2017年08月09日

もう一つの「おもてなし」


軽井沢は「かるいさわ」が本来の読み方だったが、軽井沢を保養地として開発した外国人たちが、「Karuisawa」では発音しにくい、というので、「Karuizawa」と発音するようになった、というのは有名な話。

今では一般に「かるいざわ」と呼ばれているが、地元の人たちは今でも「かるいさわ」と言っている。私はもちろん外様なので「かるいざわ」だ。

仕事柄、「言葉の音」には興味があり、なぜ「さ」が「ざ」になるのか考えてみた。調べるといろいろ理由があるのがわかる。一般的に日本語では「清音」が「濁音化」する傾向があるようだ。これは世界的にもそうだが、基本的に発音は「言いやすい方、楽な方」に流れる。

日本語のそうした「発音のルール」は外来語でも現れる。

泡がぶくぶく出る風呂は、「ジャグジー」と今では呼ばれている。もとは英語 jacuzzi であり、カタカナ表記すると「ジャクーズィ」だった。最初はカタカナでも「ジャクージ」だったと思うが、次第に「日本語化」していって、ついに「ジャグジー」になった。

jacuzzi2
(Jacuzzi は創設者の名前をとった会社。英語で Jacuzzi といえば、一般的に同社のジェットバス製品を差す。しかし日本では商品名としても「ジャグジー」を使わざるを得なくなった、とか)
 
最初から英語の jacuzzi として知っていた私は、今何と発音したらよいか葛藤がある。今どき「ジャクージ」と言ったって通じないだろうから。

同様に、relaxation 「リラクセーション」を「リラグゼーション」、ペットを入れる携帯式の入れ物 cage (かご)「ケージ」を「ゲージ」と言う人が増えてきている。

技術通訳をしていると、専門用語に出くわすことが多く、元の英語がわからない用語もある。

「アッテネーター」。これを聞いたときはまったくわからず、あとで attenuator (アテニュエイター、減衰器、信号を減衰させる装置)だということがわかったときは「そりゃ、アッテネータ!!」と心の中でうなったものだ。

こういう読みは、意図的なものではない。英語の発音をどうするかというより、それ以上に新しい技術や知識や文物を取り入れたいという意欲が強かった時代ゆえの現象と思われる。

sometimes を「ソメチメス」と読んで覚えた、という笑い話がある。これは決して発音をおろそかにしたわけではなく、当時日本人にとって英語の発音はむずかしかったので、とりあえずローマ字読みのように読んで覚えた、という発展途上時代の日本を象徴するお話。

ベトナム戦争を描いた衝撃的アメリカ映画 Platoon は「プラトーン」(1986)だった。今なら、KAT-TUNというグループがあって、日本全国「カトゥーン」と発音しているので、この映画も「プラトゥーン」という邦題になったことだろう。

Platoon_posters_86.jpg
(「Platoon」のポスター。監督のオリバー・ストーンはベトナム従軍経験があり、撮影現場ではPTSDで苦しんでいたとのこと)
 
acoustic は音楽用語として「アコースティック」と呼ばれている。導入したのは音楽業界の人たちだと思われるが、その当時でも「アクー」の音は発音できたはず。英語話者との付き合いも多かったはずなのに、「アコー」とした理由がわからない。たしかに「アクー」より「アコー」のほうが発音は楽なのだが、時代のせいだとしておこうか。

だが現在、英語は氾濫し、正しい英語の発音もすぐ調べられるし聞くことができる。帰国子女も留学経験者も多い。それなのに、こうしたことをすべて無視したかのような悪例の読み方が一つある。

それは、bullet (弾丸)だ。

これを映画業界では「バレット」と読んでいる。but の u は「ア」だが、bullet, bull, bully, bullwork などは「ウ」と読む。さては、知ったかぶりの英語読みなのだろうか。

だが、これら映画関係者は「英語の音を映画で聞いてわかっているはず」だし、字幕翻訳者もいるのだから、その翻訳者は「bullet はブリットであって、バレットではありません」と一言助言しなかったのだろうか。

bullet を「バレット」として読んだタイトルの映画は、スタローンの「バレット」(現代 Bullet to the Head)、チョウ・ユンファの米映画「バレットモンク」(Bulletproof Monk - 直訳は「防弾の僧侶」)などがある。

「ブリット」という邦題の映画は私の知る限りでは一つだけある。あのスティーブ・マックイーンが刑事を演じサンフランシスコの街中をカーチェースするスタイリッシュな映画「Bullitt」(1968)。これはマックイーン演じる刑事の苗字である。もちろん bullet (弾丸)と音を掛けた名前であることは明らか。マックイーンがかっこよかった。

Bullitt_poster.jpg
(「Bullitt」のポスター。このホルスターはモデルとなった刑事が実際に使っていたものと同じだという。)
 
日本映画界で bullet を「バレット」と読むのは、(1)「中途半端な知識とケアレスミスの二重誤謬」か、(2)「ブリットという音は耳障りなので、わざとバレットにした」か、(3)「Barrett (バレット)というカッコイイ響きの狙撃銃の名前を借りて、同系の物である弾丸 bullet の日本語読みとした」か。

私としては、(3)は深読みしすぎなので、(1)に間違いないと思っているが、(2)だったら英語という言語に失礼ではないか。理由があるなら、教えて欲しい。

いずれにしても、映画界に限らないが、日本人は英語の発音を尊重しない傾向がある、と私は思っている。その現れが、「バレット」だと思う。

そして良くも悪くもエリートが集まっていると思っていたNHKも、ついに墜ちてしまった。今年の5月まで放送していた窪田正孝、北村一輝主演のドラマ「4号警備」。最終話で、「警備対象を守るため身をもって銃弾を受ける」任務の警備員を差して「バレットキャッチャー」と言っていた。これはショックだった。ああ! "Et tu, NHK?"

「4号警備」の脚本家や監督や関係者は、bullet catcher の発音を確認しなかったのだろうか。その周辺に留学経験者や帰国子女はいなかったのだろうか。それとも一旦誰か上の者が決めたことは、誰も修正できないのだろうか。

私の通信社勤務時代、外国語読み方ハンドブックのようなものがあった。それは、放送業界で作る「放送用語委員会」が日本語における外国語表記をどうするか真剣に悩み討論し結論に達した結果をまとめた用語集。

例えば、「wear」を「ウエア」にするか「ウェア」にするか、など。

基本的にその言葉の原音を重視していた。一昔前だが、フランスの高速増殖炉 Superphenix というのがあって、これを日本語では「スーパーフェニックス」としたが、実際はフランス語。ただこの言葉のフランス語音は日本人にはなじみがないし、基本的にこれは国際プロジェクトなので英語の音を基準にした、という。委員たちは真剣に考え抜いてこういう結論に達したわけだ。

報道界ではこうして一所懸命かつ真摯に、外国語原音を尊重しながら、日本に入ってきた経緯や使われた歴史、日本語発音の限界など様々な要因を考慮し、読み方を決めている。

もし「バレット」を使っている人たちが、すべて承知のうえで意図的に原音を無視し響きが良いと感じられる音を使っている、のだったら、「何をか言わんや」だ。

生きるため豊かになるためには英語が不可欠な国々が多いなか、英語はそこそこ日本語ができれば生きていけるほど国内産業が大きい国、日本はやはり大国だったということか。

でもやはり原音には敬意を払って外国語を使いたい。それも「おもてなし」ではないだろうか。


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posted by ロンド at 19:11| Comment(2) | TrackBack(0) | 英語

2017年07月09日

風とともに


「風立ちぬ」といえば、「堀辰雄」です。軽井沢ですから。追分宿の堀辰夫文学記念館は歩いてすぐです。

Hori&Liu.jpg
(ときどき散歩で立ち寄る堀辰雄文学記念館)

タイトルの「風立ちぬ」は、フランスの作家ポール・ヴァレリーの詩「海辺の墓場」にある一節、Le vent se lève, il faut tenter de vivre. (「風立ちぬ、いざ生きめやも」と堀辰雄自身が和訳)から取ったもの。直訳は「風が吹いてきた。生きるべく努力しなければならない」という意味とのこと。

さらに宮崎駿がアニメ化しました。アニメ「風立ちぬ」の英語タイトルは、The Wind Rises. 「立つ」は日本語でも文章語ではありますが「風などが起こる」の意味があり、英語もフランス語も、同じく「立つ」という動詞を使っています。英語は rise。フランス語は lever。このあたり、「風が出る」ことを表す感覚は共通なのでしょうか。おもしろいですね。

ちなみに、アニメタイトルは The Wind Rises. ですが、ポール・ヴァレリーの詩そのものの英語訳は、The wind is rising. となっているものもあります。

さて、タイトルとして「風・・・ぬ」で有名なのは、「風と共に去りぬ」です。マーガレット・ミッチェルの小説で、映画化もされました。アメリカ映画を代表する不朽の名作です。

この小説で何が風と共に去ったかというと、「文明」です。映画の冒頭で A Civilization gone with the wind... と出てきます。南北戦争で南部の貴族的社会が潰れてしまったという意味のようです。civilization に不定冠詞の a が付いている(普通は the を使うことが多い)ということは、アメリカ南部の文明は普遍的文明ではなく、地域的なものだ、ということを表しているのですね。

ところで、この映画の最後のセリフ。とても有名です。すべてを失い、最愛のレット・バトラーにも去られ絶望したスカーレットが、故郷のタラに帰って考えようという結論に達した時の言葉、Tomorrow is another day. 字幕は「明日に望みを託して」。

一介の無名な翻訳者が確立されている字幕に異議を唱えるのもおこがましいのですが、この訳はやはり「意訳しすぎ」、「考えすぎ」ではないでしょうか。

日本人はどちらかといえば感傷的で情緒的、ドラマでも感動を盛り上げるのが大好き。不思議なことに、「言葉少なめ」の日本文化なのに、「おもてなし」心理のせいなのか、ドラマなどではとことん状況、経緯、結末を説明し尽くします。この映画でもスカーレットの苦労を自分のもののように感じ、日本人の好きな「起承転結」で「結」の言葉、「絶望から立ち上がって、明日に希望を見いだそうという優等生的決意」を、スカーレットから聞きたかったのでしょう。

だからその気持ちを「忖度」して、映画関係者が「明日に望みを託して」としたのではないでしょうか。

確かに、気持ちとしてはそういうことでしょう。でも英語では「明日に望みを託す」と言っていない。でも気持ちはそうなんだから、「明日に望み」でもいいじゃないか、という人は多いと思います。

でもそれでは、「君と楽しい家庭を作りたい」「君と毎朝おいしいコーヒーを一緒に飲みたい」「僕とずっと一緒にいてくれるかな」というセリフをその真意を考慮してすべて、Will you marry me? と訳してしまう、ようなものですよ。

IMG_0103.jpg
(「風と共に去りぬ」の最後のシーン)

Tomorrow is another day. は、「明日は明日の風が吹く」「明日になればなんとかなる」「明日がある」というような意味でしょう。この表現は、「明日に望みを託す」というような「前向きな期待」ではなく、「後ろ向きの楽観」だと思います。

スカーレットはけっこうタフガール。情熱的だけれどサバサバした性格。切替も早い。素直になれないところもある。言ってみれば、「跳ねっ返りのじゃじゃ馬娘」。そのあたりを踏まえて彼女のセリフを考える必要があると思います。

そんなスカーレットが「レットが去った。彼を取り戻したい。でも今日はもう考えられない。どうしよう」とどん底。でも「そうだ、故郷のタラがある。タラに帰って、レットを取り戻す方法を考えよう」と開き直って、「だって(After all)」と言って、「明日があるんだから(明日は今日ではない、別の日だから、明日になればなんとかなるだろう)」と、どちらかといえば楽天的な発言で終幕。こういう解釈のほうが自然ではないでしょうか。

もちろん、「映画字幕は翻訳ではない」と言われているように、映画字幕は英語だけを見て訳すものではなく、文字数制限もあり、いろいろな要素を総合的に考えて訳を作り出す創造的な職人技と理解しています。

「明日に望みを託して」は、「感傷大好き日本人視聴者」の気持ちに沿ったものかもしれないけれど、それでもやはり「忖度」しすぎたのではないかと思います。

ちなみに、小説「風と共に去りぬ」の新版では、Tomorrow is another day. を「あしたは今日とは別の日」と訳しているそうです(個人的には未確認です)。


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posted by ロンド at 19:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 英語
プロフィール
ブログネームは、ロンド。フリーの翻訳者(日英)。自宅にてiMac を駆って仕事。 2013年に東京の多摩ニュータウンから軽井沢の追分に移住。 同居人は、妻とトイプードルのリュウ。 リュウは、運動不足のロンドを散歩に連れ出すことで、健康管理に貢献。 御影用水温水路の風景に惹かれて、「軽井沢に住むなら追分」となった。