「ふじ」は語源が不明。人によって語源は、大和言葉、アイヌ語、マレー語など様々。漢字としては現在は「富士」だが、「不二」「不死」「不尽」「福慈」などいろいろな字が使われている。しかし全部「漢語」の音読みだ。それが意味するのは、「漢字が入ってきてから付けられた名前」の可能性。もちろん、当て字だという可能性もあるが。

浅間山はどうだろう。「浅間」を「あさま」と読むのは「訓読み」。つまり漢語ではなく大和言葉。語源は、同じくはっきりとはわかっていない。富士山と同じように、「大和言葉、アイヌ語、マレー語などなど」。

しかし、日本には「あさま」と似たような名前の火山がある。「阿蘇山」と「有珠山」。「あそ」「うす」「あさ(ま)」は語源が同じという説がある。「ア行+サ行」の言葉は、「火の山」を表す言葉だったのではないか、と。

富士山は有史以降としては8世紀ごろから活発化し始め、その「火」を鎮めるため「アサマの神」が必要になったとしている。「浅間大神」は、富士信仰にもとづく神社というが、ならばなぜ「富士神社」じゃないのか。「火之神信仰」はすでに「アサマ」が主役だったことを意味しているのではないか。

古代より人々は「あさ」(「ア行+サ行」)のような言葉で火の山を表していたのだろう。

しかし富士山は名称としては、その系統には入っていなかったことになる。「フジ」系統の言葉は、それ以上に大きな意味を持っていたのか。それとも歴史時代に入って漢語にもとづく美称を付けられたのか。つまり美称を付けられるほど、もともとの山の名前はそれほど大きな意味は持っていなかった、ということか。

さらにもう一つ。縄文時代では、比較的暖かかったこともあり自然豊かな内陸部で人の活動が活発だった。特に八ヶ岳を中心とした地域で、古代人の活動は顕著。あちこちに古代遺跡が見つかっている。また、諏訪湖も昔から信仰の中心地で、諏訪神社は縄文時代からの信仰を受け継いだものと思う。つまり浅間山が見える長野県の東信地方や南信地方は、縄文時代、日本の中でも特に栄えていた大文化圏と言える。

富士山は確かに美しい。ただあの美しい姿になったのは地質的には比較的最近のこと。古代人にとっては、あまりに大きすぎて、危険すぎて、近寄りがたく、彼らの生活とはあまり縁がない、と感じていたのではないだろうか。

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(富士山頂で御来光を待つ登山者)

浅間山は、山としては富士山より小さいので、周りに人が住んでいた。噴火による災害でたびたび人々は甚大な被害を受けたが、少し離れれば人々は生きていけた。そして「アサマ」を見続け、火の山として恐れ敬った。

有史時代に入り、文化的に観念的に美化されてきた富士山。縄文以来、何度も火を噴き今そこにある驚異として畏敬されてきた浅間山。

古代日本人の精神を考えると、浅間山のほうが富士山より上である。そう私には思えてならない。

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posted by ロンド at 16:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 自然の驚異
プロフィール
ブログネームは、ロンド。フリーの翻訳者(日英)。自宅にてiMac を駆って仕事。 2013年に東京の多摩ニュータウンから軽井沢の追分に移住。 同居人は、妻とトイプードルのリュウ。 リュウは、運動不足のロンドを散歩に連れ出すことで、健康管理に貢献。 御影用水温水路の風景に惹かれて、「軽井沢に住むなら追分」となった。