ロボットが「ターミネーター」みたいに人類を抹殺しようとする、なんて映画の中だけの絵空事、ではなくて本当に起こりうると言ったら、どうだろう。
ロボット、つまりコンピュータなどの人工知能(AI)が人類の知能を超える日は意外と早く来る、と言われている。AIが人類の知能を超える現象(技術的特異点)は「シンギュラリティ」と呼ばれ、多くの科学者や技術者がそのための研究をしている。シンギュラリティはもうすぐ(2045年)来るという研究者もいる。
知能的(と言えるかどうかわからないが)には、AIはチェス、囲碁、将棋などですでに人間を凌駕している。
「翻訳」などの仕事もまもなくなくなると言われている(あっ考えたくない・・・)。だとしたら、対人関係や事務関係の仕事は、ほとんどAIに取って代わられるだろう。
自動運転の実現ももうすぐ。スマートスピーカーがさらに進化し、ホーム執事が出現する。仮想現実も、映画「レディ・プレーヤー1」の世界は目前。楽しいことばかりではなく、大失業時代も同時にやってくる。
先日亡くなった車椅子の天才科学者スティーブン・ホーキング博士が、「完全な人工知能の開発は、人類の終焉を意味することになるかもしれない」とAIの発展に警鐘を鳴らしていたが、それはこのように人間社会を壊してしまうからであろう。
「シンギュラリティ」が来なくても、こういう状況は10年もしないうちに、徐々に現実問題として私たちの前に現れてくるはずだ。
さて、主題である「ロボットはターミネーターになるか」だが、その前に、AIが「意識を持つ知的な(機械)生命体」になれるか。
学術的バックグラウンドがまったくない、ただのSFファンである私だが、科学的知見を無視し、SFマニアならではの厚顔無恥さで、私見を述べてみたい。
生命体の本質は、「定命性(じょうみょうせい)(寿命が限られていること)」と「継続性(生存しようという意志)」である。
生命体はすべて寿命がある。そしてそれを前提に存続しようとし、子孫を残す。あえて今の人間の感情で表せば、命の限りがあるからこそ生きていることを愛おしいと感じる。また同族を含んだ自分たちの子孫を残すため自らを犠牲にできる。そこから同朋に対する慈しみの気持ちが生じる。
さらに生命体の存続で必要なのが、他の生命体との共生である。
そもそも生物の細胞は、複数の生命体が合体したものである。細胞の中に「ミトコンドリア」があるのは、学校で教わった。あれは本来別の生命体だったのが、共存のため合体したのだ。
生物は他の生物を餌として食ったりするが、餌ではない生物とは共生している。共生しないと生きられないのだ(腸内大腸菌、犬との共生など)。そこから他者に対するいたわりの気持ちが生じる。
うわべだけなら、普通のAIでも実現可能だ。ありとあらゆるヒトの行動パターン、思考パターン、対応パターンをデータに書き込み、プログラムし、巨大なデータバンクと接続すれば、まったく人間と変わらない対応をするAIが作られるだろう。ヒト以上に有能で優しく思いやりのあるロボットが生まれる日も近い。

(2011発表のホンダのロボットASIMO。ASIMO は、Advanced Step in Innovative Mobility の頭文字を取ったもの、と言っているが、「アシモ」と聞けばSF作家の大御所アイザック・アシモフの名前がまず最初に頭に浮かぶ。だから本当はアシモフの名前をもじったものに間違いない、と思う。)(写真:Wikimedia Commons)
だがそれはすべて「決められたプログラム」によるもの。ヒトを救い楽しませ手伝い、あるいは殺しても、それはもともとヒトの命令によるものであり、自発的なものではない。
それにAIは実質的に不死である。機械自体は耐用年数があるが、データを別のハードディスクに移せば、まったくオリジナルと同じ物が蘇る。死なない物に、生命の大切さ、愛おしさがわかろうか(正確に言えば、「生体保護の思考や行動の必要性が少ない」→「その機能が発達しない」→「命の重要性をあまり認識しない」)。
我が家のワンコは、科学的定義はおいといて、私からすればりっぱな「知的生命体」である。自分で考え、他者を気遣い、遊び、愛し、楽しむことができる。好きな人に会えなくて寂しがり、会えると大喜びし、失敗して怒られるとシュンとする。そして20年もせず「虹の橋」を渡ってしまい、人を悲しませる。それが「生命体」というものである。
もしAIが本当の知性、「心」を持った機械生命体になれるとしたら、それはAIが「生物由来の組織」を持ったとき、だと私は思う(そういうSFはすでに書かれている)。
そのバイオ組織は化学反応によるアナログ的生体であり、命に限りがある。個々の個体(例えばロボット)はそれぞれ独自の個性を持つにいたる。ヒトのような有機生命体と同じように、「定命性」を持ち、それゆえ「心」を持つにいたる。そのとき初めて本当のシンギュラリティが起きるのだと思う。
ただし、「機械の中に生体を組み込む」なんてSFの世界の話であって、実際に研究している科学者はいないと思うし、AIにとっては不利となる「生体」の組み込みなど、今のところ実利的価値はないから、当分実現しないだろう。
だがもし実現したら、そのバイオAIは「ターミネーター」になりかねない。理由は簡単。生物が他者を抹殺しようとするのは、自分の生存が危機にさらされたときだ。もし人類が他者(たとえば地球外知的生命体)から「賢い」という理由で抹殺されそうになったら、当然反撃し、同じ事を相手にしかけるだろう。ならば、バイオAIも同じだ。それが「生命体」なのだから。
今から言っておこう。私は個人的にバイオAIに敵意は持たないので、もし実現したら、仲良くしてくださいね。まあ数百年後の話なのだけれど。そう、来世はバイオAIに生まれ変わろうか。
I’ll be back!

(映画「ターミネーター」のモデルT-800。これは「末端」であって、本体はスカイネットというAI。最初の監督ジェームズ・キャメロンが現在、オリジナルの出演者シュワルツェネッガーとリンダ・ハミルトンを起用し「ターミネーター」新作を作っている。これまでの「ターミネーター3,4、5」の3作品はなかったことにしたプロットとのこと。もちろん出演者の二人とも現在の老けた状態で登場する。)(写真:Wikimedia Commons)
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