2018年08月20日

通訳のお仕事


東京にいたときは、時々通訳もやっていた。私の専門分野(土木・建築など)における翻訳関連の通訳業務だったので、私はたいていゼネコン側の通訳者、相手(顧客)は外資系企業や外国公館が主だった。

通訳の仕事をしていて、頻繁に聞かれる質問があった。その1つは、「留学されたのですか」というもの。私は留学の経験はない。英語ができる人や通訳者は、留学した人、と思われることが多いのだろうが、実際は留学した人で通訳者になっている人は少ない(職業として選ぶ人は少ないのだろう)。それに留学しなくても、今の日本には英語を学ぶ環境が十分整っている。

また留学などをして日本語も英語も同じように話せる人は、通訳ができるだろう、とも思われているようだが、これも必ずしもそうとは言えない。

「通訳」とは「口頭にて、1つの言語を別の言語に翻訳する」ことで、

簡単に言えば、

I went to Tokyo the other day to have a medical checkup at a national hospital that opened last January.

という英語を

「私は先日、今年の1月に開業した国立病院で健康診断を受けるため、東京に行きました」

という日本語にするわけだが、違いは明白。語順がほぼ正反対。

英語と日本語、それぞれ完璧に話せれば話せるほど、英語は英語として日本語は日本語として理解する。だから、時間の経過に伴う情報は、最後は同じになるが、途中は異なるわけだ。通訳となると、この「時差」と「真逆の語順」を乗り越えなければならない。それには、やはり「訓練」が必要になる。

だから、幼少期を英語圏で過ごし、日英両方をマスターしたバイリンガルでも、この特殊技術を学んで練習しないと、なかなか通訳はできない。実際にアメリカ育ちのバイリンガル日本人女性通訳者から、「両方100%わかっていても、通訳できなかったのがもどかしかった」と聞いたことがある。

ある帰国子女の日本人アイドル歌手が、ステージ上で通訳をすることになって、しどろもどろで恥ずかしい目にあい、心機一転、大学で通訳技術を学びなおした、と聞く。

さらに、通訳者というと「英語がペラペラ」「日常会話はお手のもの」と思われがちだが、帰国子女の通訳者や、英語ネイティブスピーカーと一緒に住んでいる人はのぞき、必ずしも当たってはいない。

なぜならば、通訳者に必要なのは日常会話ではないからだ。さらに私のような在国通訳者の場合は、英語の日常がないので「英語で日常」を過ごしたことがない、つまり英語で日常会話をしたことはほとんどないからだ。

やられたら、やりかえす」や「グアム英語珍道中」で書いた「アメリカ人短期留学生」と「グアムのアメリカ人従業員」と短時間「日常」を過ごしたことがあるくらいだ。延べ時間、それぞれ1時間程度である。仕事とはまったく関係ない、英語での会話。思い起こせば「ああ、あれが日常会話か」となつかしく感じる。

「意見を述べる」「説明する」「ディスカッションする」「ディベートする」などでは、テーマに一貫性があり、英語も流れるように出て来て、相手とも白熱したやりとりを続けられる私も、日常会話となるともの静かである。なにしろ「とっさの反応」が求められたり(例えば "Where has he gone?" と突然聞かれたり)、日常でないと使わない表現がたくさん出てきたりするから("OK." と "I'm OK." では意味が違う、など)、なかなか対応できない。

通訳と日常会話について、こんなエピソードがある。

ゼネコンの通訳者として、横浜ランドマークタワーにある外資系企業を訪ねた。同企業が進めている建設プロジェクトの打合せだった。

meeting.jpg
(会議のイメージ写真)
 
打合せの中心人物はアメリカ人の幹部。支社長だったかもしれない。彼にはバイリンガルの女性秘書がついていた。他の日本人スタッフも英語でアメリカ人スタッフと気楽に話をしていた。仕事と直接関係のない、時々の状況や個人の感情や意図に応じて変化する、日常会話のようなものである。

私は「通訳」と紹介された。挨拶や自己紹介の間、アメリカ人幹部の英語の発言は、隣にいる秘書が通訳するので、私は無言。ゼネコンスタッフの発言も、秘書がウィスパリング通訳(耳元でささやくように、一人にだけ聞こえる声で行う同時的通訳のこと)していたので、あえて私が再度通訳するまでもなかった。

つまり、しばらくの間、私はほとんど英語を話していなかったことになる。そうして、相手方スタッフの私を見る目が「不安」に変わったのがわかった。この人本当に通訳できるのか、という疑惑が顔に表れていた。

前置きの会話が終わり、本題の「設計」「工程」「工法」など専門的事項について、ゼネコンスタッフが説明を始めた。するとまもなくウィスパリング通訳をしていた秘書の声が途切れた。専門用語が多くなり、発言が長くなって、通訳できなくなったのだ。

1分超くらいの長い説明が終わったあと、ずっとメモを取っていた私が通訳した。ほとんど同じ内容を英語で再現した。

その時、私を疑いの目で見ていた彼らの表情が変わった。日本人スタッフは皆英語がわかるので、私の通訳内容が正しいことはわかる。もしかしたら本格的、専門的な逐次通訳の仕事というものを初めて目にしたのかもしれない。特に秘書は目を大きく見開き驚嘆の表情を見せていた。

その後、アメリカ人幹部の発言も、専門用語が入ってきて、長くなると、秘書に代わって私が通訳した。こういうやりとりが1時間2時間と続き打ち合わせは終わった。

極度の神経集中による疲労感はいつもと同じだったが、その場の空気が変わったと感じたあの時、通訳冥利につきる瞬間であり、記憶に残る仕事であった。

もう1つよく質問されることが、通訳におけるメモ取りについてである。「速記ですか」と聞かれる。速記ではない(速記の技能は持っていない)。発言内容を、日本語や英語や記号で記すだけである。

原稿を読む発言やスピーチとは異なり、こういった会議や打合せは、「考えながら話す」ので、それほど大量の情報を出せるわけではない。したがって、話の内容に一貫性があれば、1〜2分程度はメモに取って、ほとんど同じように復元できる。

通訳者のメモとは、そういうものである。特に逐次通訳者にとってメモ取りの技術は必須である。

ただ、私は通訳業務が終わって時間がたつと、自分が何を書いたかわからなくなる。だが、いつまでたっても完璧に内容を再現できるメモが取れる通訳者もいる。それを知ったときは「レベルが違う・・・」と、意味不明の落書きと化した自分のメモをじっと見たものである。

通訳業務においては通常、事前に情報が通訳者に渡されているものである。私が受けた通訳業務は翻訳にも携わっているプロジェクトが多かったので、内容は熟知していたし、説明も苦労はなかった。何も知らされずに「通訳に行ってくれ」と言われても、観光ガイド的なショッピングのお供とか銀ブラだったらいいが、議題が決まっている打合せの通訳などなかなかできるものではない。

「高橋さんの、せんこうさんでは、かんちをすりっぷに変更してあります」なんていう日本語を突然聞かされても、いくら土木建築の語彙に詳しい私でもちんぷんかんぷんである。

これは「高橋建築事務所の出した先行案その3では、カンチレバー工法をスリップフォーム工法に変更してあります」という意味だなんて、わかるはずがない。

まあそんな通訳業務もやらされたことはあるが、それはまた別のお話ということで。

Landmark Tower.jpg
(何度か通訳業務を行った横浜のランドマークタワー)
 

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posted by ロンド at 17:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事

2018年06月23日

グアム英語珍道中


海外在住経験がないと書いたが、実は3ヶ月だけグアムに滞在したことがある。今思えば、まったくの英語珍道中だった。

5年勤めた通信社を辞めたあと、フリーで翻訳業を始めたが、当時まだ実力が伴わず思うように仕事が来なかった。そんなとき、「グアムで長期間アドミ業務」という英語関係の派遣業務が新聞の募集広告に載っていて、応募し採用された。

派遣先は、グアムにてアメリカ軍より弾薬埠頭建設工事を請け負った日系建設会社の現場事務所だった。アドミ業務というのは、「管理 administration」関係の仕事で、行ってみてわかったことだが、要は何でも屋だった。

guam-86022_1920.jpg
(グアム島のとある建設現場。実際も、こんな感じだった。)

通訳、翻訳はもちろんのこと、作業員との交渉や買い出し、弁当の調達、運転手など、とにかく雑用係だった。

工事現場の作業員はすべて現地の人たちで、原住のグアム人(チャモロ族)。この人たちの英語がまったく聞き取れなかった。

着任早々、日本人スタッフに「ちょっと通訳して」と呼ばれ、現場に行ってみると、チャモロ人の若者が何か言っている。私は、隣に立っていた駐在してしばらく経つが英語が苦手というU氏に「今、何て言ったんですか」などという、通訳にあるまじき質問をしてしまった。

ところがU氏はあきれながらも「たぶんこんなことじゃないかな」と説明してくれた。(それでも通訳か)と思われたことだろう。穴があったら入りたかった。

その後、だんだんと彼らのナマリに慣れてきて、聞き取れるようにはなったが、日本人スタッフとのやりとりにおいて私の通訳技術が活かされることは、ほとんどなかった。内容は仕事のことなので、英語の苦手な日本人スタッフでもだいたいわかるのだった。

何かの用事で街に行った帰りにレストランに寄ったことがある。初老のおじさん含めた作業服姿の日本人男性4人である。店はアイスクリームやパフェなど甘味系専門店 Swensens(スウェンセンズ)だ。「日本じゃこんなことできないよなあ」と皆笑いあった。日本ではいい年をした男たちが作業服着てスウェンセンズなんか行けない。今だってそんなことしたら奇異な目で見られるに違いない。(当時スウェンセンズには甘味メニューしかなかったような気がする。一時期東京にも出店していた。)

アイスクリームがいくつも乗ったサンデーがおいしそうで、皆同じ物を選んだ。さて注文だ。こういう時は何というか。私は頭の中で英文を作った。東郷勝明講師によるNHK英会話のテキストにぴったりの表現があった。「One for each. 」だ。メニューを指さして、「This one. One for each.」と言おうとした瞬間、英語がうまいというY氏が、

Same one around.

と言った。ウエイトレスはすぐ理解し、笑顔で戻っていった。

(そんな言い方知らない・・・)とまたもや面目がつぶれた。「みんな同じ物を一つずつ」という意味で、よく使う表現だという。私の存在価値はなんだろう、と落ち込んだが、海外に住んだことがないのだからと、開き直るしかなかった。(この表現が本当に正規表現かどうかは確認とっていない。調べてもわからなかった。ウエイトレスが即座にわかってくれるのだから、問題なく通じる英語なのだろう。)

男たち4人で周囲を気にせず思う存分食べたたっぷりのアイスクリームはおいしかった。

米軍が工事業者との交渉や工事管理のため雇っている管理会社は、日系人が社長だった。その社長の息子はちょっとどら息子で、名前をアーロン(Aaron)と言った。最近、父親の仕事を手伝い始めたところだという。

日本人スタッフは「アーロンさん」と呼んでいた。ところがアーロンは「その発音違う」と言うのだ。通訳としてそこにいた私が「Aaron でしょう」と発音しても、「違う」と即返。何度も「Aaron」を発音したが、結局最後まで「違う」の一点張りだった。

Aaron はそんなにむずかしい発音なのか。英語のプロとしての評価が地に落ちた。

親父さんは仕事の関係者に対しいろいろ気を配っていたようだったが、息子は「気遣い」というものを知らなかった。

一般的に、外国人の名前は覚えにくいし発音しづらい。作業員のチャモロ人たちも、日本人の名前を覚えるのが苦手だった。作業員担当だったU氏の名前はまともに発音されたことがない。U氏は「植松」さんだ。「う・え・ま・つ」だが、これがチャモロ人の間ではどうなるかというと、「ウエ」が消えて(というか忘れて)「マッチュ」になり、最後には「チュ」になった。植松さんは何度となく「チュ」と呼ばれたが、特段気にする様子はなく、意思疎通できれば、何でもいい、ということだった。

米軍との交渉担当は英語が堪能なM氏。名前は「森山」さんだが、特別むずかしい発音の名前ではない。しかしこれがラテン系っぽい名前に変化してしまうのはおかしかった。

米海軍の担当官の一人は女性将校。知的で、日本人との交渉経験も多かったはずだが、通常英語では「モリヤーマ」と発音される「Moriyama」が、ちょっと気が抜けると、「モリヤーノ」になっていた。まるでヒスパニック系の名前 Moriano である。

女性将校の名前は忘れたが、いつも白い海軍の制服で颯爽と現れる。美しい顔立ちで物腰も柔らかく、森山さんも「モリヤーノ」と言われて、まんざらでもなかった・・かもしれない。

こうした交渉の場にも私は同席したが、交渉担当の日本人スタッフは英語ができたので、通訳として活躍することはあまりなかった。ただ、仕様書などの公式書類を読みこなすことや翻訳したり英語を書いたりすることは得意だったので、その点では役に立てたかもしれない。

結局は、「英語のできる何でも屋」だったということである。重宝はされた。

guam_sea.jpg
(空は青! 雲は白! 海は青! という原色であふれたグアムだった。)

グアム滞在は、最終的に3ヶ月で終わった。労働ビザが降りなかったのである。当時(1990年前後)、日本企業がグアムでたくさん仕事を請け負っており、これ以上労働ビザは出せない、ということで、帰国せざるをえなかったのだ。

アメリカ人やフィリピン人を含め現地の人々は陽気で明るく、熱帯の暑さも気持ちを明るくしてくれた。初めての長期海外滞在で、穴がいくつあっても足りない仕事ぶりだったが、フリーランスへの足がかりとなる有意義で楽しい3ヶ月だった。


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posted by ロンド at 17:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事

2017年04月11日

私は翻訳者である。名前は出ない。

「仕事は翻訳です」と言うと、いつも誤解されます。
「翻訳家」だと思われます。つまり、「本を翻訳する人」だと。
一般的な認識は、「翻訳」といえば「本の翻訳」なんでしょう。

私の分野は「実務翻訳」あるいは「産業翻訳」と言われているもの。皆さんが誤解する翻訳は、「出版翻訳」あるいは「文芸翻訳」と呼ばれています。

実務翻訳と出版翻訳との違いは、前者は「実際の仕事量に比例してお金がもらえる」「著作権はない」「翻訳者の名前は出ない」。
後者は「印税」「著作権が発生する」「翻訳者の名前が出る」です。

前者は「翻訳者」、後者は「翻訳家」または「先生」と呼ばれることもある。

私は前者、名もなき「翻訳者」です。

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(「仕事いつ終わるの。早く遊ぼ」)

20年くらい前までは、翻訳原稿はファックスや郵便、宅配便で送られてきていました。その後、仕事の受領や納品方法が、Eメールやウェブに変わってから、場所を気にせず仕事ができるようになり、どこか遠くに住んでみたいと思うようになりました。

移住の候補地は、沖縄、福岡、長野。シンガポールとハワイもとりあえず検討しました・・・(物価が高い!ハードルが高い!)。

移住先を検討するのは、楽しくもあり、苦しくもありました。

長野の候補地は佐久市でしたが、最終的に、想定外の軽井沢に落ち着きました。

logs in the garden.jpg

薪割り、草刈り、芝刈り。庭仕事(野良仕事)は山積みです。でも、座り仕事の翻訳者と、走るのが大好きな犬には、いい選択だったのかもしれません。

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posted by ロンド at 14:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事
プロフィール
ブログネームは、ロンド。 2013年に東京の多摩ニュータウンから軽井沢の追分に移住。今年還暦に。 同居人は、妻とトイプードルのリュウ。 ロンドは、フリーの翻訳者(日英)。自宅にてiMac を駆って仕事。 リュウ(13歳)は、運動不足のロンドを散歩に連れ出すことで、健康管理に貢献。 御影用水温水路の風景に惹かれて、「軽井沢に住むなら追分」となった。