2019年04月09日

オノマトペが似合う町


厳寒の何もかも凍ってしまいそうな朝は、シーンと静まりかえっている。そんな早朝に外へ出ると、ピシッと顔が冷気で痛む。満月で驚くほど明るい真冬の真夜中は、キーンという音がぴったりの森閑さだ。

春の強風は、空がゴオオと鳴り木々がブーウウンと唸りながら揺れるが、意外と地面の上は風がフウーンと穏やか。御影用水温水路沿いを散歩すると、出てきたばかりの小さな虫たちがブンブン飛ぶ。用水はサワサワと流れ、我が家のワンコはチョコチョコ歩き、上空ではトビがピーヒョロヒョロ。私はちょっとランラン気分。

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(まだ緑少ない早春の御影用水温水路。)

とまあ、擬音語、擬態語、擬声語、擬情語が満載。自然豊かな軽井沢は特にオノマトペが似合う。実のところ日本は、こういった「オノマトペ」が溢れている国である。

なぜなら、日本語はオノマトペが豊富な言語だからだ。

もちろんどの言語にもオノマトペはある。簡単な例は、「動物の鳴き声」。日本の犬は「ワンワン」と鳴くが、アメリカの犬は「バウワウ(bowwow)」と鳴く。英語を習い始めの時、「犬も英語で鳴くんだ」と思った。「痛い!」は Ouch。くしゃみは「ハクション」ではなく Achoo(本当はアメリカ人のくしゃみを聞いても、ほとんど日本人と変わらないのだが・・。まあ犬の鳴き声も実際は万国共通か)。

ただし、世界中で「静けさの擬音語」つまり「シーン」があるのは日本だけかもしれない。

「シーン」は「しんしん」から作られたものと言われているが(最初に使ったのは手塚治虫だと聞いたことがある)、これは「擬情語」、つまり「感情」や「情景」を表したものとも言える。

日本のマンガを外国語に訳すとき、困るのはオノマトペ(効果音)だという。「シーン」など、一般には Silence (英語やフランス語の場合)と表記されるが、必ずしも訳されるわけではないという(無視される)。

もちろん外国のマンガも効果音は使われているが、主に本当の「音」であって、「どきどき」「わくわく」「いらいら」など、音が出てはいない「状態」「感情」を表す効果音は、そうそう見られない。

私の好きな美空ひばりの歌う名曲「愛燦々と」。「燦々(さんさん)」なのは、「太陽の光だから sun sun なんてね」とつまらない冗談を言ってしまいそうになる。

この「燦」は、見てもわかるとおり「漢語」で、現代中国語でも「サン」と発音する。「燦々」のようなオノマトペ的な副詞として使うかどうかはわからないが、意味は「燦々と輝く」である。「朗々と」「汲々と」など漢語起源のオノマトペも豊富だ。

春の嵐が吹き荒れる軽井沢プリンスショッピングプラザ。駐車場に停めた車のドアを開き、乗り込もうとしていた矢先、突風が吹き通った。妻はドアを必死に押さえて、「ドアがドゥアーッって、危なかった」と一言。擬態語かダジャレか。すでに車内にいた私はツッコミを入れたくなったが、強風でドアが全開していたら、隣の車を傷付けてしまうところだった。後で聞いたら、自分で何を言ったか覚えていないと言う。とっさのオノマトペだったようだ。

PrinceParking.jpg
(強風が吹き抜ける初春のプリンスショッピングプラザ駐車場。まだまだ寒いのに満車状態。右後方に見えるのは離山、その後ろまだ雪が残っているのが浅間山)

日本語は、「ささっ」「ずずっ」「ひゅうひゅう(と)」「ばちゃばちゃ(と)」など、「オノマトペ」が主に副詞として独立した言葉になっているから、このように自由に使い、自由に作ることができる。そこが日本語のすごいところだ。

とかく「幼児語」「子どもっぽい」と思われ、マンガ以外では敬遠されがちなオノマトペだが、本当は使い方によっては臨場感溢れる表現ができる。好例が、オノマトペの達人とも言われる宮沢賢治。何しろ「宮沢賢治のオノマトペ」というようなタイトルで論文や本も複数出ているのだから。

彼は独自のオノマトペを作ったり、独自の使い方をしたりしている。例えば「銀河鉄道の夜」では、「ぺかぺか消えたりともったり」の「ぺかぺか」、「まっくらな穴がどほんとあいているのです」の「どほん」、「天の川の水が・・・どぉと烈しい音がしました」の「どぉ」とか。

こういうオノマトペの豊富さゆえ日本語は情緒豊かで素晴らしい言語だ、と日本語礼賛する人たちもいる。だが、オノマトペは日本語だけの特徴ではない。お隣の韓国では、日本語以上にオノマトペが豊富だ。用法も意味も音もよく似ている。

実は英語(その大元のインドヨーロッパ語族)も、単語そのものがオノマトペ起源というのがたくさんある。bark(吠える)、blow(吹く)などの動詞、dog や pig などの動物も鳴き声を基にしていると言う。日本語のオノマトペ「どしん」「ばたん」「ごろごろ」などの英訳として使われる、thump, bang, rumble なども擬音語起源だと思われる。

そう考えるとヨーロッパの多くの言葉も、オノマトペに満ちていると言える。

一説によると、どんな言語も多くの単語はオノマトペ起源だという。日本語でも例えば「すする」は「すすっ」という水などをすするときの「擬音語」から作られた動詞、「おどろく」も「おどっ」というような驚いたときの発話や擬態表現から作られた動詞の可能性がある。

ちなみに、現在ペットとして飼われている数としては、イヌを超したと言われているネコ。日本語の「ネコ」は鳴き声から来ているという。最新の研究でわかったのは、ネコが日本列島に来たのは比較的最近のことで弥生時代。

ネコを見たことなかった古代日本人は「何だ、このニャンニャン鳴く動物は。ニャンコか」なんていうところから名付けたのだろうか。同じ命名法をイヌにあてはめると「ワンコ」だそうな。ワンコもれっきとした命名法に則っているということか。

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(ご近所さんが保護した捨てネコの姉妹。今は優しい里親のもと、ふたり楽しく暮らしている。)

このところ、我が家の中では今までなかったオノマトペが聞かれることが多くなっている。年のせいか起き上がるとき「よたよた」、移動も「のそのそ」、歩く方向制御能力が劣化し、あちこちに「どん、がっ、ばしっ」とぶつける。立ち上がるときは「よっこらしょ」(これは掛け声か)。

ただ東京では存在しなかった、「薪ストーブ」の「ほこほこ」した柔らかい暖かさには癒される。そしてやっと春が来たという「ぬっくり」とした今日この頃の軽井沢である。


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posted by ロンド at 18:08| Comment(2) | TrackBack(0) | 言語

2018年03月12日

言葉の響きが世界を広げる


聞いただけで「これは悪人だ」と思わせる響きを持つ名前がある。たいていはフィクションではあるが。
 
例えば、「ハリー・ポッター」の仇敵「ヴォルデモート」。なんとも不気味な響きではないか。作者のJ・K・ローリングによるとフランス語で、vol de mort = flight of death(死の飛翔)とのこと。
 
しかし言葉の意味とは別に、作者はまず最初に気味悪い音に聞こえる名前を考えついたのだろう。mort はフランス語で「死」を意味する言葉であり、英語においても mort という音は暗いイメージがある。morgue (死体置き場)を連想させる。vol も、volcano(火山)や violence(暴力)など荒々しさを連想させるはずだ。
 
同様に、魔法学校ホグワーツの寮の名前、「スリザリン」も不気味だ。「s l」の音は英語であまり感じの良い音ではない。slave(奴隷) とか slaughter(屠殺) とか sly(あくどい)とか、ネガティブな意味の単語がある。
 
悪役で不気味な音を持つ有名人といえば、「スターウォーズ」の「ダース・ベーダー (Darth Vader)」。dark invader のような暗い怖いイメージがある。それを狙って作った名前であることは間違いない。
 
読者はこういう名前を聞いて、理由はわからないが(考えないが)聞いてすぐ「英雄」「悪役」「不気味」などのイメージを抱くのだ。フィクション、特にSFやファンタジーの楽しみ方は、こういうところにもある。
 
フィクションではなく、実際の名前も、その響きによって別世界を想像させるものがある。
 
私にとって、その一つが、「ギンヌンガガップ」。

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(宇宙のどこか)

何か想像もつかないような響き。恐ろしいような謎に満ちているような永劫に続くような。「ガ」行の濁音が多いことも、そういうイメージを生み出す要因の一つだろう。
 
確か、SF小説に出てきた言葉だと思う。大宇宙のどこかにある途方もない裂け目。そんな意味で使われたのかも知れない。実際は、北欧神話に出てくる「この世の中が生まれる前に存在した巨大な裂け目」のことらしい。ギリシャ神話では「カオス」に相当するとのこと。
 
「ギンヌンガガップ」の綴りは、Ginnungagap。もともと古代北欧語で、語源は Ginnunga が「始まり」とか「不思議な」とか諸説ある。gap は現代英語でも同じ gap で「裂け目」。
 
もう一つ、聞いただけで別世界が広がる言葉は、「アコンカグア」。

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(アコンカグア)

これは南米アンデス山脈の最高峰。標高7000メートル近い高さがある。最初にどこで聞いたか覚えていないが、アニメかもしれない。船(戦艦?宇宙船?)の名前で使われたような気がする。実際にはそれが山の名前だとは知らなかったが、聞いただけで、原初的で、雄大な雰囲気があった。
 
「カグア」が「かぐや姫」の「かぐや」と音が似ていることもあるのかもしれない。女性、しかも卑弥呼のような首長的な女性のイメージがある。女性的で優しい響きがある「ア」の音が多いせいもある。
 
これらの単語は聞いただけで、「センス・オブ・ワンダー」(不思議な感覚)を感じさせてくれる。これは、SF小説でよく使われる言葉。SFらしさが感じられる作品は、「センス・オブ・ワンダー」があるという。
 
「センス・オブ・ワンダー」を感じられる作品には、小説ではフランク・ハーバート作の「デューン砂の惑星」、映画ではリドリー・スコット監督の「ブレードランナー」がある。
 
「ギンヌンガガップ」と「アコンカグア」は私にとっては、単語だけで「センス・オブ・ワンダー」を感じさせる、鮮烈な言葉である。
 
さて最後に、日本の「言葉」を挙げないわけにはいかない。
 
個人的に「センス・オブ・ワンダー」を感じる日本の言葉は、日本神話の中心にいる太陽神「アマテラス」である。

sun.jpg
(太陽)

「アマ(天)」「テラス(照らす)」もおそらく二千年も前から使われていた日本語であろう。古代の息吹がいまだもって感じられる単語だ。「ア」の音も多く、個々の言葉の意味が持つイメージも相まって、大きく抱擁してくれるような崇高さを醸し出している。
 
「アマテラス」は魏志倭人伝で紹介された「倭」の「女王」である「卑弥呼」が神格化されたものであろう。「卑弥呼」は「ひみこ」と読まれているが、実際には「日御子(ひのみこ)」か「姫御子(みめみこ)」だったのだろう、と言われている。
 
「アマテラス」の音を聞いただけで、神話上でも歴史上でも日本史に燦然と輝くヒロインの太陽に向かって祈る姿が浮かんでくる。それほど強烈なイメージを持つ名前であり、音である。


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posted by ロンド at 16:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 言語

2018年02月20日

どす、だす、です


志村けんのコントではない。日本語のお話。

「そうどす」「そうだす」の「どす」「だす」はテレビドラマなどで聞いているし、関西の方言であることは知っていた。しかしどっちがどっちとか大阪だとか京都だとか、そういう認識はまったくなかった。

ところが、NHKの朝ドラ「わろてんか」で、京都生まれの主人公てんが「どす」を使っていたら、「だす」の大阪人に揶揄されるシーンがあって、「そうなんだ」と思った次第。

maiko.jpg
(舞妓さん)

調べたら、大阪の「だす」は「で・やす」、京都の「どす」は「で・おす」が縮まったもの。「やす」も「おす」も現代語でいう「(・・で)ある」の丁寧語のようなものらしい。

標準語では「です」である。「です」も「で」+「そうろう(候う)」、「ございます」、「あります」などのような言葉が短くなったものという(どれかははっきりしていない、全部かもしれない)。

どれも近世(戦国時代から江戸時代ごろ)にできたものとのこと。その前はなんと言っていたのだろうか。

私は仕事柄(英語・日本語翻訳業)、言語には興味があって、いろいろな言葉を勉強したこともある。翻訳していると英語以外の外国語も出てくることがあり、ヨーロッパ言語などちょっとでも文法を知っていると役立つ。だからヨーロッパ各国語の辞書も持っていた。ドイツ語、イタリア語は値の張る本格的な辞書を揃えた。今ではほとんどオンラインで外国語が調べられるので楽ではあるが、紙の辞書で育った私にはちょっと寂しい。

言語関係の本もけっこう読んだ。

言語学においては、言葉というものは、どんどん短く省略されていくものらしいが、つまりは過去に遡れば言語はもっと複雑だったということ。古代ローマ人が使ったラテン語や、古代インド人が使ったサンスクリット語なども、「最初は複雑な文法構造があったが、次第に簡略化されていった」そうだ。

日本語も「です、ます」は極端にいえば「で○○○○」「ま○○○○」が「です」「ます」と簡略・省略されたもの。まあなんと大胆な変化。

この簡略・省略というのは、なんだかとてもおもしろい。

「わろてんか」でも、「おおきに」をよく使う。Thank you. の意味だとは知っていたが、「おおきに、ありがとうございます」という場面がよくあって、「それって、リダンダント(redundant = 表現が余計、冗漫な)じゃないか」と思っていた。

Osaka castle.jpg
(大阪城)

でも「おおきに」は「とても、たいへんに very」の意味だったんだ。「Thank you very much.」が「おおきに、ありがとうございます」だった。

そういえばちょっと前の朝ドラでも「だんだん」というのがあった。「だんだん」は出雲地方の方言(その他西日本ではあちこちで使われているらしい)。「Thank you.」だが、江戸時代に生まれた言葉で「重ね重ね」の意味。これも「おおきに」と同じ、本来は「very much」の意味。

日本語はおもしろいね。「まくらことば」が独り立ちしてしまう。

「こんにちは」だって「Today」であって、そのあとに「ご機嫌いかが」とか「よいおひよりで」とか言うつもりだったのが、最初だけで終わってしまった。

「さようなら」も同じ。挨拶やお話が終わったようなので、「さようならば(直訳は、If it is so かな)」と言って「おいとまします」とか「ごきげんよう」とか言っていたのが、後半が省略されてしまった。英語でいえば「Well, then, good-bye.」という感じか。

その現代版が「じゃーね」だが、「じゃ、また」なんていうのは、直訳すれば「Well, again」であって、お別れの言葉そのものを使わないでお別れとするなんて、なんとまあ「本質を言わずにわからせる」日本人らしい。

お礼や挨拶の「どーも」は、なんだろう。「どうも、むずかしいらしい」とか「どうも、うまくいかない」とか、それが「どうも、ありがとう」に使われるようになったのは、どうしてだろう。さらに「こんにちは」の意味でも使われている。

日本語はおかしな言葉だ。

「どす、だす、です」は、「です」が標準語になっているが、実際には「江戸弁」だったはず。首都が江戸に移らなければ、標準語は「どす」か「だす」だったかもしれない。

関西の人たちは悔しいだろうな。私は甲斐の生まれなので東(あずま)言葉ではあるが、「標準語」でもないので、どちらでもいいんだけど。

しかし、移住者が多い軽井沢は別として、小諸とか佐久とか、私の聞く限りだが、「なまり」がほとんどない。「甲斐」はけっこう方言があるし(「づら」「じゃん」など)、イントネーションも特徴があるのに、甲斐よりもっと奥(失礼!)にある佐久地方になまりがないのはどうしてだろう。不思議だ。


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posted by ロンド at 16:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 言語
プロフィール
ブログネームは、ロンド。フリーの翻訳者(日英)。自宅にてiMac を駆って仕事。 2013年に東京の多摩ニュータウンから軽井沢の追分に移住。 同居人は、妻とトイプードルのリュウ。 リュウは、運動不足のロンドを散歩に連れ出すことで、健康管理に貢献。 御影用水温水路の風景に惹かれて、「軽井沢に住むなら追分」となった。