2019年06月09日

若いときはわからなかったこと


若いときはわからなかったことは多い。若いということは、エネルギーは溢れているが、智恵も思慮も辛抱も足りない。そこまで言わなくてもいいだろう、と思うが、自分の若い頃を思い返してみると、まさしくその通りなのだ。

娯楽作品としての「映画」にも、それは言える。例えば、若い頃見たときは「失望」だったが、今見ると「喝采」に変わる、という映画がある。以下「ネタバレ」もあるので、読む際はご注意のほどを。

まずは、日本のみならず世界中でディスコダンスを流行らせ、日本では「フィーバーする」という新語を造り出した歴史的映画「サタデー・ナイト・フィーバー」(1977)。ジョン・トラボルタの出世作。

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(このポーズは全世界で流行った。確かにかっこいいダンスだ。私も当時流行っていたディスコに何度も行ったが、こんなポーズは恥ずかしくてできなかった。やってもジョン・トラボルタみたいにかっこよくならないし。)

正直言って、この映画嫌いだった。

トラボルタ演じた主人公トニーは、ディスコダンスはうまい、ハンサム(とは思わなかったが)でモテる。だが生活態度が自堕落で刹那的。

当時私は主人公トニーと似たような年齢で、社会人目前。さあどう生きる。何をしたい。何をすべき。そんな葛藤があった時期。自分は悩み苦しみ、それでも努力している。それなのに、トニーは天性のダンス技術にかまけて快楽を追い求めている。あんな風にはなりたくない。そう思っていた。

トニーはやがて自立した女性ステファニーとディスコで出会い、彼女のダンスに対する真剣さに触発され、ダンスに本気で取り組もうと決心する。そんな前向きな結末も、当時の私には目に入らなかった。

それから数十年。今は180度向こう側からこの映画を見られる。年を経てそれなりの知識と経験が少しは得られたからだろう。トニーの境遇がよくわかる。必ずしも幸せな家庭環境ではない。でもダンスの素質はある。最後は心を入れ替えたのだから、自分を信じて頑張れば、きっと成功する、と今ならエールを送れる。

続いては、「ロッキー5/最後のドラマ」(1990)。ご存知シルベスター・スタローンのロッキーシリーズ5作目。引退したロッキー、トレーナーとして若手を育成することに。だが手塩をかけて鍛え上げたトミーはロッキーを裏切り、移籍。好機を得てチャンピオンになるが、その態度の悪さゆえ観客からブーイングを受ける。「ロッキーを裏切った奴にチャンピオンの資格はない」と。

Rocky_v_poster.jpg
(シルベスター・スタローンは1946年生まれで今年72歳。ロッキーはいまだに「クリード」で健在。ジョン・ランボーは、今年公開予定の新作「Rambo: The Last Blood」でメキシコの麻薬ギャングと一戦交える。傭兵物語「エクスペンダブルズ」は4が制作中。がんばるなぁ。)

ロッキーを逆恨みしたトミーはロッキーにリングでの対決を申し込むが拒否され、その場でケンカになる。ストリートファイトで、ロッキーはトミーを倒す。

「なぜ再度リングに戻り堂々とトミーを倒さなかったのか」と私は憤った。テレビカメラで撮影され一般大衆も見ていたとはいえ、ストリートファイトなんて私闘のようなもの。相手も怒りに我を忘れていたのだし、そんなケンカみたいなもので勝っても意味ない、と非常に不満な終わり方だった。

当時私は30代で若かった。体力気力もまだあった観客として、ロッキーにも同じ事を求めた。「リングで戦うべき」、「ロッキーは不可能を可能にする英雄だ」と。

だが優れた俳優・監督・脚本家であるスタローンは「年を取る」ことの意味をよくわかっていた。老化で体力は落ちるが、智恵は付く。地の利を考え、相手の弱点を突き、体力を温存しながら倒せる機会を狙う。「正々堂々リングの上」で闘う必要はない。「名を捨てて実を取る」のも大人の智恵だ。

当時はまだそれがわからなかったが、今はスタローンの意図がよくわかる。年を取ったらそれなりの戦い方がある。経験と実績がある今、「プライド」にこだわったり頼ったりする必要はないのだ。それが年の功というものだろう。

最後は、最近の映画、「スター・ウォーズ/最後のジェダイ」(2017)。実はこのエンディング、私はよくわかるが、一般観客にとって超不満だったようだ。納得いかない観客は、「ロッキー5」を見た若き日の私のような人たちだったに違いない、と思う。

スターウォーズ映画としては何十年ぶりにルーク・スカイウォーカーが登場した。演じたマーク・ハミルは当時20代、初々しかった。今は劇中のルークと同じく初老の男性。

Last Jedi 2.jpg
(新スター・ウォーズ三部作の第二部「スター・ウォーズ/最後のジェダイ」のポスター。最終話「The Rise of Skywalker」は今年末公開予定。邦題を「スカイウォーカー起つ」と訳してみた。この新作の予告編映像シーンは、何と「七人の侍」の有名なシーンと構図がそっくり。)

ルークは、悪の皇帝を倒し、実父であったダース・ベイダーを善に引き戻してから見送った後、ジェダイの騎士として後進の指導にあたった。その中には甥ベン(ハン・ソロとレイアの息子)も入っていたが、ベンは祖父のベイダーを尊敬し、暗黒面に墜ちてしまった(カイロ・レンと改名する)。ショックを受けたルークは姿を消す。だが、ついにレイア率いるレジスタンスたちを逃がすため、包囲するカイロ・レンの前に姿を現す。そして一対一の決闘に臨むが、レイアたちが脱出できたのを知ると、カイロ・レンの前から消える。隠棲していた別の星から幻影を飛ばしていたのだ。そして力を使い果たし、肉体を消滅させ、映画は終わる。

若い観客は、英雄であるルークに生身で戦い、カイロ・レンを倒して欲しかった。新シリーズの主人公レイを実際に指導し、一人前にして欲しかった。そしてその真逆の展開に不満を持った。

ルークと同じような年齢の私は彼がよく理解できる。指導者として失敗し、絶望し隠遁してしまったのも、理解できる(mid-life crisis)。そして、それでもなお年老いし者には、それなりの戦い方があるのだ。

これら映画のように、若いときは「どうして!」と思うことが年を経て腑に落ちることに、改めて気がつく。

今年で齢89歳のクリント・イーストウッド主演・監督作「運び屋」(2018)は、麻薬の運び屋となってしまった90歳の老人を描く映画。まだ見ていないが、この主人公に共感できることがあるとしたら、私が卒寿にならんとする頃だろうか。

私の人生において大きな喜びと感動と勇気と刺激を与え続けてくれているイーストウッドに習って、私もできる限り現役でいたい。


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posted by ロンド at 17:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画・ドラマ

2019年05月24日

中山道を往く


江戸時代の街道を行くのは危険がいっぱいだ。中山道のような「一日中、山道」では、山賊は出るは、野犬は出るは、熊は出るは、さらには今は絶滅してしまった狼は出るは、で命がけの道程であった。

というのが、数年前までの、私のイメージだった。

軽井沢に来て、我が家のすぐそばを中山道(旧中山道)が通っているのを知った。旧軽井沢銀座は、そもそも「軽井沢宿」であった。碓氷峠の向こう側、群馬県の坂本宿からは碓氷峠を越え、軽井沢宿に着くまで約8.5キロの「山道」は、確かに「一日中、山道」だったかもしれない。だが、道中数カ所休憩所もあって、日中であればそれほど危険ではなかったと思われる。

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(旧中山道の、碓氷峠から群馬県側に下りる方向の道。Google Map には載っていないが、歩いて麓の坂本宿まで行ける。我が家のワンコは一応オオカミの子孫だが、誰にも怖がられない。)

中山道ではだいたい1〜2里ごとに宿が設けられていた。つまり、宿から宿までの距離は4キロから8キロくらい。歩いても、1〜2時間で踏破できる距離である。ましてや軽井沢宿から佐久市の八幡宿まではほぼ平地である。

危険がいっぱいの道中、というのは私の妄想だったのかもしれない。それほど江戸時代には交通インフラが整備されていたわけだ。

軽井沢宿から沓掛宿(今の中軽井沢)、追分宿、そこから南下し小田井宿(御代田町)、岩村田宿(佐久市)までは、追分住人である私にとっては日常的に通る道となっている。

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(小田井宿。観光地化されていないが、意外と昔風の建物が残っている。海野宿と同じように中央に水路が走っていたという。)

かつて「宿場町」だったところは、観光に訪れる人も多く、歴史保全など行政の方針や住民たちの努力により、それなりに古い建物が残っていたり再現されていたりする。

実際にはどんなだったか。幸い日本には昔ながらの宿場町がいくつか残されている。妻籠や馬籠、さらに北国街道の海野宿を見れば、当時の街並みが容易に想像できる。今でもほぼ江戸時代の風景と変わらないはずだ。

だが、宿と宿のあいだの道はどうだったのだろう。道際に家は建っていたのだろうか。安藤広重などの街道を描いた浮世絵が描くのは、多くは宿であり、特徴的風景を背景に描いた旅人だったりして、街道がどんな様子だったのかはあまりわからない。

山中の街道は、想像が付く。以前箱根の山中を通る石畳の東海道を歩いたことがある。山道でも石畳が整備されていた。

中山道では、落合宿と馬籠宿との間、十曲峠には奇跡的に石畳の街道が残っている。写真で見る限り、けっこうちゃんとした石畳である(もちろん近代に補修され維持管理されているものだが)。

坂の山道で雨でも降ろうものなら、道がぬかるんで、進むに進めないだろう。大名行列だったら、なおのこと大変である。だから一部は石畳の舗装にしたようだ。だが、平地ならばきちんと管理すれば、人が歩くぶんには無舗装の土の路面で問題なかったのだろう。

宿が点在する佐久地域周辺だが、これまで行ったことがない岩村田宿から先の中山道を見てみたいと思い、仕事が休みの日、望月宿まで辿ってみることにした。気力はあるが、歩く体力も時間もないので、文明の利器(自動車)を借りた。

岩村田(いわむらだ)から佐久市街地を西に向かって進み、次の宿場町「塩名田(しおなだ)」へは約5キロの行程。宿場内は、あちこちに古式な構造の建物が見える。西端は千曲川となり、雨などで川止めとなると大名行列を始め一般の旅人も留め置かれるため、大いに賑わったという。

塩名田で一番昔の風景が残っているのは、千曲川に向かって下る道筋。今でも老舗の川魚料理店を始め数軒昔風の建物が建っている。

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(左:塩名田宿の、千曲川に下るところの街並み。江戸時代にも橋は建てられたが、何度も流されたという。千曲川は今では想像できない暴れ川だった。)
(右:川魚料理店の玄関。ネコの置物、と思ったが、次の瞬間には消えていた。本物だった。)

川を渡ると1キロほどで八幡(やわた)宿に着く。当時の中山道はかなり往来があり、八幡は農産物等の集積所だったこともあり、宿が作られたという。

八幡宿から、山を一つ越えて、3キロほどで望月宿。ここは古い街並みが比較的多く残っていて、望月歴史民俗資料館もある。この宿は千曲川に注ぎ込む支流の鹿曲(かくま)川の左岸に位置している。最初は右岸に作られたが、洪水で流され、左岸に新たに建設されたという。

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(左:望月宿の街並み)
(右:鹿曲川の流れ。向かって左側が宿場町。直接川面に出られるようになっている家もあった。)

追分からこの望月宿まで23キロ程度、車でまっすぐ来れば40分以内で着ける。江戸時代は、一所懸命歩けば、朝追分を出て夕方には望月に着けたかもしれない(千曲川がすぐ渡れれば)。実証してみたい気もするが、気持ちだけにしておこう。

中山道を通ってみると、不思議なことに宿場町ではないただの街道筋だったところにも、古風な家を見かける。典型的な特徴は、敷地を囲む背の低い白い土塀とよく剪定された松などの庭木。塀や建物自体はそれほど古いわけではない。おそらく、かなり昔から街道筋に居を構えていた住人が、伝統として同じ仕様の家屋を建て続けてきたのだろう。自家の歴史に対する誇りが感じられる。

さらに、中山道のような知られた街道ではない一見普通の舗装道でも、そうした「白い塀の家」に出くわすことがある。その近所を散歩してみると、道祖神があったり祠があったりする。近代に作られた舗装道のように見えたが、実際にはおそらく江戸時代から使われていた道なのだろう。

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(御代田町のとある道。白塀の家や昔風の家が数軒集まっている一角がある。)

何気ない道で歴史を発見できるのも、近代化の波に完全に巻き込まれていない田舎の良さの一つである。


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posted by ロンド at 17:15| Comment(2) | TrackBack(0) | 郷土

2019年05月10日

ブランド読みのブランド知らず


若い頃、ブランドには縁がなかった。名前もほとんど知らなかったし、興味もなかった。

ある時から仕事柄、ちょっとだけブランドに詳しくなった。それは添乗員をしていたとき。ツアー客の目的の一つが「海外のブランド品を安く買う」ことだったからだ。たいていどこに行っても「免税店」があり、安くブランド品が買える。衣類等では「グッチ」「ラルフ・ローレン」「ティファニー」「コーチ」「アルマーニ」「ルイ・ヴィトン」「エルメス」「ディオール」などなど。お酒では「シーバスリーガル」「ヘイグ」「レミーマルタン」などなど。

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(Jana Segetti という、ペテルスブルク(ロシア)のブランドが開いたファッションショー。Jana Segetti という非ロシア的な名前は、前半が設立者関連の名前にちなみ、後半がハンガリー語の「境界」という意味とのこと。いかにも今風の無国籍的命名だ。)(Photo by Pixaboy)

それまで聞いたこともなかったブランド名をいろいろと知るようになった。もっとも「知る」だけで、自分で買ったり使ったり飲んだりすることはなかった。免税と言ってもまだまだ高額だし、その価値もわからなかった。

スイスのジュネーブに行ったとき、ツアー客を連れてとある免税店に寄った。もちろんツアーの旅程に入っている。買い物後、チーフ添乗員がコミッションを受け取った(コミッションは合法なもので、旅行会社に渡される)。スイス人店長は、私が新人添乗員でスイスに来たのは初めてだと聞くと、ねぎらいの意味かビーニー帽(つばのない耳まで覆えるニット帽子)をプレゼントしてくれた。ブランドはクレージュ(Courrèges)。ちょうど冬だったので、旅行中重宝した。そのビーニー帽は何と30年以上たった今でも使っている。日本で買った他のビーニー帽は数年経つとよれよれになり毛玉だらけになる。それほど高価な物ではなかったと思うが、クレージュ製品の品質の良さには驚いている。

添乗員をやめてからは、「ブランド」という名前は私の生活から消えてしまった。身近なブランドは愛用していたが。例えば「グンゼ」とか・・・。

ところが、フリーランス翻訳業を始めて数年目に、とある翻訳を依頼された。それは、「(横文字の)ブランド名」を日本語にする仕事だった。

今みたいに、簡単にちゃちゃっとググることなどできない時代だったので、どうやって調べたのか、思い出せない。いろいろ人に聞いたりもしたのだろう。苦しんだおかげで、ブランド名の読み方に詳しくなった。

その時、読み方に苦しんだブランド名には、次のようなものがあった。

「Loewe」「Aquascutum」「Versace」

Loewe なんて、一体何語かもわからなかったが、何とか調べて判明した。「ロエヴェ」だった(日本の表記としては「ロエベ」)。単語としてはドイツ語なので、w を「ヴ」と読む(ドイツ語の w は英語で言えば v の発音。だから日本人の「わかこ」さんはドイツでは「バカコ」さん、というジョークがある)。

Aquascutum はもともとラテン語で、aqua が「水」、scutum が「楯」。合わせて「防水」を意味するそうだ。このブランドは英国なので、読みは「アクアスキュータム」と英語的に読む。

Versace はイタリアのブランドなので「ヴェルサーチェ」と発音し、日本でのブランド名も同じだが、英語では「ヴァーサーチ」という感じで発音されている。

かつてテレビで見たアメリカ映画で、タイトルも内容も覚えていないが、モデルになりたくて都会に出てきた田舎娘が、ファッション関係の男性らと話していて、「私は Versace が好き」と言う。だがその発音は「ヴァーセイス」だった。当然彼女はバカにされた。

Versace を普通に英単語として読めば、「ヴァーセイス」になるので、ファッション雑誌などで見ていても、実際に発音される音を聞いたことがなければ、そう読んでしまっても不思議ではない。

翻訳したブランド名はもっとあったと思う。そこから学んだのは、「何語の発音か」で名前の読みが変わるということ。ブランド名はヨーロッパの言語が使われることが多い。「20カ国語ペラペラ」でも書いたが、何カ国語もかじっていたおかげで、どうやって読むか、コツを掴むことができた。

一般のアメリカ人にとっても、Versace の例もあるようにヨーロッパ系のブランド名は発音しにくいと思う。なまじ「横文字」なので、英語のつもりで読んでしまう、のは当然である。

例えば、Hermes は日本人は横文字でなくカタカナで読むので「エルメス」と言えるが、もともとギリシャ神話の神「ヘルメス(ヘルメース)」なので、アメリカ人は「ハーミーズ」と読んでしまう。ところがブランドとしてはフランス語なので、h は「無音」になる。アメリカ人も、「読み方」を習わないと、前述の映画みたいに、笑われかねない。

その逆が Nike である。これもギリシャ神話の神「ニケ」だが、アメリカのブランドなので「ナイキ」と発音される。英語以外のヨーロッパ言語では「ニケ」と発音されるので、彼らはブランド名としては「ニケ」ではなく「ナイキ」と言わないとわかってもらえない。

日本はそういう問題がなくて楽ではある。ブランド名はカタカナ表記になっているからだ。

我が家のワンコが大好きな「格好の散歩場所」である軽井沢プリンスショッピングプラザは、ブランド名店街である。200店を超える店があって、それぞれブランド名を掲げている。

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(「ツリーモール」のブランド店街。我が家のワンコはどの店にも当然のように入ろうとする。本人はスリングバッグかペットカートに入らなければならないのだが。10連休終了直後の平日、真冬より少ない人出だった。これから新緑、夏休み、紅葉と続く。たぶんこんな日はもうない・・・。)

ブランド店が軒を連ねるモールを歩きながら、クセでつい「ブランド名」を読んでしまう。

「ニューウエスト」に、リズムの良いブランドがある。「サマンサタバサ」だ。これは日本のブランドで、米TVドラマ「奥様は魔女」の「サマンサ」と彼女の娘「タバサ」から取った名前だという。綴りは Samantha Thavasa。「タバサ」はドラマでは Tabatha だが、そっくり同じにすると商標上問題が出てくるから Thavasa に変えたのだろうか。それにしても「サマンサタバサ」はリズムにのって発音したくなる名前である。

「コムサ(comme ça)」も日本発の不思議なブランド名だ。「コムサ・デ・モード」「コムサ・イズム」など、いくつものブランド名がある。comme ça はフランス語で、「like that」というような意味。どうしてそんな単語を選んだのだろう。かなり前から目にしているブランド名なので、気になっていた。プリンスショッピングプラザには、その飲食バージョン「カフェ・コムサ」がある。

ブランド名の命名法は、日本のみならずどの国でも同じようだ。どこかしらかっこ良い響きで、場合によっては何語かわからず、どう読むかも作り手次第である。

職業病なのか、ブランド名を見ると、読んで見たくなり、その語源などを調べたくなる。ところが、そのブランドが何を扱っているのか、となると、もともと興味がないので例えば「着る物だろう」程度で心もとなくなる。

「ブランド読みのブランド知らず」とは私のことである。


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posted by ロンド at 17:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2019年04月25日

天皇陛下はエンペラー


今上天皇の御退位を間近に控え、10連休という超大型連休の開始とともに、日本はお祝いムードに突入する。

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(天皇皇后両陛下の「思い出のテニスコート」。赤いバスは旧軽を走る観光巡回バス。イヌ同乗可。今年の大型連休、軽井沢も例年以上の混雑が予想されている。)

世界中で、「日本の天皇」「日本の元号」が話題になっているが、珍しいからだろう。

通訳ガイドになるための勉強では、「日本事象」も学んだ。例えば、神社と寺院の違い、日本仏教の特徴、生け花や茶道の基本的事項などなど。ガイド教本にて英語で得た知識は多かった。

日本の天皇は英語では Emperorと呼ばれている。それなのに日本は Empire of Japan (日本帝国)ではない。Kingdom of Japan でもない。制度上、「立憲君主国(constitutional monarchy)」である。

なぜ天皇陛下は King ではないのか、なぜ「天皇」という称号は世界でも日本だけなのか。

とても不思議だった。

こうした「天皇」にまつわる諸事情を外国人に説明しても、わかってもらうのは大変だったし、日本人でさえ、よくわからない人はいた。

そうして、いろいろな歴史の本を読み、整理して考えると「天皇」= Emperor の構図がよくわかるようになった。

日本は東アジアに位置しているため、中国文明を含めた東アジア全体の歴史を通して考える必要がある。

学校の歴史で習ったことだが、紀元前から中国大陸には高度な文明を誇る「王朝」があり、「帝」(皇帝)がいた。その配下にあった周辺諸国には「王」がいて、正式に「王」と宣言するには「皇帝」の承認が必要だった。

それは「倭」と呼ばれていた日本も同じ。かつてはたくさんの「王」がいたが、邪馬台国に統一され、近畿に大和朝廷が成立した(4〜5世紀ごろ)。君主は、大和言葉で「大王(おおきみ)」と呼ばれていたが、中国からすれば「王」にすぎなかった。だが次第に独自の文化を確立していった日本は、中国大陸と海を隔て適度に離れていたこともあって、「中国大陸の王朝から独立しよう」と思い立ち、「天皇」という独自(元は漢語だが)の称号を使い始め、7世紀には形式上「独立」した。

つまり、日本の天皇は、「皇帝」の下にいる「王」ではなく、「皇帝」と対等だが、「皇帝」という称号を使うのははばかられるため、独自に「天皇」という称号を使った、というわけである。

さて、ヨーロッパに目を向けてみると、西洋文化では、近代の民主体制以前の君主としては、英語を例にすれば、king と emperor しかない。

king はもともと「村長」や「親分」が、グループの拡大とともに地域の支配者となったもの(これは万国共通だと思う)。emperor は、ローマ帝国の皇帝 imperator が変形したもので、imperator とは、「軍隊の指揮官」のような意味。言ってみれば日本の「将軍」のような称号だった。

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(ローマに立つユリウス・カエサルの像。正式には彼の姪の息子であるオクタビアヌスが初代皇帝だが、実質的にはカエサルが「元祖」ローマ皇帝とみなされている。後年のドイツ皇帝やロシア皇帝の称号は、「カエサル」の変形である「カイザー」「ツァー」をそれぞれ採用していることからも、それがわかる。)(Photo by Leomudde via Wikimedia Commons)

ローマ皇帝は強く、どんな地方の王様もかなわなかった。西ローマ帝国が滅んでも、その象徴的権威は続き、ドイツ人(の祖先)が興した形式的な「神聖ローマ帝国」の興隆もあって、king の上に立つのが emperor ということになった。

東西それぞれの「王」「皇帝」の成り立ちは異なるが、19世紀に日本が世界へデビューしたとき、当時まだ存在していた清朝との関係性や世界情勢も鑑み、日本の天皇は Emperor と呼ぶのが妥当だということになったのだろう。

ただ、king の語源にある kin は「家族、一族」の意味があり、emperor は「命令する人」の意味があることを考えると、歴史的意義や上下関係抜きに言えば、日本の皇室は「血縁」を元にした指導者だったので king のほうが適切ではないか、と私は思っている。

実態は別にして、Emperor と呼ばれる君主は現在では日本の天皇陛下のみではないだろうか。今の世の中、当然ながら他国の王様たちと上下の違いがあるわけではない。ただ、現存する王家としては世界で最も長い歴史(少なくとも1500年)を持つと言われており、その歴史の重みは世界的に見て敬意に値すると思う。

元号の使用は面倒、という考え方もある。確かに西暦だけ使う方が楽だし、元号は英語にするとき、各元号をそれぞれ西暦に直さなければならない(仕事上、私はいつもやっているが)。

だが、元号も文化である。人は効率と食糧と科学的事実だけで生きられるものではない。

神社で参拝したり、正月を祝ったり、お盆で墓参りに行ったり、日本が世襲的元首である天皇を国の象徴としていたり、食事の時「いただきます」「ごちそうさま」を言ったり、北枕を避けたり、古い建物を保存したり、草花を愛でたり、ペットをかわいがったり、これらすべては人が生活する上で自然に生まれた、あるいは必要であると思い作り上げた文化である。これはどの国も同じ。

面倒で意味がない、ということで捨ててしまえば、おそらく人ではなくなると思う。

諸外国には元号がない。それはそういう文化がない、あるいはその伝統を持っていた王朝を自分たちで廃止したからだろう。日本には日本の歴史があり元号を保持している。そのことは、ありのままに受け入れても良いと思う。

2019年5月1日をもって新しい天皇に即位される徳仁親王(浩宮様)。私の通信社勤務時代、報道カメラマンとして浩宮様のお出かけに同行した同僚たちが皆、「とても気さくな方」と話していた。常に国民のことを考え、親しく人々に話しかけられる今上天皇陛下(明仁様)と皇后陛下(美智子様)の血筋を引いていることは確かで、令和の時代になっても、人々の心とともにある天皇陛下となられるにちがいない。


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posted by ロンド at 16:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史
プロフィール
ブログネームは、ロンド。 2013年に東京の多摩ニュータウンから軽井沢の追分に移住。今年還暦に。 同居人は、妻とトイプードルのリュウ。 ロンドは、フリーの翻訳者(日英)。自宅にてiMac を駆って仕事。 リュウ(13歳)は、運動不足のロンドを散歩に連れ出すことで、健康管理に貢献。 御影用水温水路の風景に惹かれて、「軽井沢に住むなら追分」となった。